燃える街、嗤う鬼(2)

 果西一中の体育館が避難場所になっていると教えてもらったけれど、どっちみち、あたしはそこへ行くつもりはなかっただった。

 準備を終わらせたあたしは、「先に行ってるから」と玄関先で怒鳴ると、お母さんたちの返事も聞かずに家を飛び出した。自転車を飛ばす。坂を下る。


 果西かさいの街は、紺色の闇にゆっくりのまれはじめていた。その闇の中に、いくつもの赤い光がともっている。煙があがり、消防車のサイレンがいくつも反響していた。

 火事だ。それも、ひとつやふたつじゃない。

 山火事の現場はまだずっと離れているはずだった。それなのに、なぜ?


 答えが出ないまま、待ち合わせ場所に着いた。峰子はもう、街灯の下で待っていた。

「縫」

「峰子! 山火事が……ひ、避難しろって」

「知ってる。でもどっちみち、うちは避難しないから」

「なんで!?」

 峰子はぐっと下くちびるをんだ。

「うち、おばあちゃんと住んでるでしょ。最近、ちょっとボケてきてて……足も悪いし、それで……」

 でも、と言いかけた先の言葉を、あたしはどうにかのみこんだ。

 峰子の家だけじゃない。同じような家族は他にも、いくらだっているはずだ。

 だから代わりに、あたしは言った。

「わかった。……だったら止めよう。あたしたちで」

 峰子はうなずいた。

 言葉にはしなかったけど、ふたりとも、この火事がフランメさまの呪いに関係あると確信していた。

 フランメさま――阿久津蕾果が故郷を憎んでいたのなら。果南村だけじゃなく、もっと広い街を……多くの人を焼こうとしてもおかしくはないはずだ。


「ここから果南ダムまで二十五キロくらい。チャリなら一、二時間で着くと思うけど、山火事のせいであっちこっち通行止めされてるから……」

 峰子が、スマホのマップアプリを指さしながらルートを説明してくれる。幸い、バレー部の練習試合ですぐ近くまで行ったことがあったから、なんとかなりそうだ。

「よし、行こう! 早くしないと……」

 言いかけたあたしの頭上でばちっ、となにかがハネた。街頭のライトにセミかなにかがぶつかったのか、と思って顔を上げると、青い光の軌跡が見えた。

 ぞくり。鳥肌が立つ。

 あたしは周囲を見回した。いる。ブロック塀のすきまに。路上駐車の車の下に。いくつもの青い光が、脈打つようにまたたいている。

 闇の中からわき出てきた青い蛍は、いつの間にかあたしたちを囲んでいた。


「ぬ、縫……」

 峰子も気がついたらしい。声が震えている。

 それを聞いて、こっちは逆に腹が据わった。こいつらと遭遇するのは別にはじめてじゃない。今さら、怖がってやるもんか。

 そう思って、強引に自転車を発進させようとした、そのとき。あたしは気づいてしまった。


 二ブロック先の街灯が地面に投げかけている、円い光。

 その縁に、なにかが見える。街灯の光に入らないギリギリの場所に、人影が立っていた。細長いシルエット。青く小さな光がふたつ、蛍と同じリズムで明滅している。


「ひゅっ……」

 笛みたいな音をたてて、峰子が息を吸った。


 シルエットは動かない。あたしたちも、動けなかった。吸った息が吐けない。開きっぱなしの目が乾く。乾く。乾く。乾く……。

 耐えきれなくなって、まばたきをする。


 目を開けると、視線が合った。目の前。青く光る眼球。高い鼻、青白い肌、逆立った髪。くぱりと開いた口の奥が、ぬらぬらと青く燃えている。


 鼻と鼻が触れあうくらいの至近距離で、フランメさまがあたしを見つめていた。


 バチッ!!

