第5話 アルとレオ






 その日は特に予定のない日だった。

 エルナはまだ皇国だし、フィーネは会議が入っていたはず。

 特に来客の予定もなかった。

 けど、俺は久々に自分で紅茶を淹れていた。二人分。

 なんとなくわかってしまったから。

 すると、部屋の扉が開かれる。

 無言で入って来た相手は、何も言わず俺が座っているソファーに腰を落とす。


「嫁が皇国に行って暇か?」

「そっちこそ。寂しいんじゃない?」

「お生憎様、ゆっくりとした時間を楽しませてもらっているよ」

「世界の抑止力様は優雅だね」


 二人で一口、紅茶を飲む。

 悪くないが、物足りない。


「フィーネさんのほうが美味しいね」

「好みの問題だろ」

「へぇ、じゃあ兄さんはどっちが好みなの?」

「愚問だな、レオ。フィーネの紅茶が一番美味しい……飲みたいなぁ」

「やっぱり寂しいんじゃないか」

「うるさい。そっちはどうなんだ?」

「僕は帰ってきたら旅行に行く予定だから平気」


 言ったあと、レオは紅茶を飲み干し、カップを置く。

 そして。


「嘘、寂しい……僕もついていけばよかったぁ……」

「鬱陶しいから横で嘆くな」

「なんでだよぉ……兄さんも同じ境遇じゃないか……」

「一緒にするな。俺は寂しいからって出歩かない」


 帝国の民が胸を張って自慢できる皇太子。

 それがレオだ。

 ただ、今のレオはちょっと自慢できない。

 半泣きで膝を抱え始めている。


「まったく……なんで一緒にいかなかったんだ?」

「そろそろ戴冠も視野に入っているから、レオは帝国に残りましょうってレティシアが言うから……」

「レティシアが正しいな、それは」

「王国の時はすぐ帰って来たのに……」

「アンセムが追い返したらしいぞ。あの男、傍にいたのにエルナがダンスを誘われることを阻止できなかった。ふざけた奴だ」

「レティシアを追い返すなんて……でも、すぐ会えたから許そう。エフィム王もそうしてくれないかな……でも、冷たく追い払うのはレティシアが傷つくかもしれないから、なるべく名残惜しそうに追い返してほしい」

「無茶を言うな。それにその程度でレティシアは傷つかないだろ」

「レティシアは兄さんが思うより繊細なんだ。やめてよね、僕のレティシアを無敵の人みたいに言うの。レティシアは普通の女の子なんだから」

「僕のレティシアって……」

「え? 変?」

「変というか……」


 惚気ではあるだろうな。

 呟くと、レオは少し驚いた表情をしたあと、微笑んだ。


「兄さんは惚気ないの?」

「惚気なきゃ駄目か?」

「駄目とは言わないけどね。まぁ、僕とレティシアは三年間、愛を育んだからね。まだ愛してるとか、妻になってほしいとか、そういうプロポーズも言えてないお子様な兄さんとは格が違うんだよね」

