第32話 天孫族が日本を統治する   

 今の日本は、その瀬戸際まできている。日本人は今こそ、三種の神器を思いおこし誇りを取り戻すべきなのだ。

 三島由紀夫が

「最後に守るべきは三種の神器だ」

と言ったのは、このことをさしていると私は考える。

 三種の神器は、それほど日本人にとって大切なものである。そもそも三種の神器は、王器ではない。王器は、王が主体で王器はその付属で王の権威づけにすぎない。     だが神器は神器が主体で天皇は付属にすぎない。つまり天皇は神器を守る責任者にすぎず守る役目の役職みたいなものだ。神器がそれほど大切なものであるのに何故かその理由を知らない日本人がいるのは納得がいかない。世界は今激動の時期を迎えつつある。

 今後の日本の教育者は、日本の究極の至宝である三種の神器の由来を学校で教えるべきなのだ。多国籍国家であった日本が一つにまとめた象徴が三種の神器である。多民族国家である日本を、一つにまとまった象徴が三種の神器なのだから。

 異民族は排除もしくは滅ぼすのが当然だった古代で、異民族が融合できた奇跡を日本人は今こそ世界に発信すべきだ。日本人はそれを世界にアピールして、世界の問題を理論的に解決することが重要と主張するのが日本の役目なのだ。                 ところで神社のほとんどは南向きであり、一部は東向きである。しかし河内の一宮で藤原氏の氏神の一つである枚岡神社は西向き、同じく下総の一宮で藤原氏の元宮といわれている鹿嶋神宮は北向きである。それには訳がある。

 藤原氏は、中臣氏から別れた氏族である。中臣氏は、人と神の中をとりもつ氏族でそれが中臣氏のいわれと伝えられている。つまり中臣氏は、神のエキスパートで神に近い氏族なのだ。そんな氏族の氏神の神社の向きが、本来の向きがないのはどういうわけなのか。つまり神社の向きは、本当はどうでもいいということだろう。

 ただ多くの神社が南向きだから、無難に皆が右にならえで南向きになっただけなのだ。誰もが批判されるのは嫌である。

 しかし藤原氏に批判すれば、批判した人物のほうこそ危険であるこのように考えると三種の神器の意味がわかってくる。

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