第17話
時が経って冷静になると多少の自己嫌悪を覚える。翔平に対して過度な懲罰は私情から出たものだ。そして翔平は反抗するわけでもなく粛々と宿題に向かっている。
去年は冬も夏も宿題を後回しにして大いに苦しんでいた。別に勉強しろと強いるつもりはない。自分が成しえなかった夢を子供に託すという行為はしたくない。
それも別に「翔平には翔平の人生があるから」という高尚な理由ではない。夢を託すということは自分自身で成し遂げることを諦めた後の行為だ。私は諦めたつもりはない。
「宿題もかなり終わってきてるし遊びにってもいいよ」翔平にそう伝えたのは3日前。ぼちぼち遠出している息子の友人も戻ってきている頃だろうと思ったからだ。
ここ一週間ほど息子の外出と言えば学校の係くらいだった。そこまで制限をかけたつもりはなかったが友人と遊ぶことを禁じられると結果的に軟禁のようになってしまった。
解禁されてもすぐには翔平は喜びを見せなかった。だがその日のうちに遊びに出かけ返ってきた頃にはすっかり以前の息子に戻っていた。
恐らく慣れない勉強漬けで精神的に疲れていたのだろう。解禁してよかった、だがこれで少しずつでも机に向かう習慣を身に付けては欲しかった。
しかし昨晩にあることをつ得られてから翔平の様子がまた変わってしまった。
「勝次君が病気になった」
勝次君は翔平と一番仲のいい友人だ。外出禁止の間も何度か息子を遊びに誘いに来た。彼が息子を誘って粟坂山へ行ったということを知った時は最初こそ腹が立ったが、よくよく考えると翔平があそこへ行くことを禁止されていたことを知っていたわけでは無い。仮に知っていたとしても子供のすることだ。
どうして他所の子に対しては冷静になれるのか少し不思議だ。
勝次君の体調不良を知り、翔平は狼狽した。
友人が病気になったとはいえその慌てっぷりは明らかに不自然だった。
その日の夕食、子供用茶碗のご飯を半分以上残した。もともと夏になると少し食が細くなる。特に外出禁止の間は身体を動かせないため食欲は控えめだった。
だがそれも解禁されていたし、私も夫も食事を残すことに関してはうるさいほうだ。
さすがにその時は私も「残すな」とは言えなかった。
「何も心配いらないよ、夏風邪だろ。いつも元気に遊び回ってる子が病気になるとまるで天地がひっくり返ったみたいに騒ぐからな」
夫も翔平が元気をなくしたと思い声をかけた。
「う、うん。あのさ……」
翔平は何かを言おうとしたが決心がつかないのかなかなか二の句を継げないでいる。
珍しく私も夫も辛抱強く息子の言葉を待っていた。肝心の翔平は言葉を探すというよりは言うか言うまいかを悩んでいるようだった。
「かっちゃんと僕、この前お山に行ったんだ」
「おう、知ってるぞ」
夫はお茶が入っていた湯呑に焼酎を注いでいる。
「その時、かっちゃんはでっかいカラスの死体に触ったんだ。僕はもちろん触ってない」
激しく手を首を振り自身は無実であると主張する。息子からすれば山に行ったこと自体がまずかったと思っている以上そこでの出来事をわざわざ掘り返すのは当然面白くはない。
「それで、カラスに呪われたのか知れない……」
(呪い……? 今そう言った?)
