第2話 重大任務
リルの涙が止まる頃、突然リルのお腹が大きな音をたてた。そういえば今日は朝から何も食べていないと思い返す。イアンは笑って持ってきた食事を差し出した。
それは温かいスープと真っ白なパンだった。リルは『みちるちゃん』の記憶でしかこんなに美味しそうなものは見たことがない。
本当に食べていいのかとイアンの顔色を窺うと、笑って頭を撫でられた。
リルは恐る恐るスープを口に入れる。生まれて初めて食べる温かいスープの味は格別だった。白いパンも食べてみる。いつものカチカチのパンとは違い、口の中で溶けるようだった。リルは夢中で食事を平らげる。イアンはその光景を見て切なくなった。全くろくなものを食べてこなかったと思わせる食べ方だったからだ。
リルが食べ終わった頃、イアンは気になった事を尋ねてみることにした。
「綺麗な食べ方は家で教わったのか?」
リルは少し考えた。綺麗な食べ方は『みちるちゃん』の記憶の中にあったのだ。
「『みちるちゃん』に教えてもらいました」
イアンは突然出てきた名前に困惑したが、すぐに『みちるちゃん』が誰なのか聞き出す。
「私の頭の中に居るの……幽霊みたいな?」
返答からリルでさえもよく分かっていないのだとわかる。イアンはもしかして守護霊ではと思っていた。
守護霊憑きの人間は実在する。彼らは時に守護対象に話しかけ、超常的な力で守護対象を守ったりするのだ。
「その『みちるちゃん』は物を動かせるのか?」
「できません」
リルは何やら不思議そうに返してくる。イアンはリルの守護霊はそれほど強くないようだと認識した。
本当は『みちるちゃん』は、寂しさのために前世の記憶を元にリル自身が生み出したイマジナリーフレンド――空想上の友達なのだが、イアンに真実を知る術は無い。リルには『みちるちゃん』という守護霊が憑いているという事になってしまった。
リルの事が大体わかってきて、さてどうしようとイアンは考える。王宮に急いで連絡して『通訳者』の可能性がある子を保護したと伝えなければならない。しかしリルをいきなり王都に連れていくのは酷だろう。衰弱しているため数ヶ月は様子を見る必要があると連絡するか。そうイアンは決めた。
「あの……名前……」
考え込むイアンにリルは何か言いたそうだった。そこで気づく、イアンはまだリルにきちんとした自己紹介をしていなかった。
「イアン・ウィルソンだ。第二聖騎士団の団長をしている。これからよろしくな」
リルは頭の中で何度も唱えて恩人の名前を記憶する。
「第二聖騎士団ってなんですか?」
「神獣が住まう聖なる森を守るのが聖騎士団だ。第二なのは神獣が住む場所が沢山あるからだな。第八聖騎士団まであるぞ」
簡潔な説明をリルは理解することが出来た。しかし一つ分からないことがあって、首を傾げた。
「神獣ってなんですか?」
そういった途端、リルの膝にルイスが頭を乗せた。
『神獣とは私のように聖なる気を纏い、高い知性ある動物のことだ。一見魔物と似ているが、邪気を纏う魔物とは対極の存在だ』
なんだかとっても誇らしげに話すルイスの頭をリルは撫でた。毛並みはフカフカで気持ちいい。神獣はとてもいいものだとリルは思った。
「ルイスに教えてもらったのか?」
イアンは微笑ましげに笑う。ワンワン吠えたと思ったら、黙ってリルに撫でられているルイスの様子が可笑しかった。
「はい。私を助けてくれたリスさんたちも神獣ですか?」
ルイスは未だリルに撫でられている。本来神獣は人にあまり触れさせないのだが、リルの境遇を汲んでくれているのだろう。弱き者に優しいのが神獣だ。
「そうだ、あの森には魔物も居るが、神獣が多く生息している。この国の中でも一番大きい森だからな」
「リスさん達にお礼を言いに行きたいです」
リルは礼儀正しいなとイアンは思っていた。これも『みちるちゃん』の教育の成果なのだろうか。
「お礼を言いに行くのはいいが、また今度にしよう。今は体力を付けないと、森には入れないぞ」
リルは森ですぐにバテてしまったことを思い出したのか、イアンの言うことをよく聞いた。
「あの、私本当にここに居ていいんですか?」
不安になったのだろう。リルがイアンに再び聞いた。
「勿論だ、みんな歓迎するだろう」
「私、お仕事頑張ります。なんでも言ってください」
イアンは考えが甘かった自分を恥じる。目の前の少女はきっとまだ怯えているのだ。無償の優しさを受け入れることが出来ないくらい、心が追い詰められているのだ。リルにはここにいる理由が必要なのかもしれない。
「じゃあ、明日から仕事を任せようか。ここにいるルイスの通訳係だ。ルイスが森の見回りをするから、森の様子をルイスに聞いて俺に教えてくれ、ルイスの言葉がわかるのはリルだけだから、重大任務だぞ」
そう言うとリルは目を輝かせていた。
「はい!通訳係がんばります!」
元気に叫ぶとルイスに明日からよろしくねと笑う。リルはやっと自分の居場所ができたことに安堵していた。
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