ピーチの柔軟剤(1)

「……縫……生きてる?」

「なんとか……」


 石鳥居の下でひっくり返っているあたしのところへ、峰子が足を引きずりながらやって来た。その後ろでは、フランメさまの青い光をあびた晴神様の社が、キャンプファイヤーみたいに景気よく燃えている。


「死んだ……のかな。メイズさんも、フランメさまも」

「私にわかるわけないでしょバカ。思いついたこと試すので精一杯だったんだから……」

 あたしがどうにか身体を起こして石鳥居に寄りかかると、横に峰子もペタンと座った。

 頭を両足の間に突っこんで、ふはーっとため息をつく峰子。

 あたしもつられて、肺の中の空気を思いっきり吐き出した。


 達成感とか、安心とかはまだ全然なくて、ただ、なにかが終わったという予感だけがしていた。ユーシャンさんや家族のことが気になったけれど、ふたりともスマホが壊れてしまったので連絡のつけようがない。

 山頂から見下ろしたダムの底にはもう火の気はなく、ひっそりとした暗闇が広がっているだけだった。


 なにかお尻に固いものが当たったのに気づいて、つまみあげてみると、あのブロンズ像の頭だった。

「結局、晴神はるがみってなんだったのかな」

 あたしのつぶやきに、峰子が身を乗り出してきた。像の首をひょいとつまみあげると、まじまじと見つめる。

「……縫、おぼえてる? 近見先生が言ってたこと。果南かなんはキリシタンの村だったかもっていう」

「なにそれ」

「……そりゃそうか。ごめん、今のは聞いた私がバカだった」

「ケンカ売ってんの?」

「違うって。もしも……もしも、キリスト教に追われたまつろわぬ神の信徒しんとが、宣教師に混じって日本に来てたとしたら……天気の神……悪魔ベールゼブブは、バアル・ゼブル……初音先輩も、もしかして同じことを……」

「峰子?」

「……なんでもない」

 峰子はぶつぶつ言うのをやめると、像の首を燃える社の中に投げ込んでしまった。

「帰ろ」

 さしだされた峰子の手をとって、あたしは立ちあがった。

 その時、頭の上からごろごろと雷の音が聞こえてきて、あたしたちは思わず顔を見合わせた。



 ぽつりぽつりと降りはじめた雨は、ダムの管理事務所が見えてくるころにはバケツをひっくり返したような土砂降りになっていた。

「雨だ……やった、雨だ!! やったあ!」

 あたしは濡れるのもかまわず、空に向かってガッツポーズをした。これだけ降れば山火事だってきっと鎮火する。実際、行きには見えた山向こうの赤い輝きはすっかり消えてなくなっていた。

 とはいえ、こっちはこっちで大変だ。

 懐中電灯は壊れてしまったし、一応防水とはいえランタンの火もどれだけもつか怪しい。おまけに足元は流れ落ちる泥水で川みたいになっているから、危なっかしいことこの上なかった。


 ダムのすぐ横を歩いているときのことだった。「あっ!」と叫んで、峰子がいきなり足を滑らせた。肩を借りていたあたしは、とっさに腕をつかんで止めようとしたけれど、それも雨ですべってしまう。

 峰子は悲鳴を残しながら、ダムに続く斜面を転げ落ちていった。

「峰子っ!」

 あたしはランタンをその場に置くと、峰子の後を追った。


 ウォータースライダーみたいになった斜面を滑って、というよりは流されていくと、泥の中に峰子が大の字でひっくり返っているのが見えた。

「峰子! 大丈夫?」

「大丈夫、滑っただけ……いたた」

 顔をしかめて、歪んだメガネをかけ直す。さっきとは逆に、あたしのほうが手を取って立たせてやると、峰子は勢いあまってあたしにしがみついてきた。

「とと……なに?」

「縫。ありがとね」

「え?」

「縫が来てくれなかったら、私……私ぃ……」

 ひんやりした身体で、峰子がぎゅっと抱きついてくる。峰子にハグされるなんてちょっと意外だったけど、悪い気はしなかった。初音先輩がいなくなってからずっと気を張ってたんだろう。


 あたしも峰子の身体に腕を回して、背中を軽く叩いてやった。それから思いっきり息を吸うと相手をひきはがし、力いっぱい突き飛ばした。

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