どこかの年寄りの入地知恵だろうか、今まで翔平がそんなこと言ったことなどあっただろうか。精々幽霊が怖いとかその程度だ。
「呪いかぁ」
普段なら笑い飛ばして相手にしなさそうな夫が神妙な顔つきをしている。
「そういえば昔、死んだばあちゃんが山の神様の話をしてくれたことがあったな」
「そうなの?」
「まぁ、翔平のあばあちゃんのお母さんだからね。神様仏様は俺たちよりずっと大事で身近な存在だったからね」
夫は酔いが回ってきているのか顔が仄かに赤くになり、饒舌になっている。
「粟坂山には神様がいて、この村を見守ってくれているんだ。ほら、神社があるだろ? あそこで祀られているんだ」
話しながら湯呑に常温の焼酎を再び注いでいる。
「村人が毎日幸せに暮らせるように、不幸から守ってくれてるって。でもまぁ戦争ばかりはどうしようもなかったみたいだけどな。その辺は祖母も何も言わなかったな」
「……それで、神様と呪いとどう関係あるの?」
「まぁまぁ、そう慌てるな」
翔平の声は怯えている。夫にもそれがわかったのか逆に楽しそうな顔をしている。
「あなた、もうやめておいたら」
「これで最後の一杯にするよ」
翔平を脅かすことを咎めたのだが晩酌のほうだと勘違いしたらしい。
「でも戦争も終わってしばらくするとこの村にも開発の計画が出てきた。港湾計画だったのか住宅が出来るのか今となってはもうわからんが結局計画はご破算。残ったのは痛々しく削られた粟坂山だけだった」
「それで神様が怒ったの?」
「ん、うん、まぁ」
粟坂山の開発に前後してそんな話は聞いたことはない。誰もが実利的な話題を選び一部の年寄りがたまに「恐れ多いことを」と口にする程度だった。
「神様が怒るとしたらその後だったかもな」
「後って?」
「あのゴミだよ」
私が子供の頃は何度もあそこのゴミを片付けるために駆り出された。いつしか男連中だけになり、そして誰も片づけなくなった。これに関して村人を非難する気にはなれない。なんど片づけても週単位で元の量までゴミが溜まっている。
「でも勝次君や翔平がゴミを捨てたわけじゃないのよ? 神様が八つ当たりでもしたって言うの?」
「『もし怒ったとしたら』の話だよ。別にゴミが原因で神様が怒ったといってるわけじゃない」
興が乗って話していたところを私に水を差されたのが気に入らないのかぶっきらぼうに言い捨てた。
「肝心なのはこれからだよ」
「どういうこと?」
「お父さんもな、実際の神様の話なんてほとんど聞かされてこなかった。八百万の髪って言うくらいだし、山だけじゃなくて海だって田んぼにだっている。その中の一柱に過ぎない。でもわざわざ今話したのはな、時に山の神はカラスに化けるってことなんだ」
「じゃあ、あの時のカラスはもしかして神様?」
「もしそうなら神なのに死んだってことになるわね」
思ったより話も長くなっている、空になった皿を手に台所へと移動する。気分良く寄っている夫は普段は決して言わないが今日は翔平に私の手伝いをするように促している。友達のことで落ち込んでいることをもう忘れてしまったようだ。
「お父さん、もしあの大きいカラスが神様だとしてもやっぱり僕たちが殺したわけじゃないよ」
「でも触ったんだろ?」
「かっちゃんがね」
「もうその辺にしておいたら?」
これ以上酔っ払いの世迷言を聞いていると疲れてしまう。
「だってさ、翔平。まぁ近いうちに神社に手でも合わせに行けばいいよ。神様だってそこまで怒ってるわけじゃないと思うしな」
翔平が風呂に入ると夫は袂から煙草を取り出した。
「ねえ、なんであんな話をしたのよ?」
「んん」
マッチを擦りタバコに火を付ける。
「あれじゃ悪戯に翔平を脅かすだけじゃない」
「いいじゃないか、脅かしたって。お前だって翔平の奴が勝手に山に行ったの気に入らなかったんだろ?」
「もう済んだ話なの。しっかり反省して罰も受けたんだから」
「あの厳しすぎる罰な」
しばらく無言が続き夫は煙草を灰皿に押し付けた。
「まぁ、脅かしたって言うのはちょっと人聞きが悪いな。あの年齢の子供のことだよ。呪いなんて真に受けてさ、今じゃ子供か年寄くらいだろ」
「信じてるからこそ脅しになるんじゃない」
「違うよ、信じてるからこそ解決策を提示してやったんだ。『ただの夏風邪だよ、心配ない』と伝えても実際に友達が回復するまではずっと今日の調子が続くかもしれないんだぞ? それなら『もし呪いでもしっかり謝った』という行動を伴わせたほうがずっといいだろうよ」
「なるほど」とは思った。ただ私を小馬鹿にしているような口調が気に入らなかった。なぜここまで腹が立つのか自分でも不思議だった。
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