第6話

「翔ちゃん、元気だった? もっと遊びに来てよ。おばあちゃんもおじいちゃんも寂しいわ」

「元気だったよ。夏休み前に遊びに行ったよ?」

「そうだったかしら。あら、そうね。おばあちゃん忘れてたわ。いやね年取ると」

喧しく止まることのない義母に翔平も戸惑っている。数年前までは翔平も義母に懐いていたがここ最近はそうでもない。息子からすれば祖母の相手をするより友達と遊んでいるほうがずっと楽しいのだ、無理もない。


義父は無言で縁側に腰を下ろしている。

(寡黙な人だ)

義父とはほとんど会話した記憶がない。声帯を妻に譲ったかと思われるほど正反対な二人だ。うるさくないぶん義母よりはマシなのだが沈黙もそれはそれで感情が読めなくて恐ろしい。

夫に言わせれば孫の翔平のことが可愛くて仕方ないとのことだが言葉にも態度にも出さなくては通じるわけがない。


「美紀さん、これ渡しておくわね」

義母は茶封筒をカバンから取り出し私に手渡した。

「いいのに、お義母さん。そこまで負担でもないですよ」

封筒の中身は見なくても分かる。五千円札が一枚。

「気持ちよ。邪魔するんですもの、せめて出すもん出さなきゃ」

三泊四日でちゃんとした三食付きとなるとこれじゃあ正直足りない。それにどうも義母は「金出したんだから文句言うな」と暗に言っているようで癪に障る。


夕飯の支度にはまだ早い。しかし義両親と同じ空間に居るのも肩がこる。

「お義母さん、わたしちょっと買い忘れがあったので出かけてきますね。翔平のことよろしくお願いします」

「あら? そうなの。もうしっかりしてよね。いいわ翔ちゃんのことは任せて」

買い忘れ等あるわけがない。もちろんここから離れるための方便だ。

ポシェットに財布と見つからないようにそっとタバコをいれて家を出た。


家を出て築地塀に沿って進み袋小路まで歩く。ここには誰も来ない。別に誰かに咎められたわけでは無いが人前では喫煙しないようにしている。

(わざわざ弱みを見せることも無い)

この村の男は大半は喫煙者だが女が吸っているのはほとんど見ない。


袋小路には空き地がある。もとは廃屋があったが私が村を出てすぐに潰したとのこと。しかし潰したと言っても用途があったわけでは無いようだ。

広さも中途半端、場所も微妙とあれば誰も何も建てたがらない。私が帰ってきた時にはもう雑木林と化していた。


短くなった煙草を砂利の上に落としサンダルで踏みつける。夏場であればそこまで警戒は必要ないが枯草が多くなりがちな空き地ではうっかり火事でも起こしかねない。

二本目のタバコに火を付けようとすると草むらから音がした。

「誰かいるの?」

口には出すが誰かがいるとは思えない。雑草の丈は精々数十センチ、子供でも隠れるのは難しい。

ガサッガサッと雑草がゆっくりと動く、風ではない。


じっと見つめていると雑草の少ない開けた場所にサビ柄の子猫が現れた。

(そうだと思った)

この村には猫が多い。港町には猫が多く住み着くのだろうか。自分の経験の中で比較対象は隣町しかないがやはり多いとは思う。


「おいで」

火を付けかけたタバコを袂に戻して戯れで子猫に手を差し出す。

(タバコの匂いが付いてるし無理かしら)

しかし子猫は警戒もせずに近づいてきた。手の前まで進むとクンクンと匂いを嗅ぎ顔をこすりつけてきた。

「人懐っこい子ね、飼い猫かしら? あなたどこの子?」

子猫は返事の代わりにごろごろと喉を鳴らしている。

「何かあげたいけど、タバコしかないの。ごめんね」


自宅に戻るよりこの子と戯れているほうがずっと有意義だ。しかしそろそろ戻らないと義母にまた何を言われるかわからない。

買い忘れと言っておきながら素手で戻るのだ。もうこれだけで十分に怪しい。

「ごめんね、また会いに来るからね」

意味が通じたのか「みー」と短く鳴き草むらへと走って行った。

野良猫にしては警戒心がなく人に慣れている、飼い猫にしては少し毛並みが汚れていた。


「ただいま戻りました」

戻るとリビングは賑やかだ。義母一人ではない、誰かと盛り上がっている。

(翔平じゃないわよね、旦那かしら?)

三和土を見ると女性物の靴が一つ多い。

「美紀さん、ごめんね。勝手に上がらせてもらったわ、許してね」


顔を上げると義理の姉の芳江が立っていた。

「あら、義姉さん帰ってきてたの?」

「うん、今年は休みが取れたの」

義姉は仙台で女性用下着のデザイナーをしている。自力で、一人で生きている女性だ。村を出て滅多に戻らないことから他の村民や義父とはあまりうまくいっていないが義母とは頻繁にやり取りをしているらしい。私にもたまに連絡をくれる。

「言ってくれればよかったのに……」

私はこの義姉が好きだ。この一族の中でただ一人新しい時代で生きていこうとしている。まさに私の想像していた人生を。


「翔君大きくなったね。前に会ったのが、何年前だっけ?」

「確か、一昨年ですよ。義姉さんが同窓会で帰ってきた時です」

芳江は義父と同じ空間に居るのが気まずいのか私の手伝いをするという名目で台所にいる。家事全般はあまり得意ではないのでただ私と話しているだけではあるが。

「同窓会? 覚えてないわ、全然思い出せないし流れちゃったのかしら」

「そうかもね」

あの日はかなり酔って帰ってきて村内でも散々噂になっていた。しかし覚えていないのであればこれ以上掘り下げても意味はない。


「義姉さん、お仕事どう? うまくいってる?」

芳江は調理道具を眺めたり手にとっては戻したりと手持無沙汰にしている。

「まぁ、ボチボチかしら」

「私も義姉さんみたいに働きたかったわ」思っても口には出さない。きっと義姉は理解を示してくれるだろうが、何か私に対して出来るわけでもないし、弟との結婚生活に不満があると暗に言うに等しい。


「でも、あなたの前で言うのも憚られるけど結婚するよりは幸せだと思える」

「……」

実際彼女にとってはほそうであろうことは想像に難くない。だがはっきりそう言われると自分がみすぼらしく思えてくる。

「生涯独身を誓ってるわけではないけど、私が働くことに理解してくれる人がいればぜひ結婚したいわ。でもそんな人いないわ」

「都会ともなれば色んな人がいるでしょ? きっと見つかると思いますけど」

「仙台もあなたが思うほど都会ではないわ。もちろんこの村と比べればどこでも都会だけどね」

義姉は手に持っていたプラスチック製の器をヒョイッと食器入れに戻した。


「義姉さんはどうして働こうと思ったの?」

「今の仕事をやりたかったからよ、だって女性物の下着を男どもがまともに作れると思う? 無理よ。だから」

どうして義姉が成功して私が失敗したか、その答えがわかった気がした。義姉にとってはやりたいこと、目的が労働という形で現れたに過ぎない。私にとってはそれはただの手段だった。だから勤め先なんてどこでもよかったのだ。

「やりたかったからかぁ……」

私のやりたいこと、何も思いつかない。

「ねえ、お鍋大丈夫? 変な匂いするけど」

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