様々な世界を救ったとある英雄 ~今度の世界ではバズった挙句、また世界を救うことになるかも知れない~

森ノ中梟

プロローグ 或る世界にて(1)

 その山では生物の気配がまるで感じられなかった。山とは言うものの緑が生い茂る自然豊かな場所とは対極で、大小様々な岩石が転がり、登るだけでも命の危険を伴いそうな荒れ果てた地だった。空にはぶ厚い雲がかかっており、時折轟く雷鳴がこの険しい山が尋常ではないということをより顕著にしている。


 しかしこの地は遥か昔、人々や動物たちの憩いの場所であった。今はもう見る影も無いこの山で、共存して暮らしていたのだ。だがそれを一瞬にして崩壊させてしまった存在が、この地に舞い降りた。

 畏怖の象徴としてこの世界の人々から、竜王と呼ばれているドラゴンである。ありとあらゆる攻撃を弾き返す赤く輝く鱗で見上げるほどの巨体を包み、暴風を巻き起こす翼で空を飛び、そして鉄をも軽々と溶かしてしまう炎の息吹を吐く、まさに王と呼ばれるに相応しいドラゴンだ。


 そのドラゴンは瞬く間に、この地を燃やし尽くした。文字通り死地と化してしまったこの場所に生息できる生物などはおらず、ただ蹂躙されるのみだった。

 だがもちろん、人々はそれを良しとはしなかった。幾度となく竜王を討伐するための軍を編成したり、類まれな力を持つ者を勇者として崇め、勇者を中心とした少人数での精鋭部隊を組み襲撃を仕掛けたりした。しかしその悉くが失敗に終わったのだ。爪で切り刻まれたり、踏みつぶされたり、食い殺されたり、炎で消し炭になったりと──この地から戻って来た人間は一人もいなかった。


 いつからか、人々は竜王を倒すのではなく、いかに機嫌を損ねずに共存できるかを考えるようになった。竜王はその気になれば世界を滅ぼすこともできるが、気紛れからか人間のご機嫌取りに付き合い、この世界における頂点の存在として君臨するに至った。


 それからもう、四百年以上が経過した。人々の竜王に対する反抗心など欠片も残っていない中、勇者と呼ばれた者の末裔が率いる集団が、竜王が住むこの死の山に足を踏み入れていた。数百年振りのドラゴン討伐へと赴いているのだ。だがそれぞれの国の権力者たちはそのことを知らない。知れば、竜王の機嫌を損ねて国が焼き払われてしまうと、討伐に許可など出さないだろう。つまりこれは、彼らの独断である。


 だが長い年月もあり、竜王の恐ろしさが眉唾であると思う者たちも少なくなかった。彼らは討伐に成功すれば救世主としての栄誉と富を得ることができると考え、勇者のパーティの一員に加わったのだ。


 そして初めて竜王の姿を目撃した勇者の末裔が率いる集団は、戯れに遊んでやったドラゴンによってその半数以上を失っていた。上半身と下半身が別々になった死体や、地面に赤黒い染みとなるまで虫のように踏み潰された死体が、山の頂上となっている開けた場所にそこら中に確認できる。

 残った面々も戦意喪失しているようで、伝承でしか聞いていなかった本物の巨大なドラゴンを呆然と見上げるのみである。中には武器をその場に捨て、目を閉じ必死の形相で祈る者もいる始末であった。


「つまらんな。勇者の末裔が率いる集団だと言うから遊んでみれば、この様か。退屈しのぎにはなるかと思ったのだが。情けなくはならないのか?」


 唸るような低い声でそう言葉を発したのは、足元にいる勇者の末裔の集団に一瞥をくれたドラゴンだ。その視線の先には、顔中に脂汗を滲ませて震える両手で剣を握りしめている青年がいた。その剣は良く鍛えられた業物というのが一目で分かるが、ドラゴンの鱗を断ち切ることは到底できないだろうし、そもそも接近することが不可能だ。

 彼こそ勇者の末裔なのだが、その場に崩れ落ちそうになるのを抑えるので精いっぱいだった。とてもドラゴンに立ち向かえるような様子ではない。


 そのことをドラゴンも理解しているようで、「やはりつまらんな」と嘲るように言った。誰一人として自分に向かってくる者がいないと判断し、全員焼き払うかと息を大きく吸い込もうとしたところで、支配者たる竜王として余興を思いついた。


「仕方がない、では怯え切っているお前たちに提案をしてやろう。──今ここにいる生き残っている者たちで、殺し合え。残った最後の一人だけは、生かしてここから帰してやる。本来なら皆殺しのところを、生き残れる可能性を与えてやったのだ。嬉しいだろう?」

