飛ぶが如く
小泉藍
(一)-1
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予感というのは当たるものなのだ。
この屋敷を接収して以来寝所にしている二階の座敷に歳三と二人で戻った勇は、ぼんやりとそんなことを思っていた。障子窓のやや開いた隙間から、朱色と桃色を混ぜたような晩春の夕暮れが見える。
慶応四年(1868)四月二日。新選組一同が多年の働きを認められ、念願の公儀直参に取り立てられてよりまだ十ヶ月しか経っていない。
それが急転直下と言うも愚かな転変に翻弄され、今や幕府はなくなり、かつての賊徒は官軍となった。仲間たちを軒並み失い、京都からも故郷の多摩からも遠く離れた下総の流山で民家の一室に逃げこもっている。逃げるとはいっても周囲を官軍が取り囲んでいるのだから、あとは捕縛の時をどれだけ遅れさせることができるかの問題でしかないのだ。
室内に入った勇は、数歩進んだところで足を止めた。深いため息をついて腰の刀の柄を撫でる。自然と唇が動いた。
「日ごろは何とも思えぬ虎徹が……」
「やめろ」
表情そのままに怒気を孕んだ声が飛んだ。古典に疎い歳三も、さすがに木曽義仲の有名な言葉くらいは知っている。
新選組局長・近藤勇は口をつぐみ、うなだれたまま腰を下ろした。新選組副長土方歳三も、相対した位置で同じようにした。
「近藤さん……」
と歳三が口を開いたのは、両者が座ってからかなりの時を置いてからのことだった。勇の気持ちが多少なりとも落ち着くのを待っていたのだ。勇と変わらない苛立ちと焦燥に駆られているだろうに、そういう気働きをいつでも忘れない男だ。
「どうか考えてみちゃくれねえか。ここであんたが大久保大和として出頭して、そう言い張ってくれさえすればいい。後は俺が江戸で、勝でも大久保、いや大久保一翁でもだれでも動かして、何が何でも助命を勝ち取って見せる」
大久保。そういえば、官軍の首魁の一人に薩摩の大久保一蔵というのがいた。「九十九大久保、百本多」と言われるぐらい幕臣には多い苗字だからあまり深く考えずに受け入れた変名だが、あるいはそういうことも縁起が悪く、こたびの不運の一因になったのかもしれない。勇の心中をよそに歳三の弁説は続く。
「俺だって辛い。いや、辛いというより恐ろしい。これほど恐ろしい思いは今までない、というより初めて感じるたぐいのものだ。この場で二人で刺し違えた方がよほど楽だろうよ、だが……」
「俺は何も、自分だけ楽になりたいがために死にたいと言ってるんじゃねえよ」
思わず声が出た。歳三は目を見張った。
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