紅い記憶⑥

「僕が君を愛せば?」


「貴方が私に喰われる」


「じゃあ、僕が愛さなければ」


「分からない」


 そう言って笑う彼女の顔はどこまでも、明るくて。でも、どこまでも無理したもので。


「じゃあ、」


 僕はそう言って言葉を止める。自分の意思を確認するためではなく、彼女の意思を確認するために。


「……何かしら?」


 彼女は苦々しい表情で僕の言葉を待つ。僕は続けなければならない。この言葉で僕らの関係が終わるのだとしても。僕は言わなければならない。


「君をいつまでも愛そう」


 例え僕の命が今日、ここで終わるのだとしても。


「僕は死にたくない。でもね。僕は君になら、いいかなって思うんだ」


 死ぬのは怖い。それはこれから先どうなるか分からないから。生きるのは怖い。それもまた同じ理由で。


「僕はこの世界から居なくなってしまう。それも跡形もなく。みんなの記憶からも僕という存在は消えてしまって。でも、君にだけ僕の存在が残るなら、それもいいかなって。僕が一番愛した君にだけ覚えて貰えるって言うのも、いいなって思えてさ」


 僕の顔には無意識のうちに笑みが浮かんでいて。どうしてか分からないけれど、僕の心は不思議と落ち着いていた。


「……ロマンチストなのね」


 彼女はふんわりと笑うと、長めに息を吐いた。


「本当はね。貴方と付き合うつもりも無かったし、子どもだってもうける気も無かったの」


 僕は何も言わずに彼女を見つめ続ける。だって知っていた事だから。


「飛鳥さん。貴方と仲良くなったのは、私の両親がこの家に住んでいた時だったわね。私がまだ自分を人間だと思っていた頃……」


 彼女は遠い昔を思い出すように言葉を紡ぐ。


「正直、貴方が私の初恋だという確証があったかと言われれば無いわ。だって、人の愛し方なんて分かるわけが無いじゃない……。どんな感情が愛で、どんな感情がそうじゃないのかなんて、私には分からないの……。巷で流行の恋愛小説、漫画、ドラマ、映画、歌。どれもどれもどれも! 私とは違うじゃない! 物語の中の恋愛が真実の愛だと言うのなら、私は偽物なの? じゃあ、教えてよ……人の愛し方を教えてよ!」


 彼女は髪を振り乱して、ヒステリックになりながら僕に訴える。でも、僕は何も言うことが出来なくて、彼女を見つめ続けることしか出来ない。


「私は人間を愛せば、その人間を喰らわなければならない。吸血鬼を愛そうとすれば私の本能がそれを拒絶する。なら、私は人間を愛するしかないじゃない……私は……それが……それが嫌だった……。誰も愛したくない……。私は人間を喰らいたくなんてない……。でもね、私にはそんなことを考える前から飛鳥さんがいた。気が付けば私の側で笑っている貴方が居たわ。何も知らずに、私にだけ笑みを向ける貴方が」


 束沙は僕に力なく抱きつくと、声を殺して泣き出してしまう。そんな彼女が堪らなく愛おしく思えて、僕はぎゅっと強く抱きしめる。


「怖かった……自分の感情を知るのが……。もし、自分が吸血鬼だと知らなかったら、こんなに捻くれてなかったでしょうにね」


 束沙は涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔に、精一杯の皮肉を込めて笑う。それは自分に向けての笑みの様にも見えたし、君が好きになった、僕に対する憎しみを込めた笑みの様にも見えた。


「……人間だったら、もっと素直に貴方を愛せたのかしら」


 その言葉は僕の耳に届くか届かないかのような、小さな声で呟かれただけだった。


「私ね。誕生日が近づいてくる度に、貴方の事が好きなんだと分かったの。最初は認めたくなかった。だって、こんな捻くれて、冷たい女にずっと寄り添ってくれるような人は貴方以外にはいないもの。他の男は私の容姿を見て私に愛の言葉をかけていった。心なんて微塵も籠もっていない言葉を。でも、飛鳥さん。貴方だけはずっと、私のことを考えて話してくれたわね。だからこそ、私は貴方を愛したのでしょうね。ずっと私を想ってくれたからこそ」


 くたびれた笑顔でそう言った彼女を、今度はそっと抱きしめる。


「僕は……君が冷たいとは思わないよ。確かに捻くれているとは思う。僕が何かを言う前にこちらの気持ちを見透かしたかのように、先に言う。そんな君が僕は嫌いだった。そして、いつの間にか君が怖くなった」


「なら、貴方はどうして私と一緒に居てくれたのかしら?」


 彼女の問いかけはもっともだろう。嫌いだ、怖くなったなどと言っておいて、一緒にいる僕もどうかと思う。


「分からないよ。でも、気が付けばずっと君といた。それだけ」


 僕の言葉に、束沙は泣きはらした目で僕に笑みを向ける。


「飛鳥さんらしいわね」


 さっきと同じ言葉のはずなのに、今のそれには何処か心が込められているような気がして。僕の心が少しだけ温かくなる。


「こうしていると、カップルみたいだ」


 僕がそう言うと、束沙が「馬鹿ね。カップルよ」と微笑む。その笑顔は今まで見たどの表情よりも優しく、そして、美しかった。

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