第87話 王都ルディナリアへ
セシルがやって来た日から、王都ルディナリアへの定期船が出発するまで二日あった。
ミズトは、その間に少しだけあった心残りを片付けるつもりで、スラム街にいるダニエルとボニーを訪ねていた。
「なんだよ兄ちゃん、今日は来る日じゃないだろ? 急にどうしたんだよ。ボニーが喜んでるからいいけどさ」
いつものように、妹のボニーとクロが遊ぶ姿を眺めながら、ミズトは兄のダニエルと並んで座っていた。
まだ八歳のダニエルは、たった一人で妹を食べさせるために、スリや窃盗など犯罪まがいなものに手を出していた。
それを知るミズトは定期的にクロを連れてくるついでに、パンや果物など食べ物を分けていたが、お金を渡そうとすると決して受け取ってもらえなかった。
どうしても大人の世話にはなりたくないと、彼の信念がそう言うのだが、ミズトからお金を盗もうとしていたくせに、何を言っているのやらとミズトは思っていた。
それでも、そこまで言うのなら無理強いはできないので、ミズトはそれ以上のことはしてこなかった。
「ダニエル君、今日はお別れを言いに来たんだ」
「えっ……!?」
ダニエルは隣に座るミズトを、驚いた表情で見上げた。
「おじさんは明日、この町を出ることになってね。だから挨拶に来たんだ」
「この町を? そっか……ボニーが悲しむけど、仕方ないよな……」
「そうだね、ボニーちゃんには悪いけど……。そこでだ、ダニエル君。一つ提案なんだけど、おじさんと取引しないか?」
「と、取引? なんだよ急に……、俺に難しいこと言うなよ……」
「まあ聞いてよ。取引って言うのはね、おじさんがお金を稼ぐ方法を教えるから、ダニエル君とボニーちゃんは教会の孤児院に入らないか?」
「なっ!? なんだよ兄ちゃん! いつからニックの兄ちゃんの手先になったんだよ!!」
ダニエルは立ち上がりミズトを睨みつけた。
「いや、そういうんじゃないよ。でも、君だってボニーちゃんをこのままには出来ないって分かっているだろ?」
「そ、そうだけどさ……」
「こんな生活、いつか限界になるのは分かり切っている。だから、二人には孤児院に入ってもらいたいんだ」
「兄ちゃんの言いたいことは分かったけど、でもあそこは……」
「ダニエル君。君がニックの誘いを断っていたのは、教会の孤児院が寄付金不足で生活に困っているのを知っていたからだろ?」
「は? な、なんでそうなるんだよ」
ダニエルはまた座り込んだ。
「君がたまに孤児院の様子を見に来てたこと、気付いていたよ。そこでお金に困っていることを知ったんだよね? そんな中に自分たち兄妹が入ったら、もっと困るだろうと思って拒否していたんだろ? おじさんには分かっているよ」
【それはわたしの意見です】
(……エデンさんは黙ってて。今いい話をしてるとこ)
「なんだよ……それ……」
ダニエルは否定できず、顔を伏せた。
「そこでさっきの取引だ。お金を稼ぐ方法を教えるから、それで稼いだ分は孤児院へ渡すのはどうだろう? 孤児院だって助かるだろうし、君たちが生きていく
「そ、そんなうまい話…………あるのか? 俺でも稼げるのか?」
ダニエルは再び顔を上げミズトを見た。
「ああ、君でも出来ることだ。ポーションの材料である薬草を採取して、ポーション屋に買い取ってもらうのさ。大きく稼ぐことは出来ないが、子どもの君でも食べていくぐらいにはなるはずだ。薬草の見分け方と、生えている場所さえ分かればね」
「なんだ……そんなの無理だって、俺でも分かるよ……。俺たち子供は、町の外には出られないし、身分証がないとお店では買い取ってもらえないんだぜ? 兄ちゃん知らないのか?」
ダニエルはがっかりした表情を隠さずに言った。
「それがね、実は大丈夫なんだよ」
ミズトは無意識のうちに得意げな表情をしていた。
*
翌日、ミズトは王都ルディナリア行きの定期船に、セシルと一緒に乗り込んでいた。
「ミズト、何かやり残したことがあると言ってたけど、終わったの?」
甲板で潮風を受けながら、セシルが訊いてきた。
「はい、お世話になった方には、一通り挨拶を済ませました」
エシュロキアは何か月も滞在した町なので、それなりに顔見知りも増えていた。
同じ冒険者のニックたち。冒険者ギルドのトリスターノやベティ。ずっと泊まっていた宿屋の女将さんや、よく行くお店の店主たち。もう顔を出せなくなった孤児院にも挨拶に回った。
王女クレアと王国騎士エドガーは、身分を打ち明けたので冒険者は続けられず、すでに町を後にしていたようだ。
あとは幼い兄弟のダニエルとボニー。
【ダニエル君たちが孤児院に入ることになり良かったです】
(ああ、そうだな。ダニエルでも稼ぐ方法があって助かった)
ミズトはエデンに答えた。
ダニエルに教えた薬草の群生場所は、エシュロキアの敷地内だった。
それは『エシュロキア迷宮』付近にある林の中にあり、モンスターが出現することもなく、子どもでも安全に薬草採取をすることが出来るのだ。
意外にダニエルは物覚えが良く、薬草の見分け方も簡単に理解したので、一人で薬草採取を続けることが出来そうだった。
もう一つの懸念事項、身分証のない孤児がどうやって買い取ってもらうかについては、解決策は簡単だった。
B級冒険者の紹介があれば身分証が不要だったのだ。
この世界では誰でもなれるのが冒険者なのだが、実力と実績、さらには推薦も必要なC級以上の冒険者は、ミズトが想像していたより待遇が特別だった。
とくに、フェアリプス王国に数組しかいないB級ともなると、貴族と同等になるほどだ。
そんなB級冒険者が紹介すれば、孤児が一般市民と同様の扱いを受けることができるのだ。
おかげでダニエルはミズトの取引に応じ、教会の孤児院に入った。ミズトの心残りは、これで取り除かれたのだ。
ただ、クロと別れることを泣いて拒んだボニーや孤児院の子たちを見るのは、かなり気が引けたのだが、本当は犬ではないクロを置いていくわけはなく、どんなに泣いても諦めてもらうしかなかった。
【さすがミズトさんでした。子どもや老人にはとても優しく親切です】
(は? なんかエデンさん勘違いしてるけど、別に慈善活動したわけじゃないからな。これだけ関わっておいて放置したまま去るのは、心に引っ掛かってスッキリしないってだけだ。本当は異世界から来た俺なんかが関わることじゃないって思ってんだぞ?)
【はい、もちろんです】
(あとな、何度も言うけど俺は善人ってわけでもないけど悪人ってわけでもないからな。ごく普通の人間は、子どもや老人には優しくするだろ。俺も普通ってだけだからな)
【はい、おっしゃる通りです】
(…………)
これ以上言っても何も響く気がしなかったので、ミズトはそこで話を切った。
空を見上げると、雲一つない澄みきった青空が広がっていた。
もはや違和感を覚えることもなくなった二つの月が、今日は昼間から見えている。
ミズトがこの世界に転生してから、半年以上が過ぎていた。
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