第142話 恐怖と成長と仲間と

 物資の運搬は楽ではない。どれだけ小さくとも物には重さがあり、かさがある。人間には力の限界が存在し、鞄等も耐久力に限りがある。全てを一緒くたに、一度に全部を運ぶ事など出来はしないのだ。


「ふぅ、疲れたね」

「マジ、肩いたーいっ」

「オレは腰が……」


 中継地点その一である巨木の下に運んだ物資をリーシャたちは働き蟻が如く、せっせせっせと湿地へ運んでいる。何度目かの復路であるが、戻る所にはまだまだ物がドッサリだ。


 リュックサックに詰め込めば肩が、木箱を抱えれば腰が。どちらにしても身体には明確にダメージが蓄積する。


 そして往路復路の問題はそれだけではなく。


「げっ、魔物来たしっ!」

「うわ、疲れてるのにぃっ!」

「頑張ろう!ロイ君、ミリカ!」


 魔物だ。

 以前の大破壊によって彼らは怖気づいたために襲撃は多くない、しかしゼロではない。問題となるのは、そんな状況でありながら襲ってくるような敵は決して弱くはないという事である。


 木々の間から飛び出して来たのは猪の魔物。しばらく前にジョニーとリーシャが打ち倒した魔物、縞猪シュトライバーンだ。以前遭遇したような超巨大な個体ではないが人間を超える大きさ、十分に脅威と呼べる存在感である。


「しゅ、縞猪……」

「大丈夫?ロイ君」


 過去の出来事が脳裏をよぎる。実力も無いのに森の奥地へ足を踏み入れるという無謀な挑戦、知らないうちに縄張りに入ってしまった事から始まった命懸けの追いかけっこ。恥で顔が赤くなる思いもあれば、恐ろしさで青にも染まる。どちらにしてもロイにとって縞猪の存在は一種の心的外傷トラウマだ。


「ナニあったか知んないケドっ!昔は昔っ、今は今っしょっ、ロイロイ!」

「ッ!」


 彼が身体を強張らせている事情など、ミリカは一切知らない。しかし彼女は知っているのだ、ロイの実力を。


 以前訓練場で手合わせをした際、自身の剛撃を巧みに捌いて的確に打ち込んでくる技量に驚いた。そんな彼ならば猪ごときに遅れは取らない、何よりも自分とリシャっちリーシャが一緒にいる、恐れるものなど有りはしない。ミリカはそう考え、ロイを激励した。


「そう、ッスね……!」


 ロイは剣を構える。鼻息荒く、大地を蹴手繰けたぐる魔物をしっかりと見て。怖さはある。しかしそれを上回るものが確実に今、彼の中にはあるのだ。


「師匠にリベルさん、ミケーネさんにアウスさん、ラオさん、ジョゼさん……みんなに稽古をつけてもらったんだ、やれるに決まってる!」


 自分を信じる事はまだ出来ない。しかし、関わってくれた人たちを信じられないなどという事はあり得ない。彼らの実力は稽古で、文字通り痛いほどに知っているのだから。


「ちょ、あーしは!?」

「あ、ごめんなさいッス」

「ふふっ」


 ごく自然に除外されたミリカ。折角勇気づけようとしてあげたというのに、あんまりな仕打ちである。そんなやり取りを見て、リーシャは思わず笑ってしまう。


「って、猪メッチャ怒ってるし!」

「大丈夫ッスよ、倒せる!」

「うん!」


 三者三様、しかし一丸となって。彼らは強敵に立ち向かう。


 対する縞猪は縄張りを侵された事に怒り心頭の様子で目を血走らせている。脚が大地を蹴手繰る度にズン、ズン、と音が響く。


 次の瞬間、戦いが始まった。


 猪はその巨体の重量をそのまま打ち当てる突撃を得意とする。ただの動物ですら油断できないのだから、アーベン西の森の中で上位の魔物である縞猪ならば猶更だ。突っ込んでくる速度は人を超え、馬を超え、鳥にも等しい。二十歩近くの距離を一瞬の内に詰めてくる。


「来たッ!」


 ミリカは声を発すると同時に二人の前に出た。


「ぐ……ッ!!!」


 ドガンと重く凄まじい衝突音が響き、岩石大鉈を盾として猪を止めた彼女を強烈な衝撃が襲う。その場に留まろうとするミリカだが巨大な質量に圧されて踏ん張る足が大地を削る。全力を発揮する彼女の腕が、脚が、悲鳴を上げる。


