教室の女王(3)

 六月もそろそろ終ろうという、ある日の放課後。

 真珠ちゃんグループに混ざって遊ぶのが億劫になっていたわたしは、「図書室に本を返さなくちゃいけないから……」とウソをついて、さっさと教室を抜け出した。


 はじめて入った図書室はひんやりしていて、薄暗く、ほとんど人の気配がなかった。古い紙のにおいで、なんだか落ち着く。

 適当に時間をつぶすつもりで、小説の棚を端から順に見ながら歩いていると、いきなり通路の角から人影が現れた。危なく鉢合わせしそうになって、「わっ」と声が出てしまう。しかもその相手の顔を見て、わたしは二度驚いた。

 ウーさんだった。

 彼女とは転校以来、一度も話していない。でも、真珠ちゃんグループの一員であるわたしのことを、よく思っているはずがなかった。

 わたしはあわてて回れ右をする。

「ご、ごめんなさい。それじゃ」

「待って」

 腕をぎゅっと、強い力でつかまれた。そのまま、海外小説コーナーの隅っこへ引っぱりこまれる。司書の先生はもちろん、他の誰からも見えない場所だ。

 こ、これってもしかして、闇討ちってやつですか。ごめんなさいごめんなさい痛いのはやめて。わたしケンカ弱いんです。

 わたしはカメみたいに丸まって身を固くしていたけれど、予想に反して、パンチもキックも飛んではこなかった。ウーさんはただ、切れ長の瞳で、ちょっと困ったふうにわたしを見つめているだけだ。

「……瀬戸。あのさ」

「は、はひ」

「あんた、あいつらにいじめられてる?」

「へっ?」

 思いがけない話題に、わたしはポカンとしてしまう。ウーさんの口調はぶっきらぼうだったけれど、声にわたしを責める響きはなかった。

「あいつら、って……」

「宮島真珠とか。倉橋ゆにとか」

 真剣な目つき。どうやら、わたしのことを本気で心配してくれてるみたいだ。わたしは、あわてて首を左右に振った。

「い、いじめられてなんかないよ。全然」

「……ほんとに?」

「ほんと、ほんと」

「なら、いいけど」

 ウーさんはちょっと気まずそうな顔をして、わたしから目をそらした。

「……どうして、わたしがいじめられてるって思ったの?」

「別に、大した理由はないけど。……私があいつらと仲悪いの、知ってるでしょ」

「うん、まあ……」

「あいつら、あんたが転校してくるまでは毎日、私に意地悪してきてた。私の日本語がおかしいから直してやるとか言ってきてさ」

 うわうわ。

 でもわかる。真珠ちゃんはそういうことをやるタイプだ。面と向かって悪口を言ったりしてはこないけど、こっちのミスやうっかりは絶対に見逃さない。ウーさんの日本語は全然おかしくないけれど、それでも、ちょっとつっけんどんに聞こえるときがある。粗を探そうと思えばいくらでも探せただろう。

「でも最近は、それがなくて……。逆に気になってた。これって、私をイジるのに飽きたか、別のターゲットを見つけたかのどっちかしかないと思って」

 なるほど。ウーさんは、わたしが自分の代わりにいじめられてるんじゃないかと思ったんだ。

 そんなことも知らずに怖がっていた自分が、わたしは急に恥ずかしくなった。

「だ、大丈夫。そんなんじゃないから。真珠ちゃんたちは今、その……新しい遊びにハマってるの。それだけだから」

 さすがに、幽霊の力を借りて占いをしてるとは言えない。

「そう。……余計なお世話だったか。ごめん。……それじゃ」

 ウーさんは肩をすくめると、さっさとその場を立ち去ってしまった。「心配してくれてありがとう」とお礼を言うひまもなかった。


 だけど、わたしはちょっとだけうれしかった。

 わたしが真珠ちゃん達にメイズさん占いの秘密を広めたことで、結果的に、ウーさんは嫌な思いをしなくてよくなったわけだ。わたしも少しはいいことをした、と言えなくもない。真珠ちゃんの手前、わたしとウーさんが仲良くするというのは難しいだろうけど、このままわたしも、真珠ちゃんも、ウーさんも、お互いにケンカしたりせず平和にすごせれば、それが一番だと思った。



 七月に入るとすぐ、席替えと、クラスで飼っているカメの飼育当番決めがあった。

 飼育当番ふたりのうち、ひとりはジャンケンでウーさんに決まった。するとすぐに、むかい秀人ひでとくんというクラスの男子が、もうひとりの飼育当番に立候補した。

 向くんはサッカー部のスポーツマンで、わたしの好みではないけれどけっこうイケメンだ。そしておそらく、彼はウーさんのことが好きなのだった。


 飼育当番になって以来、ウーさんと向くんは一緒にいることが多くなった。どちらかというといつもムスッとした顔をしているウーさんに、向くんは毎日、がんばって話しかけているみたいだった。

 そして一週間もたつころには、ときどきだけれど、ウーさんも向くんの冗談に笑ったりするようになった。


 それは、わたしにとってもホッとするできごとだった。

 わたしはウーさんを仲間外れにしている真珠ちゃんグループの中にいる。グループのメンバーじゃない他の女の子たちだって、真珠ちゃんに遠慮して、みんなウーさんから距離をとっていた。わたしにみんなを責める権利はない。わたしにだって、仲間外れなんてやめようよと真珠ちゃんに意見する勇気はないからだ。真珠ちゃんはこのクラスの女子たちにとって、女王様みたいな存在だった。

 だからこそ、ウーさんが女子のグループと関係ないところで楽しく過ごすことができるなら、それはそれでいいなと思っていたのだ。


 ……だけど、それを望まない子もいた。真珠ちゃんグループのナンバー2、倉橋ゆにちゃんだ。

 実は、ゆにちゃんは前から向くんに片想いしていたのだ。


 ある日の放課後、メイズさん占いの秘密を知る五人だけが集まって話しているときに、わたしはそれを知った。

「向くん、ひどいよね。ゆにちゃんの気持ちも考えないで、ウーさんなんかにデレデレしてさ」

「いや、ひどいのはウーさんだって。先に向くんのこと好きになったのはゆにちゃんなんだから、普通、そこは譲るでしょ。ありえない」

 蒲刈若菜ちゃんと大崎絵美ちゃんがぷりぷりと怒っている。反対に、ゆにちゃんはかなり落ちこんでいるみたいだ。いつもは誰よりもおしゃべりなのに、今日はくちびるをギュッと結んでうつむいてばかりいる。

 確かに、ゆにちゃんはかわいそうだと思うけど……。

(ゆにちゃんは、別に告白したわけじゃないんでしょ? それじゃウーさんも向くんも、ゆにちゃんの気持ちなんて知りようがないじゃん。わたしだって全然知らなかったし……。誰が悪いかで言えば、ちゃんと言わないゆにちゃんが悪いんじゃないの)

 もちろん、そんなことは口に出せない。出せないから、よけいにモヤモヤした。

 すると突然、真珠ちゃんが口を開いた。

「確かに、ひどいですね。……でも、大丈夫」

「えっ?」

 思わずみんな、真珠ちゃんの顔を見つめる。真珠ちゃんはにっこり笑うと、自分の腕時計を、指先でこつこつと叩いてみせた。

「ウーさんよりもゆにちゃんのほうが魅力的だと、向くんもすぐに気がつきますよ。だってゆにちゃんなら……どうすれば向くんが喜んでくれるか、完璧にわかるんですからね」

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