 手に持っていたスマホが、いきなり火花を噴いた。あたしのも、峰子のも。たまらず落っことすと、地面でぱちぱち音をたてて燃えはじめる。

 峰子があとずさろうとして、自転車にけつまずいて転んだ。身をかがめていたフランメさまがゆっくり背を伸ばして、峰子を見た。

 ヒールの高さも含めると、あたしより頭ひとつ背が高い。青いサテンのドレスが、街灯の光にぬめぬめと輝いている。ひょろりとやせた長い腕が持ち上がって、峰子に指先をむけた。


 あたしは咄嗟とっさに落ちていた石を拾うと、フランメさまに投げつける。

 当たった。

 と、思った瞬間フランメさまの姿は黒い粒になってぱっと飛び散り、石だけが真下に落ちてアスファルトで跳ねた。

 目の前には、なにもいない。


「えっ……」


 かさり。

 虫の脚みたいなものが、首筋をかすめた。

 ゾクッとして振り向くとすぐ後ろにいた。手が伸びてくる。包帯を巻いた右腕で振り払おうとしたけど、つかまれた。ジュッと煙があがって、包帯が燃えはじめた。


「縫! 目!!」


 視界のはしで、峰子がなにか振りかぶるのが見えた。反射的に目をつぶって、空いた左手で頭をかばう。

 バン、と破裂音がして、プラスチックの破片みたいなものが頭に当たった。ツンとトイレのにおいがする。

 目を開けると、フランメさまも、包帯についた火も消えていた。足元では、セッケン水みたいな泡混じりの水の中で、四、五匹の蛍がもがいている。


 代わりに、青い蛍たちが騒ぎはじめた。


 ぶ。

 ぶ、ぶぶ。

 ぶぶぶぶぶ。


 飛び回る黒い影で、街灯の光がかすむ。


 峰子が倒れた自転車をガタガタと引っぱり起こす。あたしも急いで、自分の自転車にまたがった。

「今投げたの、なに!?」

「消火ボトル! 簡単に割れて、中に消火剤が入ってるやつ。一個しかないとっておきだったのに……」

 そう言って峰子が向き直った先の路地には、蛍の群れが星雲みたいに渦巻いていた。

 ふたりそろって固まる。いくらなんでも、あの中に突っこんでいく勇気はない。


 呆然としていると、雲の中からにじみ出るように、フランメさまが再び姿を現した。

 その、両目の炎が強く光った瞬間、頭の上で街灯が砕けた。火花が上から降ってくる。


 あたしと峰子はたまらずUターンして逃げ出した。がむしゃらに自転車を走らせる。これでは目的地と逆方向に行ってしまうけど、どうしようもない。

 行く先で、また街灯が火花をふいた。自動販売機の蛍光灯が弾けて燃えあがる。

 それを避けて自転車を走らせるうちに、どんどんおかしな道へ入りこんでゆく。家の近所のよく知った道のはずなのに、自分がどこを走っているのかわからない。毎日通っている道の、知らない脇道。地蔵でふさがれた石段。あさってを向いたカーブミラー。十字路の真ん中に立つポスト。見覚えのある屋根が、カーブを曲がると消えてしまう。


 なんだこれ。おかしい。


 変だと気づいてスピードを落とした瞬間、目の前の横道からフランメさまがヌウッと現れた。

 ハンドルを切ってよける。タイヤが横滑りした。

 あたしは盛大にすっ転んで、自転車から投げ出された。ふとももが砂利でこすれる。制服のスカートのまま飛び出してきたのを全力で後悔した。

 あたしが転がり込んだのは、民家の門の中だった。立ちあがろうとしたけどよろけて、しりもちをついてしまう。自転車ですべりこんできた峰子が、ペダルを蹴って飛びおりた。

「縫! 平気!?」


 道の向こうから、フランメさまが近づいてくる。

 平均台を歩くみたいな、ゆらゆらした不安定な動きだ。ロングスカートのすそが波打つ。整った顔に笑みが浮かぶと、画像加工に失敗した顔みたいに印象が歪んだ。あたしは座ったままあとずさった。ポケットのマッチが心配だ。スマホや電灯を発火させられるなら、これも危ないかも……。

 と、思ったそのとき、フランメさまがぴたりと止まった。

 そこに見えないラインがあるように、門より中に入ってこない。かと思うと動画の逆再生みたいにするするとバックして、出てきた闇の中に消えていってしまう。あれほどたくさんいた蛍も、気づけば一匹もいない。

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