「そ、そんなことできるか! お前を討伐するため、集った仲間たちと殺し合いなんて……!」

「言葉だけは立派だが……周りを見てみろ、勇者の末裔よ。お前の言う仲間たちとやらの目の色が変わったぞ。当然か、生きて帰れるかも知れないのだからな」


 震える声で勇者の末裔は言い放つがドラゴンの言葉を聞き、彼は周囲を見渡す。すると先ほどまでただ死を待つしかなかった仲間たちには殺気が漲っており、明らかに正常な判断力を失っていた。

 生き残った全員で立ち向かっても竜王を討伐することはできないが、生き残った全員で殺し合えば、最後の一人だけは生きて帰れる──0か1を選択するならば、どちらを取るかというのは、今の彼らには簡単だった。


「お、おい! あんな口車に乗せられるな! 残った一人も殺されるに決まってる!」

「うるせえ! どの道、このままじゃ全員死ぬんだ! なら仲間を殺してでも生きてやる!」

「そうだ! それに元はと言えば、勇者の末裔ってだけで調子に乗って竜王討伐を提案したてめえのせいだろうが! 生贄を捧げていれば、俺たちの国が焼き払われることはないんだ!」


 生きれるかも知れないという餌をちらつかされ、勇者の末裔の集団は仲間殺しも厭わない、無法の集団へと一瞬で堕ちてしまった。まず初めはこの討伐を提案した彼からと他の者たちは考えているのか、彼を取り囲むようにし、じりじりと距離を詰めていく。

 自分が手を下すよりは、よっぽど時間潰しにはなるか──そう思いながら様子を眺めていたドラゴンの視界で、ボロのマントを頭から被った人間がその集団から離れた。この隙に仲間たちに不意打ちでも仕掛けるのか? とドラゴンは考えたが、そうではなかった。


 ボロを纏ったその人間が、しっかりとした足取りでこちらに向かってくるのを見たのだ。集団から離れ、ドラゴンのすぐ近くまで歩いたところで、足を止めた。殺し合い寸前まで行っていた彼らもその異変に気付き、一様にボロを纏った仲間の一人に目を向けていた。


「どうした? さあ、殺し合え。それとも我に直々に殺されに来たか?」

「聞きたいんだが、お前いつから人語を喋れるようになった? 生まれた瞬間からか? それとも、適当な人間をここに連れて来て、懇切丁寧に教えてもらったのか?」


 殺し合いを促されながらも、ボロを纏ったそれは馬鹿にする口調でもなく、純粋に不思議に思ったからなのか、そうドラゴンに訊いていた。発せられた声は、男のものである。

 一瞬にしてこの場の空気が凍り付く。だが男はそんなことはまるで気にしていないのか、立て続けにこう言った。


「四百年前からお前のことは語り継がれているようだから、少なくとも四百歳ってことだな。まあ、四百年もあれば馬鹿でも人語を操ることができるようにはなるか……あ、おいお前、言葉を教えてくれた人間に礼は言ったのか? 喋れなきゃ、ただのデカいトカゲってのは自分で理解しているよな」


 ──この世界において、竜王にこんな口を叩いた者は今、この瞬間まで存在しなかった。ある意味で歴史の目撃者となった勇者の末裔とその集団は状況を把握しきれていないようで、固まっている。もし仲間同士での殺し合いを止めさせるためというのなら大成功なのだが、どうやらボロを纏った男はそんなつもりは毛頭無いようだ。現に、自分の後ろにいる集団のことは一度も振り返っていない。


 そして初めて人間にそんな口を聞かれたドラゴンは、恐ろしいほど冷たくこう言った。


「……この世界の人間をまず、半分殺す。残りは時間をかけて殺していく。だがそれは、最初にお前を殺してから始める。ボロを取って、醜悪な面を見せろ。光栄に思え、この屈辱を忘れぬよう、その顔を見てから殺してやろう」

「お前、変なところに拘るな。生き辛くないのか?」


 やれやれと息を吐く男に怯えた様子は、全くない。それは声や振舞いとして、はっきり出ていた。

 男はボロに手をかけ、ばさりとその体から脱ぎ捨てた。頭までボロを被っているので、どんな酷い顔をしているのかとドラゴンは思ったが──そうではなかった。


 現れた男の顔立ちは端正なもので、まさに男前と言える。緩く上げられた黒髪、そしてドラゴンを見上げる赤い瞳が好戦的に妖しく瞬いた。黒く塗られ、鈍い光沢の鞘におさめられた刀を腰に差しているが、ドラゴンに対抗できる武器とは考えにくい。


 正気とは到底思えない言動を取っている男の名は、リン。

 「今までいたことのある世界」でも、そう呼ばれていた。

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