第四節 教育
第13話 剣士ロイ
「はっ、やっ、たぁっ」
頬に貼り薬を付けた少年の声が訓練場に響く。カン、コン、カンと木剣が訓練用
「ふぅ、今日はこの辺で終わりにしよう」
彼は額に生じた汗を袖で拭い、木剣を所定の置き場に返した。なお彼が稽古をしていた時間は、軽い朝食を平らげるのに必要となる程度の長さである。冒険者の鍛錬としては準備運動以下、剣が上達しないのも当然と言えるだろう。
「お腹空いたし、朝ご飯に……」
そう言って少年は財布を覗く、そして彼は肩を落とした。
「い、一食なら抜いても大丈夫、うん、大丈夫……うぅ」
燃料を寄こせとばかりにぐぅぅと鳴る腹を抱え、少年剣士ロイは街を歩く。
冒険者の資本となるのは己の肉体と知識、そして経験だ。しかし返して言えば、それ以外で金に換えられる能力が無いとも表現できる。そして何事にも上手い下手が存在し、望まず冒険者を生業とした彼は下手の方なのである。
「お、小僧」
「ジョニーさん!」
ロイは命の恩人に駆け寄り、一日ぶりの再会を喜ぶ。
「昨日は本当に、ほんっとーにありがとうございました!」
「おう、存分に感謝しろよ」
姿勢を正して勢いよく頭を下げる彼に、ジョニーは尊大な態度で感謝を要求した。頭を上げた未熟な少年剣士は「勿論です!」と笑顔で答える。
「剣の稽古でもしてきたのか」
「はいっ」
「ほー、夜明けから今まで訓練とは見上げた根性じゃねぇか」
「えっ」
少年は気まずそうに目を逸らした。
太陽は地平から顔を出してからしばらく経ち、人々が仕事前の食事を終えた位の時間である。稽古、訓練というなら相応の時間が必要となるのが本来。朝一から剣を振っていたとジョニーが考えたのも当然だ。
「その反応、十分に日が昇ってから今まで、って所か。短すぎだろ」
「うぐっ。す、すみません」
「俺に謝ってどうする」
図星を突かれて、ロイは目を伏せた。
咄嗟に謝ってしまうのは、気弱な彼の気質をよく示している。収穫かごをひっくり返して親に怒られて謝り続け。
今までの経験から彼は、とりあえず謝罪するという癖を獲得してしまったのだ。
「そうだ、傷の調子はどうだ」
「あ、はいっ、リーシャさんの薬のおかげで全く痛くないです!」
「それはそれで大丈夫なのかが不安だが」
朗らかに宣言するロイに対して、ジョニーは顎に手を当てて少しだけ唸った。
「もしかして、オレを心配して様子を見」
「違う。もし見かけたら薬の効き目を聞いておいてくれ、とリーシャに言われたからだ。今日一杯は調合で手が離せないんだとよ」
「そ、そうですか……」
感動の予想が大外れして、少年は少し恥ずかしそうにしながらしょんぼりする。が、すぐに顔を上げた。
「そうだった!あのっ、ジョニーさんっ。ありがとうございますっ!」
「存分に感謝しろとは言ったが……短い時間で礼を繰り返せとは言ってないぞ」
「いえ、そうじゃなくてっ」
ジョニーは、何やら嫌な予感がした。
「オレに稽古を付けてくれるんですよね、ホンッとにありがとうございます!」
「おいおいおい、待て待て待て。何の話だ、なんで決定事項みたいに言う」
「え。話は通しておいたから存分に頼ると良い、って組合受付のクライヴさんが」
「あンのヤロウ、一度ならず二度までも……」
リーシャの時とほぼ同じ誘導で駆け出し冒険者を押し付けられた。苦情文句をあとで叩きつけてやると、ジョニーは強く強く心に誓った。
「はぁぁ……」
意識せずに深くため息が出る。クライヴがなぜ口から出まかせを言ってまで自分に少女に続いて少年を押し付けてくるのか、彼はその理由が良く分かっている。元よりアーベンには熟練の冒険者が少なく、王国内に大迷宮が出現して以降は更に減少した。
先達と共に行動する事で冒険のイロハを学ぶ。経験を積んだ後に独り立ちして仲間と共に冒険して熟練へと成長し、今度は自分が先達となるのだ。しかし、このサイクルがアーベンでは途切れてしまっている。外部から冒険者の流入が少ない辺境ゆえの悩みでもあると言えるだろう、この町は王国領の地の果てなのである。
「ちっ、仕方ねぇ」
ジョニーは小さく呟く。
今までのらりくらりと後進の指導依頼を躱してきたが、有無を言わさずに連続で押し付けてきたという事はいい加減に
「指導はしてやる」
「おおっ」
ジョニーの言葉にロイは目を輝かせる。
「が、手加減するつもりは
「うぉ」
凄みを聞かせた熟練者の言葉に、駆け出し剣士の顔に逡巡が生まれた。
「さて、どうする」
「あ、う、おー……」
ニヤリと挑戦的に笑い、ジョニーは問いかける。会話のボールを投げつけられたロイは、承諾した場合に受けるであろう訓練の辛さを予想して返答に迷った。その様子を見て、熟練者はハッと鼻で笑う。
「よし、その様子ならヤル気は無いな。んじゃ、この話はナシだ。あばよ」
「あっ」
ジョニーはそう言って少年の横を通り過ぎる。全ては彼の想定通り、凄めば未熟なロイが返答に詰まると分かっていたのである。面倒事を押し付けられたとしてもその対象が断って来たなら話は別だ。自分は指導してやりたかったが本人が断った、と言えばクライヴも反論できないだろうと踏んだのである。
歩き去るジョニー、少年は振り返って彼の背を見る事も出来ずに俯く。
何をやっても上手くいかず、使えない奴でダメな男。冒険者を一年続けているのも、他の何かをしようと踏み出す事が出来ないだけだ。失敗続きの人生経験から挑戦を避け、そのせいで根性も何も育っていないのである。
生じてしまった迷いから即答できなかった情けなさに、ロイはほとほと自分が嫌になった。そして同時に、これからもその情けない自分を続けなければならないという事実がもっと嫌になった。
グッと唇を噛む。
だがそれは、嫌な未来を甘受しようと決めたためではない。
「あのっ!」
「あン?」
少年は振り返った。ジョニーは彼に向き直る事無く、顔だけを向ける。
「お、オレっ!が、が、頑張りますッ!だから、だからっ、よろしくお願いしますッ!!!」
それは情けない自分への決別の言葉であり、輝かしいかは分からないが少しでも良い未来への挑戦の宣言だ。ロイはおそらく、十六年の人生の中で一番の覚悟をその身に宿していた。
「チッ」
そんな彼の思いなど知る由もなく、ジョニーは舌打ちする。面倒事を
「ふっ」
だがジョニーは少し笑った。ロイが根性ナシの弱々しい奴だというのは昨日の一件で分かっている。そんな奴がなけなしの勇気を口から出した。指導だ何だは別にして、年長者として若者が頑張ろうとする姿は多少なりと応援してやりたいと思うものだ。
ジョニーは振り返る。
「よし、良いだろう。昨日の縞猪よりも更にボコボコにしてやる。覚悟しろよ?」
「う……は、はいっ!」
ロイは少しだけ怯みながらも、強く強く頷いたのだった。
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