うどんと呪文(1)

 その日の夜、また夢を見た。


 家の中が燃えていた。壁も床も、天井も。あたしは必死で出口を探している。廊下が長い。ぐねぐね折れ曲がりながら、どこまでも続いている。ピンクの壁紙には見覚えがあった。何度か遊びに行ったクミマミの家だ。

 だけど、ああ。どうしてこんなに廊下が長いんだろう。これじゃまるで迷路だ。


 突き当りのドアを開くと、夫婦の寝室らしき場所に出た。サイドボードの上で家族写真が燃えている。写っているクミとマミはまだ小学生くらいだ。それにしても熱い。水。水がほしい。

 あたしは掃き出し窓からベランダに飛び出した、と思ったらそこはなぜか畳敷きの仏間で、燃える仏壇の中には、体育座りした府頭先生がぎゅうぎゅうに詰まって、白目しかない目玉であたしを見ていた。あたしはもつれる足を必死に動かして逃げた。ふすまに体当たりしてなぎ倒す。そこはキッチンだった。

 家の間取りとしてはめちゃくちゃだ。でもそんなことより水だ。やっと水が飲める。


 あたしは流しに突進すると、蛇口の下に頭を突っこんだ。水の栓をひねる。だけど蛇口ではなくそれはガスコンロのつまみで、水の代わりに噴き出たのは炎だった。

 熱い!!



 そこで目が覚めた。

 そこは熊野家のキッチンじゃなくあたしの部屋で、もちろんどこも燃えてなんかいなかった。うだるような熱帯夜で汗だくなのに、歯がガチガチ鳴るほど体が冷えていた。ずり落ちたかけ布団をひっぱりあげようとしたとき、背中で音がした。


 から、ころ。

 ……クス。クスクスクス。


 飴玉あめだまを口の中で転がす音。そして……しのび笑い。

 いる。あたしの後ろに。

 まるで氷の塊が置いてあるみたいに、冷気が伝わってくる。

 でも、そんなことありえない。これは夢だ。メイズさんに見せられてるだけだ。早く覚めろ。覚めろ、覚めろ、覚めろ……。

「あーぶくたった……煮えたった……」

 ひやりと冷たい息が、首筋をなでた。

「煮えたかどうだか、食べてみよぉ……クスクスクス……」


 がりっ。


 あめみ砕く音に驚いて目を覚ますと、なにもない暗闇に、ねっとりした熱気だけが残っていた。



 結局寝つけないまま朝が来た。お母さんにむりやり起こされて、鉛みたいな体をひきずりながらリビングに降りていくと、テレビの中が燃えていた。

「なにこれ」

「山火事だって。すぐ近くよ。果南かなんのほう」

 ヘリコプターに乗ったリポーターが、風の音に負けじと怒鳴っている。


 昨日深夜、果南山で発生した山火事はなおも勢力を拡大しており――。

 現地の消防が消火活動にあたっていますが、枯渇中の果南ダムからは消火用水を確保することができないため――。


 画面の中では森が揺れて、白い煙を無限に吐き出していた。ヘビの舌みたいなオレンジの炎がチロチロと揺れているのをぼうっと見つめていると、遠慮がちに肩を叩かれた。

 お母さんだった。ひどく不安そうな顔をしている。

「熊野さんのお葬式……お昼からよね。制服、アイロンかけておいたから」


 マミが死んだことは、昨日、バレー部保護者の連絡網でも回ってきていた。

 噂好きのおばさんたちは頼まれもしないのに、マミの死にかたまでうちのお母さんに教えてくれたらしい。

 マミは自殺した。

 コンロに自分の頭をのっけて、火をつけたんだそうだ。

 だけどマミはただ水を飲もうとしていたんだと、あたしだけはわかっていた。



 朝食は喉を通らなくて、牛乳をコップに半分だけ飲んだ。

 マミのお葬式に行くと言って家を出たけど、足がそっちに向かない。

 本当なら、昨日ユーシャンさんから聞いた話を詩歌先輩たちに伝えるべきだ。だけど、みんながもうあたしの言葉を信じてはくれないだろうということもわかっていた。昨日の、

『おまえのせいだ』

 が、あたしの心に重くのしかかっていた。


 家に一番近いコンビニでぼーっとドリンクの棚を眺めていると、峰子から電話がかかってきた。

『初音先輩が……いなくなっちゃった』

「え?」

『昨日の夜、初音先輩とズミちゃんにメールしたの。ユーシャンさんから聞いた話と、あんたの話をね。そしたら、電話がかかってきて……』



ミネちゃん、すまない。私が間違っていた。たとえ戯れだろうと……いや、戯れだからこそ、呪いなんてものに手を出すべきじゃなかった』

「先輩? どういう……ことですか」

『フランメさまは実在する。実在するんだ。……けど大丈夫。私がこれから行って、終わらせてくる。ミネちゃんたちはなにも心配しなくていい』

「行くって……待ってください先輩! 私、なにもわからな……」

『紗々美には本当に申し訳ないことをした。詩歌たちにも。……責任は果たすよ。それじゃあ』



『それっきり何度かけ直しても、出てくれなくて。だから今、先輩の家に行ってきたの。だけどご両親は、どうせどっかで遊び回ってるんでしょう、って……』

 峰子の声は震えていた。

「なんか冷たくない? 自分の子供なのに」

『……あんまり、ご両親とうまくいってないって言ってた』

 そうだったのか。あの初音先輩にも、人間らしい悩みがあったんだな。

『初音先輩、どこ行っちゃったんだろう……。なんかいつもの初音先輩じゃないみたいだったの。すごく思いつめてて……どうしよう。先輩になにかあったら、私……』

 ちょっと前のあたしだったら、あんな不良なんてほっとけば、とでも言っていただろう。でも今は、峰子の気持ちが痛いくらいわかった。自分の居場所だった人達がばらばらになっていく。それは、なによりも怖いことだった。


「どうする、峰子? 初音先輩、探しに行く?」

『…………』

 長い沈黙のあと、峰子は言った。

『ううん。たぶん、闇雲に探したって見つからない。それより昨日、ユーシャンさんに頼まれたことをやるべきだと思う。フランメさまのことを調べるの。一応、私なりに作戦も立ててみたから……縫、手伝ってくれる?』

「もちろん」

 これからすぐ、図書館で落ち合うことになった。

 不安はつのるばかりだったけど、あたしは、ひとまずやることができてホッとしてもいた。

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