第2話 覚悟
………は?
目の前で起こった出来事が理解できずに固まっていると、アリアの顔色がみるみると青ざめていく。
口から血を流しながら苦しそうにもがき始めた。
「あぁ……ダメ……早く……逃げ……」
アリアの言葉が途中で途切れたかと思うと、彼女の体から力が抜けていき、俺の方へ倒れこんできた。
アリアに押し倒されるような形で2人の体が重なる。彼女の体に刺さっていたはずの剣はいつの間にか消えていたが、傷穴からはとめどなく生暖かい液体が溢れてくる。
ここにきての余りにも突拍子のない展開に、完全に思考が追い付かない。その代わりに、何故だか感覚が異様に敏感になった気がする。眼前に広がる金、白、赤の色彩。女性特有の甘いような香りに混ざる血の匂い。どんどん冷たくなっていく体の温もり。それらの情報を感覚器官は理解を拒んだ脳に伝えてくる。
危機的な状況であることに違いはない。
そこでもっと情報を得ようと視野を広げてみる。するとアリアの肩口から”それ”が見えた。
ぱっと見では漆黒の鎧を纏った騎士に見える。だがその鎧があまりにも黒すぎる。白い空間が背景というのもあるだろうが、そこだけ黒い絵の具で塗りつぶしたかのような違和感を覚える黒さだ。そしてその右手にはアリアを刺し貫いたロングソードが握られていた。
俺がその存在に気付いたからなのかは分からないが、黒騎士がこちらに歩み寄ってきた。どうやら止めを刺すつもりらしい。
「くそっ!」
俺はアリアの体を抱えてその場を離れようとしたが、どういうわけか足に上手く力が入らない。アリアを抱えたまま地面に転んでしまう。それでも何とか彼女を庇おうと必死になって腕を伸ばしたが、結局間に合わなかった。目前まで迫った黒騎士が剣を大上段に構え、そのままアリアと俺に向かって振り下ろした。
万事休すかと思い、アリアを抱き寄せ目を瞑る。
ガキィィィン!と、甲高い金属音がこだました。
何故か俺もアリアも斬られてはいないらしい。恐る恐る目を開けてみると、ドーム状の淡い光が俺たちを囲むように漂っていた。このバリアによって黒騎士の斬撃は阻まれたらしい。
「……時間がないわ……これからあなたを異世界へ転送します」
息も絶え絶えになりながら、アリアはゆっくりと上体を起こした。
「私とした事が……モンスターの侵入を許した上に不意を突かれて殺されかけるとはね……これからあなたが行く世界のモンスター、相当手強いみたいね」
「……あなた女神なんですよね。あいつを何とか倒すことは出来ないんですか?」
黒騎士は今もなお剣をバリアに打ち付けている。今のところ持ってはいるが、それも時間の問題のように思えた。
「残念だけど今の私じゃ無理ね……。向こうに着いたらまず教会に行きなさい。そこで女神アリアの名を出して『聖剣』を受け取るの。そしてそれを携えて魔王を倒しなさい」
ゴホッゴホッとせき込みながら血を吐くアリア。今にも力尽きてしまいそうだ。
「……最後に、私の力を少しだけあなたに授けます。それと、あなたの名前も教えてくれるかしら?」
「名前ですか、俺の名前は……」
言いかけて、ある事実に気が付いてハッとする。俺には名前以外の一切の記憶が無い。事故にあって死んだようだが、その時のことはおろか、それまでどのような人生を送ってきたのかも全く思い出せなかったのだ。
「……秋冬です。
「……アキトね。いい、秋冬? これから様々な困難があなたを待ち受けているでしょう。恐らく一筋縄ではいかないわ。でも……どうか世界を救ってほしい」
そう言って、顔を近づけるアリア。俺が何かを思う前に、彼女の唇が、俺の唇に重ねられた。
接吻という言うにはあまりにも弱々しく冷たい感触。しかし、そこから確かに暖かみのある力のようなものが俺に流れ込んでくるのを感じた。
それと同時に、何か映像のようなものも頭に流れ込んできた。恐らく、前世でも会ったことのない人の顔が次々に現れる。
これは……そう、記憶だ。女神と言うには余りにも平凡で…そして幸せそうな一人の少女の記憶。
二人の唇が離れる。すると俺の体が無数の球形の光に包まれた。どうやら異世界に転送されるらしい。
同時に、黒騎士からの攻撃を防いでいたバリアがついに砕けた。後数舜のうちにアリアの命は潰えることになるだろう。
「……ごめんなさい。巻き込んでしまって」
アリアは苦痛と申し訳なさに顔を歪め、それでも俺を見送るために笑顔を作ろうとしていた。
……ああ、やめてくれ。
そんな顔をするのはやめてくれ。
でないと……
「あなたに会えてよかった」
勝ち目の無い戦いに挑まなくてはならなくなる。
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