「ぐぐぐ……ッ、この、くらいッ、余裕だしッ」


 強がりである、自身を勇気づける言葉である。余裕など存在しない、防御のために発揮しているのは限界一杯の力だ。


 しかし猪はなおも四本の足で大地を踏みしめて前進しようとしている。押し切られれば踏み潰されるか、鋭利な牙で突き上げられてしまう。もしそうなれば確実に一発で命を失うだろう。


 だが、ミリカは独りではない。


「しッ!」


 彼女が盾とする大鉈の後ろから横へと影が飛び出した。

 と同時に、鋭い突きが猪の目を狙って放たれる。


 ロイだ、彼の攻撃である。

 防御剣術を伸ばしてきたからといって攻めが出来ないわけではない。順当に、真っ当に、ロイは剣士としてちゃんと成長してきたのだ。繰り出された突きはジョニーやリベル、ミケーネのそれに比べれば未熟も未熟。しかし駆け出し冒険者の中で見れば十分に優れた一撃である。


 皮膚を突いても致命傷にはならない。それをロイは理解しているからこそ、どんな生物でも頑強には出来ない目を狙った。刺されば、のみならず掠っただけでも猪の視界を奪う事は出来る。


 魔物は前進し続けてミリカを踏み潰す事に全力を発揮している。

 当たる、そう彼は確信した。


 が。


「うっ!?」

「わたたっ!?」


 ロイの突きがくうを打った、何者も捉えなかった。そして同時にミリカは体勢を崩す。


 信じられない動きだ。

 縞猪は前進する力を即座に転換し、前脚の一本を軸に横へと旋回したのである。ミリカが前方へとたたらを踏んだのは、力比べをしていた相手が急に退いたからであった。そして猪の動きは、回避と同時に次なる行動へ繋がる。


 至近距離で回避不能な瞬発的突進、先の突撃よりずっと弱い単なる体当たりだ。しかし縞猪の体重から繰り出されるそれは、人間をまとめて二人吹っ飛ばすのに十分な威力を有している。


 体勢を崩しているミリカは防御を行えない。彼女の身体が猪に対して壁になってしまっている事で、ロイは動けない。野生の生存本能から行われた動きは、まるで戦術家の妙策が如き効果を発生させていた。


 大質量が迫る。


「「ッ!」」


 もうどうにも出来ない。ロイとミリカは思わず目を瞑り、次に来るであろう衝撃と痛みに身構える。がしかし、予測した事は現実とはならない。


 なぜなら、彼らには頼もしい仲間がもう一人いるのだから。


「えーいっ!」


 投石具スリングを振り回し、遠心力を載せたところで袋草を投擲する。大して距離の無い位置から外す方が難しい大きな的に向かって放たれた一発は、正確に猪の急所に、目に命中する。


 が、たかが柔らかな草の衝突。頑強な魔物の身には石であっても威力不足である、だというのにその程度で魔物猪が止まるわけもない。多少の爆発でも同じだ、既に一歩踏み出している魔物を停止させるに至らない。


 しかしそんな事、リーシャはよく知っていた。彼女は過去に一度、縞猪と真っ向から戦っているのだから。


 ボジュゥ……と嫌な音。次いで焼けるとはまた違う、少々鼻を突く臭いが漂う。


 猪が鳴いた。咆哮ではない、悲鳴だ。


 リーシャが投げ付けた袋草の中身は、とある鉱石と毒草の粉末。混ぜ合わせる事で反応し、強力な酸を発生させる非常に危険な物だった。体毛ではそれを防げず皮膚は爛れ、直撃を受けた目が文字通り焼ける。眼球も肉も強制的に液状にされ、赤黒い汁となって大地に滴り落ちた。


「今っしょッ!」


 魔物は怯み、同時に半分の視界を失った。

 その好機、逃す理由はない。

 ミリカは体勢を持ち直す。大鉈を肩に担ぐ形に構えて、全身を使った動きでその刃を振るった。


かったッ!」


 猪の前足に直撃、魔物は再び悲鳴を上げる。だが切断には至らない。強靭な筋肉を断ったものの、頑強な骨の中程まででその斬撃は停止してしまう。深く食い込んだ刃から衝撃が手に跳ね返り、思わずミリカは声を上げた。


