運命の歯車(1)
転校してからはじめて、わたしが友達を家に――それも、左手を血まみれにした状態で連れてきたので、お母さんはびっくり仰天していた。
とはいえ、出血のわりにウーさんの傷は大したことはなかった。血はとっくに乾いていたし、腕時計のゴムバンドの下にある傷も小指の先くらいしかない。そこにも、もうカサブタができかかっていた。
「なんだか、深月のアザと似たような傷ねえ」
ウーさんの傷口に消毒スプレーをかけながら、お母さんはつぶやいた。
「え?」
と、同時に声をあげたのはわたしとウーさんだ。
バンソウコウを貼る前に、ウーさんの傷口をもう一度よく見せてもらう。
すると、確かにそれは見覚えのある形をしていた。円の中に、アルファベットの「S」を書いたように見える形……わたしが普段、腕時計のバンドで隠しているアザと、形も、大きさも、場所もそっくりだ。
わたしがその説明をして、自分のアザを見せると、ウーさんはますます混乱したように見えた。
「おかしいな。うちも、代々同じアザがあるんだけど」
「えっ? じゃあ……元々あったアザの形どおりに、傷ができたってこと?」
「それも不思議だけど、私と瀬戸に同じアザがあるほうが問題じゃないの。私はこれ、遺伝だと思ってたんだけど」
「あ、そっか。遺伝だったら……」
わたしとウーさんの先祖に同じ人がいる……ってことになる。
「でも、そんなはずないよね。ウーさんちは台湾だし、うちは日本だし」
「だよね。あ……だけど……」
ウーさんは少し困ったふうに、
「私のひいじいちゃん、確か昔、日本に来たことあったはず。それも、ここに」
「ここ、って?」
「この街。北斗市。私、本格的に引っ越してきたのは三年前だけど、小さい頃から台湾と行ったり来たりしてたんだ。両親の仕事の都合で。……で、確かそのころ、ばあちゃんに教えてもらった気がする。『北斗市には、ユーシャンのひいじいちゃんが一度来たことがあるんだよ』って」
「そうだったんだ……。でも、だとしてもわたしとは関係ないよ。うちはずっと東京だし……」
「違うわよ」
と、話の途中で割りこんできたのは、ウーさんの治療を終えておやつを取りに行っていたお母さんだった。お盆に乗ったドーナツショップの紙箱からは、わたしの好きなイチゴのにおいがする。
「あ、イチゴ! わたしがもらっていい?」
「こらこら。お客さんが先でしょ」
苦笑しながらお母さんが箱を開けると、予想通り、中にはイチゴとチョコとプレーンのドーナツが並んでいる。それを見たウーさんが目を丸くした。
「なんでわかったの、イチゴって」
「においで。わたし鼻いいんだ。……えっと、それで? お母さん、今何か言いかけなかった?」
あんたが腰を折ったんでしょ、と苦笑しながら、お母さんはわたしたちにアイスティーのグラスをくれる。
「確かにお父さんの家系はみんな東京だけどね。私のおじいちゃんは、元々このあたりに住んでたの。深月からすると、ひいおじいちゃんね」
「えっ!? なにそれ」
「あれ、引っ越しが決まったとき言わなかったっけ? 私のお母さん――つまり深月のおばあちゃんが若いうちに東京へ出ていったけど、ひいおじいちゃんはこの市内から離れなかったの。深月が生まれるずっと前に亡くなっちゃったけどね。住んでた家も土地ごと売っちゃったけど、まだ取り壊されずに残ってるみたいよ。知らないかな? 丘の上のほうにあって……昔は、立派な生垣の迷路があったんだけど」
それを聞いた瞬間、わたしとウーさんは同時に「ぶっ!」とアイスティーを吹きだしてしまった。
間違いない。メイズハウスのことだ。
じゃあ、真珠ちゃんが話していた、昔メイズハウスに住んでいたお金持ちのおじいさんって……わたしのひいおじいちゃんなの!?
メイズさんの正体は、その孫という話だから……要するに、わたしのお母さんのことだ。
……って、いやいや、それはおかしい。お母さん、まだ生きてるし。
だけど、それじゃあメイズさんって、何者なんだ?
「……わけがわからない」
ウーさんはそう言って、かぶりを振った。
わたしも同じ気持ちだった。
家に帰るというウーさんを、わたしは途中まで、自転車の後ろに乗せていくことになった(本当は、ふたり乗り禁止なんだけど)。
ペダルを漕ぎながら、わたしの頭の中では、これまでに起きたことがぐるぐると渦を巻いていた。夢で会ったメイズさん。絶対的中のメイズさん占い。メイズハウスの噂と、今日、わたしたちがあの場所で見たもの。わたしとウーさんの左手にある同じアザ。そして今からずっと昔、わたしたちのひいおじいさんがふたりとも、この北斗市にいたらしいということ……。
これが全部、偶然だなんてありえないと思う。だからといって、それがどうつながるのかもさっぱり見当がつかない。考えれば考えるほどこんがらかってくる。
「ここでいい」
と、ウーさんがわたしの肩を叩いた。
わたしが自転車を停めると、ウーさんがひょいと飛び降りて、軽く頭を下げた。
「ありがとう」
「どういたしまして。それと……その、ごめん」
「……? なにに謝ってるの」
「いや、なんか、わたしのせいで面倒なことに巻きこんじゃったかもって……」
もとはといえば、わたしがトンチンカンな思いこみで、ウーさんに占いのことを教えてしまったのが原因なのだ。
「どうかな」
ウーさんは腕組みをすると、厳しい目で遠くを見つめた。
「瀬戸のせいじゃないと思う。もしかしたら、最初から誰かに仕組まれてたのかもしれない。私が日本に来ることも……宮島真珠とぶつかることも」
「うっ」
名前が出るまで、真珠ちゃんのことを忘れていた。
「はぁ。明日になったら、女子みんなから無視されるんだろうなぁ……。学校行きたくないなぁ」
「……そんなにイヤなら、私におせっかいなんか焼かなければよかったのに」
「そ……それはそれでイヤだったんだもん」
「そっか」
ウーさんはくすりと笑うと、私の背中をポンと叩いた。
「まだ、宮島たちから助けてもらったときのお礼、言ってなかったね。ありがとう瀬戸。うれしかったよ」
「いや、そんな……」
そんなふうに改まって言われると、めちゃくちゃ恥ずかしい。
わたしは顔がカッと熱くなるのを感じた。……ええい、恥ずかしいついでだ。さっきから思っていたのに言えなかったこと、ここで言ってしまおう。
「あ、あのさ。せっかく、無視され仲間になるんだし……これからは、下の名前で呼んでくれない? 瀬戸じゃなくて、深月……ってさ」
「無視され仲間って」
ウーさんは苦笑いしつつも、頷いてくれた。
「わかった、深月。なら私のこともユーシャンでいい。……また明日」
「うん。また明日。……ユーシャン」
わたしたちは手を振って別れると、それぞれの家に向かった。
さっきウーさん──ユーシャンに叩かれた背中が、まだほんのり暖かかった。
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