第5話

暗い室内に卓上ランプだけが存在感を放っている。広い板張りの部屋のほとんどを書棚に占められている。

座卓に置かれる古めかしい書物をめくる音が一定のリズムで響く。

部屋の主にとって至福の時間。


部屋の主、朽木康生は粟坂村唯一の寺である験相寺の住職である。まだ40にも届いていないが節くれだった手指に落ち着いた空気を纏った康生は人に50だと言っても誰も疑いはしないだろう。

座卓に置かれた書物は一つではない。部屋の三面の壁の書棚全てに似たようなものが収まっている。


「坊主の息子は坊主」だがもし別の人生が許されたのであれば私は学者を志していた。人生が既に決められていた割には融通を利かせてもらえたとは思う。父は私が寺を継ぐことを一度も強要しなかった。

「こんな田舎だし、後任者はなかなか決まらないかもしれない。だが無理に継ぐ必要はない」父は私が幼い頃から常にそう口にしていた。

父のおかげでK大学へ進み、自分のやりたい研究を好きなだけ出来た。


「康生さん。まだ起きていたのですか、いい加減にしてください。多忙な時期なのですよ」

「すみません。私ももう寝ますので母さんもお休みなってください」

いつの間にか母が手燭を掲げ扉の前に立っていた。

「あなたが休んでいれば私も既に寝ていました。でもあなたの部屋から明かりが漏れていたので気になって見に来たのです」

嘘だ。この部屋の灯は両親の寝室からは見えない。


康生は書物を閉じる。表紙には薄れた墨で『粟坂村史』とある。第1巻は天明5年に記され欠落する年代もあるが膨大なこの村の歴史がこの本棚に満ちている。

大学院で本格的な研究が出来ないとわかった時私はそれほど落胆しなかった。研究危難に居なくてもこの量の貴重な資料がすぐ手の届く距離にある。

これらの資料は私の先祖とそれ以前の寺の住職が己が手で書き上げて物だ。時勢がそれを許さなかったり代替わりが早すぎたりと様々な要因で欠落部位が存在しているのだ。

津軽藩主と繋がりのあった者、上方での生活が長かった者、そして代々村で暮らしていた者。歴代様々な住職の視点で練り上げられた『粟坂村史』には非常に歴史的価値がある。


さらに追い風なのは研究は学者だけがするものという風潮が廃れつつあることだ。

今も昔も「邪馬台国はどこにあったのか?」という議論は尽きない。その議論に今ではアマチュアも堂々と参加している。それも学者にはない新しい視点で論ずるため研究者も舌を巻くほどだ。

そう私の夢は終わってない。


大切に、丁寧に『粟坂村史』を書棚に戻す。すでに寝具の用意は整っている。実際寝る前に少しだけ読もうと思っていたのが気が付くと母に咎められる時間まで読み耽っていた。

布団に入り耳を澄ますと虫の音が聞こえる。

先人たちも同じようにこの音を聞いていたのだろう。


私が歴史学に興味を持ったのはいつであろう。学校の授業、講談、テレビドラマ。色々きっかけと思われるものは過去に散見するが絶対的なものは見当たらない。

学生のころまだ建設途中にも関わらず開館した県立図書館で歴史の本をカバンいっぱいに借りて貪るように読んでいた。


(懐かしい)

知的好奇心はあの頃から少しも衰えていないと自負している。関心の幅は狭まったが深度はあの頃の比じゃない。

幼い頃の私はそこまで好奇心旺盛な子供ではなかった。

疑問があっても「大人になればわかる」とか「そういうもんなんだ」と自分で勝手に納得して人に聞くということはほとんどしなかった。


だが生まれつきそういう性質だったわけでは無い。やはり人並みに疑問を抱き、両親に聞くこともあった。

博識な祖父や父は答えられる範囲で私の疑問に答えてくれていた。その裏で母が父に打擲されていたのを知ったのはかなり後の話だった。

父は私には優しかったが母には厳しかった。詳しい理由まではわからない。ただそういう人なだけだとは思う。

そのせいなのか母は私に理不尽なほどに厳しい。

浴びた手の平の数は覚えていないほどだ。それも必ず父のいないところで。


そんな母も私が成長するにつれ体罰は減り、高校に上がるころにはなくなった。私が母の願うような子になったわけでは無い。単純に母の腕力では必ず御しきれるとは言えなくなっただけのこと。

「母には私が腕力で反抗するように見えたのだろうか」

いつの間にか虫の音は止んでいる。


私が東京の大学に進学する時も母は表立って反対はしなかった。もちろん賛成もしなかった。曽祖父は既になく私が家を出ると父と二人きりになる、それを母にとっても恐怖だったのだろう。

思うに私がいたところで母にとってのストレスの要因だろうし、私を挟むことで父からの打擲のきっかけが増えていたように思えるのだが彼女には異なる考えがあったのだろう。

(もしや私が母の味方だと思っていたのだろうか?)


閉鎖的な村で封建的な寺に嫁入りした母は間違いなく時代の産んだ不幸な女性だ。そんな母にとって時代が変わり私のように自由に生きようとする人間が心の底から憎く認めがたいのだ。

村の藤田さんの娘さんが働きに出ると聞いた時も赤の他人にも関わらず激昂していた。


大学時代は盆だけ帰省したがそれ以外は家業とは無縁な生活を送っていた。院に進むことも父は快諾してくれた。

研究の主題も決まりこれからというときに母から電報が届いた。

こちらから手紙を来ることは度々あったが電報を向こうから送ってきたことは今までなかった。手に取った瞬間嫌な汗をかいたのを覚えている。

「チチ タオレタ スグモドレ」


くも膜下出血。父は一命は取り留めたものの半身は麻痺しとても法要に従事出来ない身体となってしまった。戻った私は父の見舞いどころではないほど目まぐるしい毎日を送らされた。

父の知り合いの住職が市内から来てくれたのですぐに自分の出番が来るということはなかったがその日までただ父の近くでその仕事っぷりを見ていただけで何も教わってこなかった。そんな私を母は冷たい目で見ていた。

きっと誰にとっても誤算だったのは「誰よりも近くで見ていた」ということが学ぶ上でとても大きな役割を果たしたということだ。

「さすが朽木さんの御子息だ。やはり坊主の子は坊主だな」

父の知り合いも檀家の方々も、そして私自身も自分の成長具合に驚いた。


あれから10年以上の月日が経った。あまりに慌ただしい毎日だったのでもっと昔のように思える。足りなかった経験も年月が解決してくれた。

父も快復はしていないが悪くもなっていない。調子のいい日は私に助言をくれたり相談に乗ってくれている。

村民にも頼られ、微力ながらもやれるだけのことはやっている。あとは……。

(いい加減眠らなくては)

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