「それなら――ッ」


 切りつけて駄目なら別の手を。

 ロイは猪の真正面に素早く駆け込んだ。

 しかしそこは、魔物が残る一つの目で確認できる位置だ。瞬時に縞猪は頭を下げた。天を衝くように口から伸びる鋭い牙による打ち上げ攻撃の準備姿勢である。


 猛烈な勢いで猪は牙を突き上げた。大木すら貫き、根から引っこ抜くだけの力を持つ一撃。当たれば人間などひとたまりもない、直撃した衝撃で真っ二つに千切れてしまう。


 しかしロイは焦らない。

 彼はどうすれば良いかを知っている。


「ふッ」


 剣で防ぐ、と同時に牙が滑る。確実に当たる軌道であった猪の一撃を無理に止めようとするのではなく、風に揺らぐ木の葉ように自身を動かした。防御で発生した一瞬の間に身体を低く沈み込ませ、猪の突き上げを空振りに終わらせたのだ。


 魔物が頭を振り抜いた事で隙が生じた、好機到来だ。


「だりゃぁッッ!!」


 剣を両手で持つ、しかし魔物に刃は向けない。ロイは全力を手に込めて、柄の尻で猪の顎下を打ち上げた。強い衝撃が猪の頭を下から上へと突き抜ける。ほんの一瞬ではあるが魔物の意識が混濁し、その口がだらしなく空いた。


 いつぞや、恐怖に怯えながらも彼が見た光景の様に。


「リーシャさん!」

「うん!」


 呼び掛けとほぼ同時にリーシャは行動を終えていた。彼女はロイの思惑を理解して全ての準備を整えていたのだ。空中を一つ、袋草が飛んでいく。


 スポン、と。

 それは猪の口へ、そして喉の奥へ、更に胃の中へと入った。


 次の瞬間。


ガフッ


 縞猪が黒い煙を吐いた。

 口から鼻から濛々と、毒々しいそれが漏れ出し続ける。どうにかその根源を吐き出そうと魔物は藻掻く。しかし一度胃の中へ入り、そこで炸裂した物の全てを体外へ放出する事など出来はしない。


 およそ十秒。

 生物の身体に浸透しやすい強烈な毒ガスを、縞猪は十分に消化器官と呼吸器から吸収した。そのを受けて魔物は白目を剥き、身体を数度震わせてその場に膝を付く。肺が機能を停止し、続いて心の臓が動きを止めた。


 ドザンとその体が大地に横たわる。

 恐ろしき敵、縞猪は絶命した。


「やったーっ!」


 魔物が事切れるまで警戒を続けていたミリカは得物を放り投げた。わーいわーいとその場で万歳しつつ飛び上がって喜びを露にする。


「や、やった……んだ……」


 自身と仲間で恐怖の対象に打ち勝った。その事実を俄かには信じられず、ロイは呆けながら猪の死骸を見る。自分は生きていて、相手は死んでいる、これほど分かりやすい勝敗も無いだろう。勝った、勝ったのだ。師や年長者の力を借りる事無く、同い年だけの一党パーティで勝利をもぎ取ったのである。


「もーっ、ロイロイ暗~い!」

「うわっ!?」


 そんな彼の様子にミリカはご不満のようで、がばーっ、と勢いよく体当たりアンド抱き着きを食らわした。突然の攻撃にロイは驚きの声を上げる。


「何とかなったね」

「リシャっちのおかげっ!」

「ううん。ミリカとロイ君のおかげだよ」

「違うッスよ。リーシャさん、ミリカさん。三人のおかげ、ッスよ」


 一人でも欠けていたら負けていた。それを正しく認識した彼の言葉を受けてリーシャとミリカはお互いを見、そしてクスリと笑う。


「じゃ、三人のおかげってコトで!」

「きゃっ!?」


 ロイの首を脇に抱えた状態のまま、ミリカはリーシャにも抱き着いた。こと腕力に関しては彼女に二人は敵わない。されるがまま、リーシャとロイはまとめてぎゅうぎゅうと抱きしめられる。


 若者は着実に経験を積み、師の知らぬ所でも成長を続けている。

 彼が立派な一人前の冒険者となる日も、そう遠くはないだろう。

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