第2話 ジークの様子見



 帝都から少し離れた小高い丘。

 そこには悪魔との大戦中に命を落とした皇子、皇女たちの墓が作られていた。

 そんな墓の前に一人の男。

 手にはアメジストセージ。


「誰が置いているのやらと思っていたが……お前だったか」


 男の後ろに現れたのは皇帝ヨハネスだった。

 声をかけられ、男は振り返る。


「バレてしまいましたか、兄上」

「久しいな、ディートヘルム」


 男の名はディートヘルム・フォン・ベルクヴァイン。

 皇帝ヨハネスの実の弟だった。

 二人は肩を並べると、静かに花を供える。


「最近はどうしている?」

「いろいろやっていますよ」


 ディートヘルムはクスリと笑うと、ヨハネスの方を見た。


「兄上のほうこそ、最近はどうなのです?」

「変わらん……ヴィルヘルムの時と同じだ。徐々に権力はレオナルトに移っている。それを見守っている」

「そろそろ皇帝を退くときですか」

「そうだな……心残りは解消されたからな」

「……よかったですね、兄上。アルノルトが戻ってきて」

「ああ……本当によかった」


 噛み締めるように呟く兄を見て、ディートヘルムは笑みを浮かべた。

 大戦が終わってから、ヨハネスの心にずっとのしかかっていた重石。それがアルノルトの存在だった。

 それが取り除かれた。

 それはとても喜ばしいことだった。


「アルノルトは今、銀爵だとか。極秘裏というのはアルノルトらしいですが」

「皇帝特権は欲しいが、表立っての注目はいらんらしい。義務はいらんが、特権だけよこせというのはたしかにあやつらしい」


 呆れたようにヨハネスはため息を吐く。


「その特権をフルに生かして、勇爵家の神童と蒼鴎姫を妃にしたそうで。そういうところも兄上に似たのでしょうかね?」

「知るものか。まぁ……あやつが誰かと未来へ歩むことを選んだことには安心しているがな」

「帝位争いの最中……アルノルトは知らず知らずのうちに摩耗していたのでしょうね。無駄を削ぎ落し、最適を求めた。参戦した以上、勝たねば悲惨な結末が待っている。必死だったんでしょう。周りを守ることで。弱ければ周囲に頼ることもできたでしょうが、アルノルトには力も頭脳もあった。一人で背負えてしまえた。もちろん、傍には誰かがいたでしょうが……その重圧はアルノルトにしかわからないものだったはずです。だから未来を考える余裕もなかった。本来はのんびりした性格ですからね」

「そうだな。兄弟で帝位を争うのは心にくる。戦いを終え、それでもあやつは世界のために動いた。今はゆっくりと人間らしさを……自分らしさを取り戻している最中なのだろう。ずっと自分がやらねばと気を張り続けていたのだから。世界の抑止力などという揉め事を背負い込んではいるが……アルノルトはやっと安息を得ている。その安息は崩したくはない」

「もちろんです。私は……あなたを皇帝につけたあと……すべてを捨てて逃げました。身内同士の争いなど金輪際見たくはなかった。また起こる悲劇を回避するより、見ないようにすることを選んだ。結果……甥や姪が死んだ。帝国の若者たちが死にました。私がいたから何かできたかはわからない。けれど……私は大人として背負うべき責任を放棄した。あなたは私に共に帝国を支えてほしいと望んだのに……」

「それもまた選択だ。今更、過去を悔いても仕方ない。幸か不幸か、ワシらは二度の帝位争いを生き残った。ならば、今を、そして未来を生きるしかない。それが死んでいったものたちへの手向けだろう」


 ヨハネスの言葉に頷き、ディートヘルムは踵を返す。

 用は済んだ。

 そろそろ出発する時間だった。


「兄上……私はもう逃げない。アルノルトは世界の抑止力となることを選んだ。けれど、アルノルトが介入する前に事件を解決すれば、アルノルトはのんびりできる。すべて解決できるわけではありませんが……あの子の負担は減らしてみせますよ」

