アフター・エーテル

jimixer

第1話

「オーロラが濃いな」

 それは誰に言うわけでもなく。彼――チヒロが自身に言い聞かせているようにも見えた。大崩壊以前はオーロラ帯でしか見られなかったオーロラも、今ではこうしてどこでも見られる現象となっている。

「気をつけるに越したことはない、か。念のためフィルターの予備は多めに持っていかないと……って、これで最後かよ。参ったな」

 チヒロはバックパックの中身を検め、ガスマスク用のフィルターを詰め込んだ。大気中のエーテルから呼吸器を守るものだ。今日のようにオーロラの濃い日は、ガスマスクなしでは一時間と行動できないだろう。

 赤、黄、緑、青、紫、そしてまた赤。ゆっくりとその色を循環させる極光は、エーテルが太陽光を屈折させることでその色を発している。以前チヒロがコロニーの学者に聞かされた話だが、結局興味を持てずそれ以上は覚えていなかった。

 チヒロはバックパックを背負う。

「宝の山が見つかりゃ良いが」

 ガスマスクのベルトを締めながら、彼は窓の外に広がる景色を見た。けばけばしい色の空に照らされたそれは、本来がコンクリートやアスファルトの無彩色ばかりであることを忘れさせる。崩れたビル、割れた道路、あとは瓦礫の山、山、山。大崩壊の爪痕は、元の町並みを想像させないほどに大きい。もっとも、大崩壊以後に生まれたチヒロにとっては、この荒廃した大地こそが自然な光景でもあった。

「んじゃ、そろそろゴミ漁りといきますか」


「――ちょ、ちょっと待ってくれ。本当にこれだけか?」

「文句あるか? なんならもっと減らしてやっても良いんだぞ」

「いやいや、そう言ってるわけじゃなくてさ……」

 チヒロの住むコロニーでは、外部から持ち帰った物品を通貨に交換するための換金所が設置されている。コロニー内での衣食住はこの通貨によって担保され、スカベンジャーでない者も何らかの形でこれを稼ぐ。

「このサイズのエーテル結晶ならジェネレータの足しにもなるだろ? こっちの缶詰なんかラベルが読めるぐらい状態がいいじゃないか」

「確かに結晶化したエーテルは便利だが、こりゃ小さすぎる、分かるだろ? ジェネレータにぶち込むならもっとデカいのが要るって」

 皮肉な話だが、コロニーをエーテルの汚染から守っているのはエーテルによって作られるシールドだ。外で発見されたエーテル結晶はそういう事情で値がつけられるが、今回はそうも行かなかったらしい。

「そうか……いや、ありがとう。金になるだけでもありがたい」

「だろ? 特にお前の場合はな」

「放っとけ」

 チヒロは肩を落としながらも差し出された小銭を懐にしまい込んだ。少なくとも安宿一晩の金にはなったが、満足な食事がとれるかは怪しい量だ。

「なあチヒロ、試しに他の連中と組んでみるってのはどうかね? 前々から言ってることだがよ、なんでもかんでも一人でやろうってのは限度があるぜ」

「勘弁してくれよおっちゃん、これ以上取り分を減らせっていうのか? ナシだよ、ナシ」

 ひらひらと手を振ってチヒロはその場を後にする。その足が向かうのは行きつけの定食屋だ。外で危険を冒すスカベンジャーのために安値で食事を提供してくれる店だが、今日はそこですら軽食を済ます程度になりそうだった。


 店に足を踏み入れると、見知った顔の同業者たちが集まってテーブルを囲んでいた。その中の一人がチヒロに気づき、声をかける。

「よおチヒロ、どうだった今日は?」

「聞くなよ、分かってんだろ?」

「だはは、それもそうか。まあ座れって」

 快活に笑うスカベンジャーは、アラキという名前だった。彼は、近場の空いた席から椅子を一つ引いてくる。チヒロはそこに腰掛けると、簡単なメニューをひとつふたつ注文した。

