灼熱の夏(3)

「お前ら、なにやってる」

 開口一番、府頭先生が言った。

 声の威圧感に、それまで騒然としていた体育館がシンとなる。


 府頭先生はデカい。大学時代、バレーの全国大会で優勝したというだけあってタテにも大きいが、筋肉とビールっ腹のおかげでヨコ幅と奥行きもかなりのものだ。そこに生えぎわの後退した額と毛むくじゃらの長い腕が合わさって、まあ、その、なんというか、オランウータン呼ばわりされるのもしょうがない感じになっている。

 とはいえ、面と向かってそんなことを言う勇気は誰にもない。


「先生。バスケ部が、朝練を代われと言ってきているんですが」

 詩歌先輩が、みなを代表して報告した。

「あぁん? そんなことは……」

 と、言いかけた府頭先生が、ふと目を丸くして黙りこんだ。

 詩歌先輩が目を細める。

「……先生?」

「あ、ああ、すまん。そのことは……確か、近見先生のほうからバレー部に連絡が行ってるはずだがな。聞いてないのか」

「ええっ!?」

 と、誰よりも大きな声をあげたのは、近見先生本人だった。

 府頭先生が、それをじろりとにらむ。

「なにがええっ、だ。あんた、昨日言ったじゃないか。バレー部の子たちには私から話しておきますって」

「そんな。私、そんなことは……」

「ああ? 教師のくせに、自分で言ったことも覚えてないのか。おたくの生徒が珍しくまじめに練習したいというから、こっちは県大会けんたい前の貴重な時間を割いて譲ってやったんだぞ。あんた、うちの部員たちに無駄足踏ませて、申し訳ないと思わないのかね」

 強い調子でたたみかけられて、近見先生はあっという間に涙目になった。叱られた小学生みたいにぐっとくちびるをんで、うつむいてしまう。


 そのとき、すっかり小さくなった近見先生をかばうようにして、初音先輩が前に出た。

「みっともないな。パワハラはやめましょうよ、府頭先生。どうせ、自分が連絡し忘れていたんでしょう? それをチカちゃんのせいにするなんて、とても大人のやることとは思えませんね」

 口調は軽いけれど、目はマジだ。初音先輩はかなりキレている。けれど、この場では府頭先生が一枚上手だった。

「近見先生。あんた、自分が言い返せないからって、生徒に代わりをさせるのかね。あんた何歳いくつだね。恥ずかしいと思わんのかね」

「チカちゃんは関係ない! 話してるのは私だ。私を見ろ!」

「おやおや、まったくひどい言葉遣いだ。こんな問題児を部長にしておくなんて、バスケ部の顧問としてあんた、自分の責任をどう考えてるのかね」

 府頭先生はにやにや笑いながら言った。あくまで初音先輩の相手はせず、近見先生を攻撃することに決めたみたいだった。


 初音先輩は、自分が反論すればするほど近見先生の立場を悪くすることに気づいたらしい。口にしかけていた言葉をグッと飲みこむと、近見先生の腕を引きながらきびすを返そうとした。

「ふん。オランウータンには人間の言葉が通じないらしい。行こうチカちゃん。こんな連中、相手にするだけ時間のムダさ」

「おやおや、どこに行く? 朝練はもういいのか、東山?」

 勝ち誇ったように言う府頭先生を、初音先輩がキッとにらみつける。そして低い声で、なにかをぼそりとつぶやいた。

「……メさまに……しまえ」

「あぁ?」

「なんでもありません。体育館の使用権はつつしんでお返ししますので、バレーでもサル踊りでもどうぞご自由に。さあ戻ろうチカちゃん。みんなも」

 そう言って、初音先輩はまだオロオロしている近見先生の手を引きながら、さっさと歩き去ってしまった。他のバスケ部員たちもそれに続く。

 峰子は去りぎわ、あたしのほうを恨めしそうな顔で見ていった。なんでだよ。あたしなにも悪いことしてないじゃん。


 体育館に気まずい沈黙がおりた。それをむりやり塗り替えようとするみたいに、府頭先生が怒鳴る。

「おら、なにしてる。時間大事にしろ! 朝練朝練!!」

 バレー部は全員、お尻に火がついたみたいに動き出した。



「……さっきのアレさあ。明らか府頭センセが悪いよねー」

 朝練を終えて、体育館の更衣室で着替えをしていると、クミがそう言った。

「わかるぅ。一瞬、『あっヤベ』みたいな顔したもんねー」

 姉の言葉に、マミが同意する。

「まー確かにさっきの近見先生、ちょっとかわいそうだったかもね」

 あたしが言うと、クミもマミもそろって「うんうん」とうなずいた。

 この双子、一卵性で声も顔も動きもそっくりなので、しょっちゅうどっちがどっちかわからなくなる。同じ二年生レギュラーということで、つきあいは結構長いんだけど。


「……私は、近見先生に同情する気にはならないわね。たとえ、府頭先生の勘違いが原因だったとしても」

 そう言って会話に加わってきたのは、「仏の西林」こと詩歌先輩である。

「なんでですか?」

「だって……自分が間違っていないなら、まずちゃんとそう言うべきじゃない? あんなふうに黙りこんで、あげく中学生の初音にかばってもらうなんて。大人として頼りなさすぎるんじゃないかしら。あれなら、少しくらい性格に難があったとしても、私は府頭先生に指導してほしいわ」

「それは、まあ……」

 確かに、自分の部の顧問が実際あんなヘナチョコだったら不安になるかも。

 その点、府頭先生には実績がある。先生が指導している男女バレー部はこれまで県大会に毎年出場。四国大会に進出したのも一度や二度じゃなく、PTAからは「今年こそ全国大会!」と期待されまくっている。

 自分達のために戦ってくれるどころか逆にかばってあげなくちゃいけない顧問と、厳しくても上の大会に連れていってくれるかもしれない顧問。これだったら、あたしも後者を選ぶ。

 どうせなら、やっぱ全国とか行きたいし。


「でもさー。初音センパイ、めっちゃキレてたし。なんかコワくない?」

「それそれ。なんか最後、ボソボソって言ってたじゃん。あれ、呪いじゃないのかな?」

「呪い?」

 なんじゃそりゃ。

「縫っち知らないの? 初音センパイって、なんかオカルトとか黒魔術とか詳しいらしいよ?」

「バスケ部の子たちと夜中に集まって、なーんかアヤシーことしてるって。有名だよ?」

「マジ? いや、あたし、なんかあの人のこと苦手でさ。噂話とかも聞かないようにしてたから」

 変な人だとは思ってたけど、オカルト趣味まであったなんて知らなかった。どうせ峰子のやつもそれに参加してるんだろうなと思うと、ますますげんなりした気持ちになる。

「クミ、マミ。そんな噂、真に受けるのはやめなさい。確かに初音は、昔からおかしな子だったけど……それだけよ。呪いなんて」

 詩歌先輩が肩をすくめた。

 初音先輩と詩歌先輩は同じ小学校の出身で、家も近所にあるそうだ。ちょうどあたしと峰子みたいな腐れ縁なのかもしれない。


 そのとき、これまで黙々と着替えていた蓮先輩が、小さいけれどはっきりした声でこう言った。

「……本当に、呪いだったのかもしれない」

 更衣室にいた三十人近くの視線が、一斉に彼女へ向いた。

「あたし、東山の言葉が聞こえたんだ。昇降口の近くに立ってたから」

「……なんて、言ってたんですか?」

 思わず、そうたずねてしまう。


「意味はよくわからないけど、こんなふうに言ってた。……『フランメさまに焼かれてしまえ』って」

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