遙かあなたへ
一太郎
プロローグ あの日見た奇跡を
深夜2時。
この日、真田市は昼間に雪が降り、多少積雪していた。夜になると凍える寒さはより厳しさを増す。
誰一人として出歩く者がいない静かな街に、似つかわしくない音が連続して聞こえる。
剣戟だ。
音の方に目をやると、剣戟は闇夜に火花を散らし、音の発生源をわずかに照らす。
二人の人間だった。
一人は、槍を振るう男。曲芸と見間違えても無理がないほど、人間とは思えぬ無理な動きで舞う。しかし、曲芸と違うのはそこに明らかな殺意がこもっていること。
対するは太刀を振るう女。確実に命を奪いにくる槍の刃を太刀で受け止め、あるいは流し、男に生まれたわずかな隙を、小柄な身長を活かした下段の攻撃で捉える。
今、風が吹いた。あまりに強い風だったので、女の体を揺らした。女がよろめく一瞬の姿を男は見逃さない。槍を女の太刀に絡みつけるように回しこみ、てこのように女の手から太刀をヒョイ、と取り上げる。咄嗟に距離を取る女。後ろに飛びながら、飛んでくるクナイを二つ避ける。一つは避けきれず左腕に着弾。
遠くに投げられた...正確には、ビルの下、地上に落とされた太刀を拾いにいく余裕は、女にはない。
なぜなら戦いの舞台は地上20階、高さにして約60mの屋上だったからだ。
航空障害灯の赤い光が舞台の四隅を照らす。
それだけでは、膠着した二人の表情を窺い知ることはできないが、もしその場に他の人間がいればあまりの緊張感に耐えきれず逃げ出していただろう。
女は息を吸う素振りを見せ、男に声をかける。
「曲芸師ごときが私から太刀を取り上げるとはな。前にも同じ仕打ちを受けたことがある。お前たちは手癖が悪い。実に不愉快だ。」
女の声は夜の空の闇に吸い込まれ、あるいはもう返答などなく、否、そもそも問いかけなど無かったのではないかと思われるほどの静けさが長い時間続いた。
突然、槍の石突が地面を叩く音が鳴った。
「嫌な言い方だなあ。これでも僕らは真面目に修行して技を研ぐんだ。実際、あなたはその技に一度一本取られたことがあると言っていたし、手癖が悪いだなんて言われる筋合いはないよ。そもそも僕たちだって好きで戦ってるわけじゃない。そっちの都合で勝手に襲ってくるだけじゃないか。」
男の声にはノイズがかかっているようで、注意していないと単語を聞き逃してしまう。注意しようと思っても、言葉の意味が頭から抜けていくようで、うまく意味をとらえられない。
「ずいぶん長く黙りこくっていう事がそれか。こちらだってお前らが何もしなきゃ手を出す必要はない。」
「悪いね、認識阻害の奇跡をかけるのも一苦労なんだ。」
おしゃべりはおしまい、と言わんばかりに槍を構え直す男。突きの姿勢。前傾姿勢で、刃先を女の足元に下ろし、しかし両の目はしっかりと女の心臓を見据えていた。
「さようなら、狂信者の君よ。ー貴様の旅も行き止まりだ」
女は脂汗を額に浮かべながら、はっ、と小さく笑う。
「悪いけどそんなのごめんよ。さよなら。」
タン、とバックステップを踏み、後ろに飛び退いて...そのまま落ちていく女。追撃の刃が迫る。しかし刃先が捉えるは空の一点。下に目をやると、女は地上で着地し、太刀を拾い上げ姿を消した。
「.......」
突きの姿勢を崩し、あたりの安全を確認してから警戒を解く男。槍はいつの間にか消えている。
「さて」
「君、なんで、今ここにいられるのかな?」
じゃり、と靴が砂を踏む音。この男のものではない。靴音の主は、動揺のまま、非常階段の入り口へと向かう、が...
「できれば逃げないでほしい」
男は音に視線を向けず、空から突如現れた槍を右手に持ち、音の主に言う。
「この槍を出すのも実は大変でね。それも戦闘となると一塩の苦労が必要だ。それがたとえ相手の命を一方的に奪うものであっても、だ。」
音の主は止まる。
「ありがとう。」
男は振り返り、震える音の主に問う。
「で、君、名前は?」
そこにいた、学ランをきた細身の高校生は答える。
「ふ、藤宮周です...」
男は左手で長槍を持ち替え、右手を腰に当てた。
「フジミヤくん。僕は青坂桜太郎という者だ。良ければ話を聞かせてほしい。いや、よくなくても、だ。」
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