「ずいぶん小食になったな」

「嫌みか?」

「冗談だろ。ピリピリすんなって、飯食って元気出せよ。ほら、これもやるから」

 不機嫌なチヒロとは対照的に、アラキはニコニコと笑いながら食事を一皿チヒロの前に差し出した。

「そういうお前はずいぶん羽振りが良いな。でっかい収穫でもあったのか?」

「まあ、そんなとこだな。俺たちのチームで、医療品の倉庫みたいな場所を見つけたんだよ。そんで、そこまでのマッピング情報を高値で買い取ってもらったわけだ。コロニーの共有財産ってやつにはいい値段がつくもんだぜ」

「へえ、運の良いこった。頭が上がんないね、全く」

 そんな話を聞いてか、チヒロは差し出された食事に遠慮することなく手をつけた。

「しかし、よくそんな場所が見つかったもんだな。てっきりこの辺は調べ尽くされてると思ったが」

「まあ、禁域の一歩手前みたいな場所だからな。他の連中は寄りつかんような場所だったってこった」

「禁域? お前ら、よく無事で戻ったな。魔法使いの集落があるって噂だろ、あの辺りは」

「いやいや、禁域自体に入ったわけじゃねーんだから大丈夫だって。それに、人の気配なんざまるでない静かなとこだったぜ。魔法使いってのも大概噂みてーなもんだろうよ」

「だといいけどな」

 そんな風に話をしていると、チヒロの注文した料理がテーブルに届けられた。硬いパンに成型肉が挟まったサンドイッチのようなもので、一日肉体労働をこなしてきた体が求めている量にはほど遠い。

 サンドイッチを一口かじって、チヒロは呟く。

「俺も一山当ててみたいモンだねえ」

「そんな夢みたいなこと考えず、コロニーで見張り番でもやった方が割がいいと思いますけどね」

 同じテーブルで黙々と食事をしていた一人――ムカイという男が口を開いた。彼は他のスカベンジャーたちよりはいくらか軽装で、胸元に小さなバッヂがきらめいていた。コロニー運営局に直接雇われている警備員の証だ。

「僕みたいに」

「それこそ冗談だね。ムカイ、あんたの席に誰がいたのか忘れたわけじゃないだろうな? あんな眠たい仕事で生きてくなんて、死んでるようなもんだ」

「死んでるように生きる方が、死んでしまうより幾らかマシでしょうに」

「……分かってるよ、そんくらい」

 少し言葉に詰まって、チヒロは硬いサンドイッチを一気に頬張った。


 その日、適当に見繕った安宿の一室でチヒロは思案していた。

「確かに、少し遠出してみるってのはアリかもしれないな。準備がいくらか大変になるのには目を瞑るとして……」

 ごそごそと地図を広げる。大崩壊以前の地図に、現在の状況が上書きされている手製の地図だ。彼自身が歩いて確認したものもあれば、コロニーの共有資料から拝借したものも少なくない。

「あいつらが医療品を見つけたって言うのは、確か禁域の方面だったっけな。よし、それなら逆方面の遠方ならきっと手付かずの――」

 ふと、手が止まる。

 地図の上、真っ赤に塗りつぶされたその領域。コロニーの掟で、何人たりとも足を踏み入れることを許可されていない危険地帯。

 禁域、という。

「――いや。確かに、誰も手をつけてはないだろうけど」

 それは、コロニーの掟を破ることになる。最低でも投獄、最悪なら処刑。チヒロの居るコロニーの法とは、そういうものだ。

「危険を冒すっていうのは、そういう意味じゃないだろ。もっとこう、未開の地だとか、魔獣と戦うだとか。危ない橋は、死ぬために渡るんじゃない。生きるために渡るんだ」

 全く俺は何を考えて、とチヒロは頭を振る。

「冷静な内に明日の計画を立てておこう。またバカなことを考えないとも限らない……」

 チヒロはペンを走らせ、明日の探索計画を立てる。少しだけ遠くへ。誰も手をつけていないような場所を探して。

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