#001-2

ピアーズはその耳馴染みのいい声に現実へ引き戻され、はっとした。白い息を吐きながら振り返る。暗い色のニットに革のジャケットを羽織ったその出で立ちは、187cmという高い身長もあってさながらモデルのようだ。ピアーズは慌てて平静を取り繕い、ここにいるはずのない男に疑問を投げかけた。


「お前図書館にいたんじゃないの?」

「水買いに来たら見慣れた背中があるなと思って」

確かに彼の手にはペットボトルがある。ピアーズの隣に、クレイグもゆっくりと腰を下ろした。そして少しだけ、心地よい沈黙が落ちる。


「カメラ持ってくりゃ良かったな」


そういってクレイグは指でカメラのフレイムを作った。その横顔が眩しい。クレイグは時折カメラを持ってふらりと何処かへ行ってしまう。趣味なのかと問うと趣味と言うほどでもないというが、それはクレイグなりの照れ隠しなのだとピアーズは思う。


「荷物置いて来たの?」

「ああ。見張りはシェリルに任せて来たよ」


クレイグはなんでもないことのように言って笑った。返答しようとしたピアーズの言葉が詰まる。平気で言うそういう一言が、ピアーズの心を傷つけてるのをこの男は知らない。

    

高校の頃から、気づいたらいつも目で追っていた。その思いは大学になって更に強まった。

今もこうして、クレイグの唯一親しい女性でもあり、図書館司書の補佐を始めた"シェリル"の存在に嫉妬している。


「……そう。ならもう少しここにいたい」

「気が済むまでどうぞ」


そういって優しく笑いかけてくれるクレイグの表情を見た。

どうしてこうも、この男は自分に優しくするのだろう。いつもピアーズの小さなわがままを満たしてくれる。

だが自分は何も言わない。いつもみんなの世話役で、なんでも許してあげるのがこの男の務めだった。時折見える彼の苦悩の存在は、いまだに明るみに出ない。ピアーズは時折、それをジレンマに感じる。

横目で、こっそりクレイグの様子をうかがう。クレイグは目を閉じて、静かにこの空気と瞼を照らす夕日の色を楽しんでいるようだ。ピアーズの胸が締まる。

クレイグは最初に出会った頃から勤勉で、一緒に勉強をしようというと必ず時間を空けてくれる。今日もそれを口実に、図書館で集まる予定だったのだ。

勿論ピアーズが勉学に励む要素はほかにいくつもあったけれど、クレイグと過ごす時間を勉学の糧にしているといって神の叱りを受けようとも、一向にかまわないくらいだった。

考えているうちに自分がどれだけこの男に惚れ込んでいるのかを思い出して、ピアーズは苦しさに目をそらした。どうして自分ばかりが好きなのだろう。このお門違いな悔しさや腹立たしさは、恋心を構成する気持ちの成分のうち、どのくらいを占めるのだろう。


「ピアーズ? 大丈夫か」


ぼんやりと思考に耽っていたピアーズの意識を掬い上げるクレイグの声。

夕陽は殆ど沈んでしまって、空も紫に染まり始めている。


「……ああ。ごめん、そろそろ時間?」

「全然。まだいてもいいけど」

「いや、いいよ。行こう」


ピアーズはクレイグより先に立ち上がり、すぐに歩き出した。

ちらりと見た腕時計は16:23を指している。16時に図書館でと約束していたのに、随分とタイムロスしてしまった。

後ろを歩くクレイグを振り返ると、どうした、と眉をあげてクレイグが答えた。その表情は高校の頃から変わった気もするし、変わっていない気もする。

だからだろうか、あのときからずっと変わらない。こうして視線をぶつける度にこの気持ちが心を満たしていくのを感じる。さっきまでかすかな嫉妬を燃料に赤く高く燃えていた心の炎は、もう柔らかなゆらめきを取り戻している。


(……この男が好きだ。)


声にならない思いは、もう募り募って4年目。初めて出会った高校2年生の春から、ずっと減ることなく増幅していく。しかしこの飄々としたクレイグの様子をみているとそれを認めるのがなんとなく悔しくて、ピアーズは自分自身にさえ嘘をつきたくなることがある。自分ばかり好きみたいで、いつかこの邪な思いがばれて蔑まれるのではないかという思いが先に来る。

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