紅い記憶

紅い記憶①

 ――僕はある女の子を愛している。


「おい、高城。これでいいと本当に思っているのか?」


 担任の先生は、今日提出した、『高城飛鳥たかしろあすか』という僕の名前以外何も書かれていない進路希望用紙を、くたびれた声で僕の名を呼びながら突きつける。


「ダメですか?」


 先生にそう尋ねると、彼は苦い顔をして溜息を吐いた。


「あのなぁ高城……。もう十月だぞ? 浪人をすると言うのなら私も止めはしないが、お前はその欄にもチェックをつけていない」


 僕は無言で突きつけられた紙を眺め続ける。その様子を見て、先生は紙を突き返しながら「もう少し考えてくるように」とだけ言った。


 この世界にやりたいことがある人はどれくらいの数がいるのだろう。反対に、それすら分からない人はどれくらいの数がいるのだろう。


 僕は職員室の出口へと向かいながら、ついとそんな事を考える。


 ――僕はある女の子を恐れている。


 職員室から出ると、ひんやりとした廊下特有の冷たさが僕を迎えてくれる。


 僕は自分の荷物を取りに戻るため教室へと向かう。歩いている最中に、手に持っていたほとんど真っ新な進路希望用紙をくしゃりと丸めると、僕はそれを乱雑にポケットへと力強くねじ込む。


 僕は自らの所属する、三年五組の教室の前にたどり着くと、小さく息を吐く。隣の教室から、まだ残っている生徒達の声が空気を震わせて僕の耳へと届く。


 けれど、僕の目の前にあるこの教室からは、何も聞こえない。


 ゆっくりと扉を開けると、からからと小さく滑車の音が教室に響く。


 その音に気がついたのか、教室の隅で本を読んでいた人物がこちらを見て、暗く微笑んだ。教室は夕日によって朱く照らされており、どこか薄気味悪い雰囲気を孕んでいた。


「あぁ、終わったんだ」


 僕はその言葉に頷くと、彼女に近づいて行く。


「ごめん。少し長くなった」


 僕は彼女の座っている席の隣に位置する席から鞄を取ると、彼女に「行こっか」と訊ねる。少女は退屈そうに僕を見上げると、黙って読んでいた小説を閉じて、立ち上がる。


 机の横に引っかけている鞄を取るときに、彼女の艶やかな黒い髪がさらさらと彼女の首筋を流れた。


 一つひとつの動作が何処か美しく、そして、艶めかしくて、官能的で。僕は彼女から視線を逸らす。


「あら、どうかした?」


 彼女はそんな僕を見て、怪しく笑うと、僕の手を取って歩き出した。


 成績優秀。スポーツ万能。与えられた仕事はそつなくこなす万能人間。それだけでなく、見た目もとても美しく、彼女だけがどこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。


 ――僕はそんな彼女、速水束沙はやみつかさが心の底から嫌いだ。

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