いろいろ疲れちゃった高校生の話
こじらせた処女/ハヅ
第1話
「慎ちゃんおかえりー。ご飯できてるよー」
「あ、ありがとうございます」
リビングの扉越しに聞こえる食器の音。かすかに鼻を掠めるご飯の匂いは扉を開けるといっそう強くなる。
「今日は豚の角煮作ってみたんだー」
「うわー!!うまそーー!!」
てらてらと輝く肉の塊が色のついた卵と共に、白い皿に移されていく。ぺこぺこの腹がぐぅっと悲鳴を上げた。
「ふふっ、じゃあ早く手洗って着替えておいで」
青いエプロンを身につけ、骨張った、少し皺の増えた手で頭を撫でてくれる人は直哉さん。
先日親父が捕まった。酔っ払うと手が出る奴は、とうとうコンビニでやらかしたらしい。数年前に出て行った母親とも連絡が取れず、身寄りのなくなった俺を遠い親戚である直哉さん達が受け入れてくれた。
もう一人は伊吹さんという人で、恋仲なのだそう。
「普通の家族とは違うと思うけど…」
男同士のカップルだから、と。そう申し訳なさそうに言われたけど、元々普通じゃない環境で育ってきたから、普通が分からない。むしろ、毎日美味しいご飯を食べれるし、お弁当まで持たせてくれるし。今まさに、普通の高校生を満喫できているところだ。こんないい人達に不満なんてものはなく、むしろ感謝しても感謝し切れないくらいなのである。
「どー?ちょっと甘すぎるかな?」
「いやっ、マジうまいっす!!」
「そ?よかったぁ…あ、ご飯おかわりあるよ」
幸せで、穏やかで。お伽話だとさえ思った「家族」の形が実現されて。初めてこんな日常が続けば良いって思った。
新しい学校では前とは比べ物にならないくらいに明るく振る舞って、友達も積極的に作った。ちゃんと問題のない人間だって思われるように。嫌われないように。
でもそんなに急に良い子になろうとしても、必ずボロは出てくるもので。
「あ、慎ちゃん、お箸お箸」
「あっ、すんません!!」
「そーそー。上手上手」
小さい頃からテーブルマナーの教育が全くなされていなかった俺。直哉さんや伊吹さんと食卓を囲んで気づいた。俺の食べ方が汚いってことに。何度も何度も注意されて、でも忘れてしまって。正しく直したら幼児のように褒めてくれる。
気にかけてくれるって言うのは分かっている。酒を夜中に買いに行かされて、買えなかったら殴られることも、バイトを強制させられることもない。俺はとても大事にされている。でも、その優しさに少し戸惑うことがある。この人達は俺を産んだわけでもないのに何でここまでしてくれるんだろうって。
学校で友達と話すようになってからその理由が少しわかった。それは俺が恵まれているって感じていた環境を、ごく当たり前のものとして享受していたから。それを知ってしまうと、どうしようもないモヤモヤが胸の中を支配するようになって。
母親は、何で出て行ったんだろう。なんで父親は俺を殴ったんだろう。周りには無条件に手をかける親だらけなのに、何で俺にはいないんだろう。
俺、生まれてこなくてよかったんじゃない?
ぐるぐるぐるぐる。最近こんなことばっかり考えてしまってだめだ。考えないようにしても、ふとした瞬間に湧き上がる。そんで、ひとしきり考えたら、ドッと体が重くなるのだ。
(…学校、いきたくない…)
目はとっくに覚めているのに、布団から出たくない。というか起き上がりたくない。
何もしたくない。こっそり買った体温計で何度も何度も熱を測るけど、いつも通りの平熱でガッカリする。何でこんなことをしてしまうのか、俺にもわかんない。でも、とにかく何もしたくない。誰とも話したくない。
(あ、だめだ…)
いつも乗る満員電車を見た瞬間、足が勝手にUターンしていた。
(何してんだよ俺は…!学校、遅刻しちゃう、)
学校に行ったら授業を受けなければならない。友人と話さないといけない。ご飯を食べないといけない。当たり前の行為がとてつもなく嫌になる。頭の中はぐちゃぐちゃで、でもどうしても乗りたくなくて、改札を出てすぐの道端で立ちすくむ。スーツ姿のサラリーマン、疲れた顔をしたおばさん、俺と同じくらいの高校生。どんどん駅に吸い込まれていって、またそれが焦りを助長して。
(ちょっとだけ、休んでいこう…)
いつも30分くらい余裕を持たせて学校に行っている。ギリギリになってしまうけど、遅刻しなかったら大丈夫。
5分ほど歩き、遊具のトンネルの中に入り膝を抱える。
「っはぁ…何してんだろ、俺…」
涙が滲む。早く学校、行かなきゃ。そう思えば思うほど体が動かない。どうしようもなく胸がザワザワして、とてつもない不安感が襲うだけ。
どれくらいそうしていただろう。ふと、制服のポケットから着信音が鳴る。
「…もしもし…」
「あ!慎ちゃん!よかったー…今どこ?」
「あー…ぁ…」
ふと時計を見ると、あれから1時間以上も経っている。今はきっと、1時間目が始まっているぐらいだろう。先生が直哉さんにかけたんだ。
「あのっ、俺、腹痛くって、でも治ったんで今から行きます!」
「え!?大丈夫!?」
「はいっ、治ったんで!!」
「もし無理そうなら帰っておいで、ね?」
「いえ、…ごめんなさい、今日休みたい、かもです」
「もー、何で謝るの!一人で帰ってこれる?迎え行こうか?」
「あ、大丈夫、です」
「分かった。気をつけてね」
心配そうな声色にちくりと心が痛む。でも、あんな優しい声で言われたら、もう頑張れなかった。
「おかえり、寒かったから冷えちゃったんだね。おいでおいで」
鍵を開けるとすぐに玄関に出てくる直哉さん。背中をさすってくれて、穏やかに迎え入れてくれる。罪悪感でリュックの紐をギュッと握った。
「何かあったかいの飲もうか」
サボったってバレたらこの人はどう思うだろうか。しんどいフリ、できてるかな。
「慎ちゃん?まだどこかしんどい?」
「あー、え、っと、もう平気、です…」
「そう?お茶淹れたけど飲める?」
「…ごめんなさい、ちょっと眠くて…寝てきていいですか?」
自分に向けられる心配をどう受け止めればいいか分からなくて、逃げるようにして部屋に入る。机の1番奥に閉まってある体温計を取り出して、脇に挟む。案の定、熱はない。せめて、あってくれたら良かったのに。お腹も全然痛くない。ただ、しんどいだけ。泣きたくなるだけ。
「も、やだ…」
制服、着替えなきゃ。体温計、戻さなきゃ。たったそれだけのことなのに、体が動かない。ベッドに上がるのも億劫で、床に座ったまま布団に突っ伏した。
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