「頼んだぞ」


 ヨハネスの言葉に笑顔で頷きながら、ディートヘルムは馬に跨る。

 そのままディートヘルムは駆けだした。

 そんなディートヘルムに騎馬隊たちが合流した。


「ディートヘルム総司令、これからどちらへ?」

「一度、本部へ戻る。いろいろと調べなきゃダメなことも多いからな。ラース大佐にもそう伝えてくれ」

「さすがはネルベ・リッターの総司令。お忙しそうだな? 旦那」


 背の高い短髪の男。

 鍛え上げられた肉体を持った男は、槍を片手に持ちながらディートヘルムに話しかける。


「ジークか。目立った情報はあるかな?」

「デカいのはないな。本部に戻ったら報告するさ」

「それなら頼みを聞いてくれないか?」

「厄介事はごめんだぜ?」

「アルノルトの様子を見に行ってくれないか?」

「ああ、なるほど。甥っ子の様子を気に掛けるなんて、旦那も大人なことで」

「気にもかけるさ。君だってその一人だろ?」

「さぁ? どうだろうな」


 ジークはそう言いながら、一団から外れていく。

 それを見て、面倒見の良い奴だとディートヘルムは笑うのだった。




■■■




 銀爵家の屋敷。

 護衛らしい護衛はいない。必要がないからだ。

 屋敷の中には最低限の侍女。

 忍び込むのはジークにとって簡単なことだった。


「さすがに不用心じゃねぇか?」


 リビングにて本を読んでいたアルに対して、ジークは声をかける。

 アルは本から視線を上げると、怪訝そうな表情を浮かべる。


「……誰だ?」

「傷つく、本当に。仕方ないけども……」


 そう言ってジークはつけていた腕輪を外す。

 それは竜人族特注のもので。

 腕輪を外すと、ジークの体が光って子熊姿へと戻る。

 それを見て。


「ああ、ジークか。何しにきた?」

「言っておくけど! こっちの姿のほうが仮だからな! まぁいい! 元気か!? 坊主!」

「まぁまぁ元気だぞ」

「それなら良かった!」


 ジークはそう言うと、アルが座るソファーへと飛び乗る。

 そして。


「そんじゃ質問だが……どうだ? 新婚生活ってやつは?」

「新婚生活? ああ、たしかにそうなるのか」

「お前さん……その自覚がないのか?」

「自覚は……薄いかもな。傍にいてほしいとは言ったし、傍にいてほしいけど……二人を正式に妃として迎えたわけでもない。そういう風に帝国上層部では認識されているってだけで。俺は……二人に何もしてあげれてないしな」

「お前さんって……自分のこととなると駄目だな?」

「最近よく言われるよ。情勢が落ち着いたらどうにかしようとは思ってるけど……」

「相手が相手だからな」


 蒼鴎姫に勇者。

 正式に妃にするという話が出ると、いろいろと問題が噴出する。

 なんだかんだ、周りからはそういう認識という今が一番、問題が少ないことも事実だった。

 ただ。


「どうするんだ? この間に二人に結婚を申しこむような奴がいたら? お前さんが銀爵っていうのも極秘裏なんだろう? 表面上、二人はフリーってわけだし」

「……そうなったら」

「そうなったら?」

「その家を潰すかな、本気の全力で」

「……まぁ、そうなる前に勇爵とクライネルト公爵が突っぱねるだろうが……」

「それなら安心だな」


 少しでも話が進んだ瞬間、転移で現れて銀滅魔法を放つ魔導師。

 ありえないと否定できない。今ならやっても不思議ではないと思えてしまう。

 帝位争い時代の、どこか張り詰めた雰囲気は薄れた。全方位を警戒して、何が起きてもいいようにと準備する必要がなくなったからだろう。

 穏やかで、どこか抜けている。これが本来のアルノルトという人物なのかもしれない。

 ただ、その分、なにをやらかすかわからないという心配もあった。

 当時は打算をしっかり込みで動いていたが、今は感情で動くだろうからだ。

 ある意味、帝位争い時代より恐ろしい。

 勝ち抜くために自らを制限していた男が、今は制限されていないからだ。


「ま、まぁ、いろいろと難しいよな。これからだ、これから。それはそうと……あれほどの美女を二人、両手に侍らせるなんて……やるじゃねぇか。それで? どうだ?」

「どうとは?」

「だから……手は出したのか?」


 質問系だが、ジークは答えを一つしか想定していなかった。

 若い男が女を二人、しかも帝国屈指の美女と一緒にいて何もないわけがない。

 そんな男がいたら、同じ男として認められない。

 そんな風に思っていたが。


「いや、出してない」

「そうだよな、お前さんも……は?」

「そういう関係にはなってない」

「……そうか。三年の間にお前さんの体は男として……」

「勝手な想像で憐れむな。体は正常だ」

「ならなんで手を出さないんだよ!? おかしいだろ!? なんだ!? 何が不満なんだ!? おい!? フィーネ嬢の胸じゃ満足できないか!? エルナ嬢の美脚じゃ物足りないか!?」

「そうじゃない。ただ……そういう雰囲気にならないだけだ」


 こればかりはどうしようもない。

 不満があるわけでも、興味がないわけじゃない。

 ただ、きっかけがないだけ。

 関係を一歩前へ進めるきっかけが。


「そういう意思はあるのか?」

「まぁ、俺も男だしな。それに……」

「それに?」

「二人とは……ずっと傍にいたい。十年、二十年、老いぼれるまで。そこにやっぱり子供がいたら、素敵だろうなって思うよ」


 アルの言葉にジークは少し驚いたような表情を浮かべた。

 そして、すぐにフッと笑うとアルの頭に自分の手を置いた。


「なんだ……帝国の未来でも、弟の未来でもなくて、自分の未来をちゃんと言えるようになったじゃねぇか」


 アルはムッとした表情を浮かべつつも、手を払ったりはしない。

 しばらく頭を撫でると、ジークはソファーから降りた。


「いろいろと心配だったが、どうにかなりそうだな。ただ、あんまり手を出さないと女のほうが不安がる。覚悟は早めに決めろよ?」

「ご忠告に感謝するよ」


 ジークは軽く手をあげると、再度、腕輪をつけて人間状態へと戻った。

 そんなジークにアルは声をかけた。


「ジーク」

「うん」

「感謝している。いつも気遣ってくれて」

「なぁに、俺様はいい兄貴分だからな。当然だ。困ったことがあれば何でも相談に乗るぞ? 夜の方面でもな」

「ああ、困ったら頼むよ」

「え? 本当か? お前さん、バニー衣装とか興味ある? 昔、そういう店でな」

「帰れ」


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