第17話 優しい婚約者

「目が覚めたか」


 また色っぽいイケメンボイスで目が覚めた。


(あれ……私?)


 ぼんやりとした頭で見上げる、見慣れてきた天井。ふかふかのスプリングに、手触りのいい寝具。


「はい……悪女です……」

「まだ寝ぼけているのか?」


 優しい声色だが聞き覚えのある声に、私はがばっと身体を起こす。


「おい!? 急に動くな――」


 アンディ様のほうに顔を向けようとして、くらりとする。


「ほら、魔力がまだ戻っていないんだ。まったく、無茶をして――」

「あ、ありがとうございます」


 倒れそうになった私の背中をアンディ様が文句を言いながらも支えてくれた。


(そうだ、私、みんなに頭を下げたあと、気を失って――)


 ちゃんとした謝罪も挨拶もしないまま、私は屋敷に連れられて帰って来たのだろう。

 部屋の窓を見れば、すっかり日が沈んでいた。


「屋敷を訪ねるなりアネッタが泣きながら飛んで来たから、何事かと思ったぞ」

「うう……すみません……」


 アンディ様は私の頭を支えながら、そっと枕に下ろしてくれた。


「治療院の全員に治癒魔法を施すなど、いくら君でも無茶だ」


 アンディ様は呆れながら言った。私は弱っているせいか、つい拗ねたことを言ってしまう。


「アンディ様は君ならできると言ってくれました……」

「君がここまで突っ走るとは思っていなかったからな!」

(うう、酷いです)


 彼から返り討ちにあい、涙目になる。アンディ様が何だか怒っているように見えるからだ。


(もしかして、アネッタからネックレスのことを聞いて……?)


 まだブツブツとお小言を言う彼に、私は布団を被り思いっきり謝る。


「アンディ様!! あなたからいただいたルビーのネックレスを、本日売ってしまいました!! 申し訳ございません!」

「……アネッタから聞いた。必要なことだったのだろう?」

「はい……」


 アンディ様の顔を見るのが怖くて、布団から顔を出せない。


「それに、あれは君にあげた物だ。それをどうしようが君の勝手だ」


 やはり怒っているのだろうか。

 アンディ様にはとっくに嫌われているのに、私はこれ以上彼に失望されるのが怖い。


「……あれは、私がアンディ様に無理やり強請ったと聞きました……すみませ……!?」


 涙が流れ落ちるのを感じると同時に、アンディ様から布団を剝がされてしまった。


「君は覚えていないんだろう?」


 私を見下ろすアンディ様は、眉尻を下げて微笑んだ。


「はい……申し訳ございません」


 手で顔を覆い、涙を流し続ける私の身体をふわりとアンディ様が抱き起す。


「アンディ、様?」


 ぱちくりとする私にアンディ様が至近距離で微笑む。


「すまない。俺も意地悪を言った」

「そんな……アンディ様は――」

「君が民のために財を投げ打ったこと、それに俺が役に立てた。俺は君を誇りに思う」

「アンディ様……」


 優しい眼差しで私を見つめる彼は、本当に怒っていないようで。

 今度は安堵から涙を流す。


「……君が泣くのを初めて見るな」


 そう言って親指で涙を拭ってくれるアンディ様は、息がかかるくらいに近くてドキドキしてしまう。


「……その………………か?」

「え?」


 彼がもごもごと言った言葉が聞き取れず、聞き返してしまう。

 至近距離のアンディ様の顔が、何だか赤い。


「…………新しい物を買ってやろうか!?」

「!!」


 アンディ様の優しさに私は胸が熱くなった。でも彼の優しさに甘えてはいけない。


「……いえ。私は牢に行く身。高価な物は不相応です。それに、婚約破棄をする私に贈り物をして、アンディ様にいらぬ噂が立ってはいけません」


 ただでさえ、うちにいるハークロウ家のメイドさんたちは私が嫁ぐものだと信じている。

 仲良くなれたのは嬉しいけど、それとこれは別問題だ。


「…………それもそうだな」


 一拍置いて、アンディ様が言った。

 自分が言い出したことなのに胸が痛む。


「あのアンディ様、その代わり最後にあなたの優しさに甘えさせていただけないでしょうか?」

「なんだ?」


 アンディ様の表情と声色が明るくなった気がしたが、気のせいだと思い、続ける。


「この屋敷のことはいいので、代わりにメイドさんたちを治療院の人手に貸していただけないでしょうか?」

「ああ、そのことか」


 途端にアンディ様の声が低くなる。


「あの! 病にかかるリスクを考えると、大事な家のみなさんを貸したくないのはわかります!! でも、私が責任を持ってメイドさんたちを守るので、どうかお願いします!!」


 アンディ様の腕の中で頭を下げた。


「リリー」


 私の肩にアンデイ様の手が置かれ、耳には吐息がかかる。

 思わず身体を硬直させた。


「君のことを信じる。だから、ハークロウ家の者を派遣しよう」


 アンディ様の言葉に頭が追い付かず、ぼんやりと見つめ返した。


「ただし、この屋敷も人手不足なのだから、治療院には他の者たちを派遣する。いいな?」

「それではハークロウ家が……っ!」

「リリー」


 ハッとしてお断りしようとした私を、アンディ様が制する。


「君の手助けをしたい。それが国のためになり、侯爵家の義務でもあると思うから」


 真剣なアッシュグレーの瞳は、目覚めたばかりの頃とは違う。

 私を悪女だと軽蔑していた彼はもういない。熱い眼差しにまるで時が止まったかのような感覚に陥る。


「ありがとうございます、アンディ様。あなたにご迷惑をかけるのは、これで最後です」


 精一杯の笑顔で彼の厚意に答える。


「俺は君の婚約者だ。いくらでもかけていい」


 私の肩に置かれていた彼の手にぐっと力が入る。


(アンディ様、どうしたんでしょう……? らしくありません)


 戸惑った表情で彼を見つめれば、私に気付いて顔を逸らした。


「さ、最後くらいな!」

「……そうですよね。ありがとうございます」


 アンデイ様の言葉にまた胸が痛んだ。

 私は、彼といつまでもこの時間が続けばいいと願っていることに、いまさら気付いた。

 

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