ル・カフェー・ギャルソン2 お茶の話
つき
お茶
いつもと違い、いく分か空いた、駅ビルのカフェの店内には、心地よいボサ・ノヴァと共に、午後の穏やかな空気が流れていた。
忙しくケーキの補充をしていた俺は、帽子を目深に被ったダンディーな紳士を目にし、作業の手を止めて、窓際の席に通した。
瞼は深く、目尻に折り畳まれた皺は、彼の人生を物語っているようだった。
俺は、深く焙煎された、芳醇な珈琲に似ているな、と思った。
早速、本日お薦めの珈琲を案内したところ、彼は意外な答えを返した。
「僕はコーヒーも紅茶も飲まんよ。」
そして「緑茶はあるかね」と尋ねてきた。
俺は直ぐに
「申し訳ございません。緑茶はご用意しておりませんが、フレーバーティーがございます。
スッキリした飲み口の中国茶でございます。」と提案した。
彼は軽く頷き、
「貰おうか。」
とだけ答えた。
一応ケーキも勧めたが、いらないと言う。
経験上、様々な客を見てきたから特には驚かないが、彼には何か深い訳がありそうな気がして、ティーを運ぶついでに声を掛けてみた。
「あの、本日は初めてのご来店でしょうか。」
すると紳士は
「あぁ。娘がここのケーキが好きでね。それで、どんな店なのか見に来たんだよ。」
と答えた。
「それはいつも有り難うございます。お持ち帰りもございますので、是非お申し付けください。」
俺はそう勧めたが、紳士の娘さんは今は一緒に住んでいないと言う。
結婚して、遠方に嫁いだらしい。
俺は、随分昔の話だな、と紳士の年齢を見積もって考えた。
又は、流行りの熟年結婚かも知れない、などと考えてから、次の仕事に移った。
紳士はいつのまにか消えていた。
いく日かして忘れた頃に、また紳士はカフェに立ち寄った。
「いらっしゃいませ。本日は中国茶でよろしかったでしょうか。」
俺がそう声掛けると、紳士は怪訝そうに眉根を寄せてから、チラッと笑顔を見せて
「あぁ、君か。貰おうか。」
とだけ答えた。
そして下がろうとする俺を呼び止め、
「ケーキもくれないか。何でもいい。」
と付け足した。
俺は、一応彼の好みを聞いてから、
丁度良く先週から入ってきた、抹茶のシフォンケーキをサーブする事にした。
表面にごく薄く、生クリームが掛かっていて、抹茶の粉が振りかけられた、甘さ控え目の中々人気のケーキだ。
紳士は、一切れ口に運び、とたんに目頭をゴツゴツした指先で押さえた。涙ぐんでいるようにも見え、俺は遠くからその様子を覗っていた。
俺は少し心配になって、紳士の帰り際、
「あの、ケーキはお口に合いましたでしょうか。」と訊ねた。
紳士はポカンと口を開けてから、表情を崩して
「いや、違うんだ。ケーキは美味かった。」
と笑ってくれた。
聞けば、
一人娘が二十歳のお祝いに初めて、本店のケーキを食べて、大喜びしたこと。
それ以来、妻や娘の誕生日ケーキを毎年注文してきたこと。
そして、彼自身は仕事にかまけ、それらを一緒に食べずに、ケーキの事も忘れていたこと。
その後、妻とは別れ、娘も嫁いで完全に音信不通になったこと。
そして何年もの間、家に残されたままだった大量のケーキの紙袋を最近見付け、それを思い返したのだ、
と紳士は告白してくれた。
今は1人で暮らしているのだという。
この店に来れば、なにか当時の事がわかるかも知れない、と来店したが、飲み食い出来るものも無く、結局何もわからなかった、と。
ただ、ショーケースの中のキラキラしたケーキ達が、娘の晴れ着姿の様で、当時を思い返して心が暖まった、有り難う、と。
紳士は俺ではなく、遠くを見遣りながら呟いた。
俺は間髪入れずに、
「お客様、また是非、ご来店お待ちしております。」
と伝え、精一杯の柔らかな笑顔を作った。
そして再びの来店を願いながら、紳士を見送った。
fin
ル・カフェー・ギャルソン2 お茶の話 つき @tsuki1207
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