「よろしい、喧嘩なら買うぞ? 格の違いを知りたいなら教えてやる」

「その足で僕と戦うのかい? 宝玉のストックは十分かな?」


 懐から宝玉を取り出した俺に対して、レオは腰の剣に手をかける。

 けれど、どちらともなくため息を吐いてやめた。


「やめよう、兄さん……怒られるのが目に見えているし……」

「暇つぶしに喧嘩しましたは言い訳できないからな……」


 互いにしっかりと怒りそうな相手がいる。

 好き勝手はやれない。

 立場もあるしな。

 皇太子と銀爵がふざけてやりあった、というのは帝国上層部の頭痛の種を増やしかねない。


「でも……しっかりと伝えたほうがいいと思うよ?」

「わかってるさ」

「兄さんの気持ちもわかるけどね。三年は長かったから」


 さすがに双子の弟か。

 よくわかっている。

 俺は三年もの間、消息不明となった。

 二度目があるかもしれない。

 そう思うと、言葉にするのが怖くなる。


「それでも……伝えるべきだよな」

「伝えるべきだろうね。兄さんがそう思っているなら」


 レオの言葉に俺は肩をすくめる。

 そう、ほかでもなく俺が伝えるべきだと思っているなら、伝えるべきだ。

 けれど、どうしても勇気が出ない。

 なにかきっかけが欲しいなどと思うのは、俺が臆病だからだろう。

 父上や兄上たちのプロポーズは、まぁ素晴らしい参考になるものだったかと言われたら、そうではなかっただろうが。

 それでも伝えたし、伝えられたほうは嬉しかっただろう。


「そういえば、話は変わるけど……ヴィムという名に聞き覚えは?」

「ヴィム?」


 顎に手を当てて考え込む。

 しばらく考えたあと、俺は一人の人物を思い出す。


「ヴィム・フォン・アルテンブルクか?」

「覚えていたのは驚きだね。五、六年前かな? 帝国魔導学院で出会ってる。シルバーとしてね」

「クロエを弟子として引き取った時だな。そのヴィムがどうした? 古代魔法を教えろと騒いでいたのは覚えてる。魔力が足りないから諦めろって言ったはずだが……」

「彼の出自は知っている?」

「アルテンブルクって名乗っていたんだから、当然、アルテンブルク家の子だったんだろ? 庶子か?」

「もっと悪い。彼の父は先代アルテンブルク家当主、ゲルト・フォン・アルテンブルクで間違いない。だから……レーア義姉上の弟ということになるね。ただ、母親は違う。侍女だったそうだよ。当主に薬を盛って、行為に及んだらしい。子供に責任はないから引き取られたそうだけど、扱いは悪かったって」

「そりゃあそうだろうよ。なぜ、引き取った……?」

「侍女に身寄りがなかったらしいよ。没落した貴族の出で、侍女の父親はかつて当主と懇意だったって。だからその縁で娘を引き取ったけど、してやられた。そんな侍女の子供、しかもしっかりアルテンブルク家の血を引いている。誰も引き取りたくないさ」


 ドロドロしていることで。

 名門ともなると、こういうことがある。

 だから傍に置く侍女はかなり調査され、選別されるのだが……。

 先代の情が最悪の結果を招いたか。


「彼には彼の事情があったか……」

「兄さんから見て彼はどうだった?」

「優秀だったぞ。魔力もセンスもあった。努力を続けていれば、今頃、それなりの地位にいてもおかしくない。軍なら出自を気にしないだろうし」

「そういう未来もあったかもね」


 レオがそんなことを言うということは、そういう未来にはならなかったんだろう。

 まぁ、あの子の古代魔法への執着を考えれば、まともな道にいくわけないか。

 なにせ、〝ただの学生がシルバーに殺気を向けた〟わけだ。

 勝てると思うほど馬鹿じゃないはずだ。

 それでも殺気を向けた。それだけ古代魔法が欲しかったんだろう。

 そして、シルバーに殺気を向けるのだ。

 ほかの奴に向けることもするだろうし、何でもするだろう。


「学院卒業後、ヴィムは魔導師として旅に出た。帝位争いが終盤になった頃、戻ってきて、旅の最中に見つけた古代魔法文明時代の魔導書と魔導具解析をしていたらしい。政治争いに興味はなかったようで、現当主であるニクラスについていったため、帝都での決戦には不参加。その後、さらに魔導書解析に没頭し……先日、行方不明になった」


 わざわざ俺にそのことを知らせたのは、俺=シルバーだとバレてしまっているからだろう。


「ずいぶんとシルバーに執着していたらしいよ。だから、ニクラスから警告と捜索部隊の派遣を提案された。すでに部隊は派遣してる」

「……まだ何もしていないぞ?」

「何かするかもしれない。それに部隊を派遣しなきゃ……ニクラスがアルテンブルク家の総力を傾けて討ちにいく。これ以上、醜聞はごめんだろうからね」

「まぁ、そうなるか。どうするんだ? アルテンブルク家はレーア義姉上の実家だぞ?」

「取り潰しはしないよ。何が起きても」

「さすがにとばっちりだからな」

「三年経ったけど、三年しか経ってないんだ。まだまだ人材が必要なんだよ。ニクラスはすでに……自分の首で許してほしいと言ってきているからね。そんなことを言う人を手放すのはもったいないでしょ?」

「それなら安心だ。向かってきたら……生け捕りか?」

「任せるよ。一応、レーア義姉上の弟だし……エリク兄上の義弟だからね」


 レオの言葉に俺は頷く。

 できれば、できればだ。

 何事もないことを願うし、それが叶わないなら小規模なやらかしであってほしい。

 ただ、大規模なやらかしとなるとこっちもそれなりの手段に出ないといけない。

 それだけはやめてほしい。


「それじゃあ紅茶もご馳走になったし、お暇しようかな」

「もう帰るのか?」

「皇太子だからね、いろいろと忙しいんだよ」

「体には気をつけろよ?」

「わかってるよ。兄さんも気を付けてね」

「俺が遅れを取るとでも?」

「そっちじゃないよ。あんまり煮え切らないと二人に怒られるよってこと」

「……」


 それには何も反論できない。

 ニヤニヤと笑うレオに対して、俺は手を振って早く帰れとアピールするのだった。

 

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