第32話 終わりのとき

 ついにこの日が来た。

 私は紅茶の茶葉が管理されている棚を見つめた。

 治療院に持参しているため、すっかり空っぽだ。


(たくさん淹れましたねえ)


 貴族の治療院も私が一人ずつ部屋を回り、紅茶を振る舞ったことで仲良くなった貴族もいた。今はその人たちが不満を持つ患者を宥めてくれていると聞いた。


「これで最後ですね」


 ハークロウ産の茶葉が入った瓶を取り出す。

 今日は聖騎士団が神官長を捕らえる。私はアンディ様が訪ねて来たときのために、テーブルを整えティーセットを用意する。


「リリー様、お花買ってきましたよ」

「ありがとう」


 ダイニングにすっかり元気なアネッタが入って来る。

 ――冬咲きの白いクレマチス――聖騎士のアンディ様のように凛として美しい花だ。


「……ハークロウ様がいらっしゃるんですよね? 応接室ではなくダイニングでよろしいのですか?」

「……いいんですよ」


 アネッタが花瓶を手渡してくれ、受け取る。

 初めてアンディ様にお茶をお出ししたとき、このダイニングだった。最後は約束をしたこの場所で過ごしたいというのが私の願いだった。


「……一応、お家デートなんですよね? なんでお仕着せを着ているんですか?」

「えっ、お茶をお出しするからでしょうか?」


 アネッタの怪訝そうな顔に慌てて答えた。


(さすがに最後くらい綺麗にしたほうがいいでしょうか……)


 と言っても、今の私には数着のワンピースかお仕着せしかない。


「……そうですね……アンディ様と大切な約束をしたあの日を再現……ってことでしょうか」

「お二人にしかわからないことってことですね‼」


 自分に納得するように呟けば、なぜかアネッタが興奮して言った。


「リリー様、聖女様が訪ねて来ていますよ」


 ハークロウ家のメイドさんがひょっこりと顔を出す。


「聖女……ですか?」


 すべての全権は副神官長に譲り、私はすでに退任している。ただそれらは私が牢に入ってから公表されることになっており、聖女たちはもちろんまだ知らない。


(何かあったのでしょうか?)


 わざわざ屋敷まで訪ねて来るなんてよっぽどだと、人差し指を頭に付けて考え込む。


「リリー様、お花は私がやっておきますよ」

「あ、ありがとうございます」


 アネッタから促され、手にしていたクレマチスを渡す。


 玄関ホールに向かうと、白いローブを着た女の子が立っていた。


「お待たせいたしました……!」


 キャラメルブロンドの肩まである髪が揺れ、ライムグリーンのその瞳が私に向けられる。


(……? 私、この子にどこかでお会いしたでしょうか?)


 リリーよりも10センチほど背の低い彼女は、私を見上げ可愛らしいその顔を歪めた。


「……なぜそんな格好をなさっているのですか?」

「あ、これは……」


 私のお仕着せを指し不快そうにした彼女は、見た目と違ってはっきり物を言うタイプらしい。


「こ、婚約者をおもてなしするために、ですかね?」


 へらりと笑ってごまかす。間違ってはいない。でも大聖女がお仕着せで婚約者をもてなすなんて図式、おかしいかもしれない。


(アンディ様が変な人に思われたらどうしましょう……)

「ふうん」

「えっ」


 内心慌てていると、彼女が笑った気がして顔を見た。

 ――普通の顔をしている。

 気のせいだったかと視線を逸らせば、彼女が私の手を掴んで瞳を揺らした。


「リリー様、今日は大聖女の貴女にお願いがあって来たのです!」

「お願いですか?」

「はい! 私を助けてください!」

「どうしたんですか?」


 涙ながらに訴える彼女に寄る。


「ここでは……あの、お庭に出ても?」

「わかりました」


 よほど言いにくいことなのか、玄関の扉にちらりと目線をやっている。庭に出るくらいなら大丈夫かと、誰にも告げずにその子と一緒に外へ出た。


「ここなら大丈夫ですか?」


 門の近くまで来て立ち止まった聖女に呼びかける。


(あれ……警備の方たちが見当たりません)


 門の前にはいつも警備が立っている。刺されてからはより厳重になっていたはずだ。


(交代の時間でしょうか?)


 私を刺した犯人も捕まったので、気にすることはないかと思い至る。


「……た?」

「え?」


 聞き取れず、俯いていた聖女に向き直る。


「アンとはもう、キスした?」


 ゆっくりと、勝ち誇ったかのような表情で顔を上げた聖女に、全身の血がざあと引いていく。

 彼のことを「アン」と呼ぶ、その人は――


「ずいぶん好き勝手してくれたみたいね? さあ、交代・・の時間よ?」


 冷たい彼女の声色に、大したことなかったはずの脇腹が急激に痛む。


「身代わり、ご苦労さま」

(アンディ、さま――)


 彼女の声を聞きながら、私は意識を失っていく感覚に抗いながらも目を閉じた。

 

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