第3話
「純一、昼飯はどうする?」
「あり物でいいよ、夜は外で食べるんだろ」
この村に外食できる店などない。わざわざ帰ってきた俺のために夜は隣町まで足を延ばすことになった。昔は家族の誕生日にこのような外食をしたのを覚えている。
「あり物か……。米と納豆くらいしかないぞ」
「十分だよ、じゃあ昼までどっか行ってくるわ」
一度部屋に戻り部屋着を着替える。この格好で出かけても問題ないのだが青森の夏は名古屋とは違う。半袖短パンで出かけると少し寒い日もある。とりわけ粟坂村は潮風が強い。
家の外に出ると案の定、照り付ける日の光の割には体感温度は低めだ。
「親父も老けたな」
父の短く刈り込んだ頭にも白い物が目立つようになった。
この村はほとんど変わっていない。しかし住人には変化がみられる。当然と言えば当然なことだがそれが自分の身内で自覚すると少しショックを受けた。
田舎の朝は早い。あまりに早く10時になると昼食をとる老人もいる。この時間は村の住人の7割を占める老人は外に出ていない。少し歩いたところにある田んぼにも農具が置きっぱなしで人の姿はない。
しかし皆が皆家の中にいるわけでは無い。
「翔君!! オニ行ったよ」
「逃げろ逃げろ!! こっち来たぞ」
「今度はかっちゃんがオニだぞ」
田んぼを挟んで反対側の小学校の校庭では小学生低学年くらいの子が走り回っている。小学生には青森の夏も猛暑日の連続に違いない。タンクトップに短パンに汗だくで校庭で遊んでいる。
校舎側に回り込んでみると門扉は開いてある。夏休みでも教師の一部は出勤しているし、俺の頃と同じであれば学校で飼っている動物や植物の世話のために登校する児童もいるからだろう。
卒業した後も毎日のように視界に入っていたころは少しも懐かしいとは思わなかったこの母校もさすがに十年以上久しぶりに見ると感慨深いものがある。
「門もこんなに小さかったかな」
触れてみると所々錆びている。それに形も歪んでしまっているのか完全に開放できていない。
駐車場には車はない。しかし職員室と思われる部屋の窓ガラスは開いている。
声をかけようかと思ったが知った顔があるとも思えない。建物の中に入らなければ問題ないだろう。実際近道として校舎前を突っ切る村民も少なくない。
ひまわりと雑草とが舞わばり争いしている花壇を脇目に校舎の裏へと向かう。少しずつにおいがきつくなってくる。
その理由は校舎裏の鳥小屋だ。
「やっぱりまだ飼ってるんだな」
鳥小屋は俺の頃から改築したのか少し立派になっている。それでも鉄網とトタン屋根でできた簡易的なものではある。扉は南京錠で施錠されてある。最近変えたばかりなのか鍵は綺麗で錆一つない。
網間から中を覗き込むとニワトリたちは控えめに小屋の中を歩き回っていた。普段であれば人が覗きこめば騒いだりするはずだが今のニワトリは大人しいのか夏バテでもしているのかえらく大人しい様子だ。
思い当たる節があり小屋横の棚を見ると餌袋が4袋置いてあり、そのうちの1つは半分ほど減っている。
棚に画鋲で止めてある票を見ると夏休みが始まってから今日まで複数名の名前と日付、時間が丁寧に記入してある。
俺が4年生の頃、担当の子らが餌やりをサボり、休み明けの小屋の中が悲惨なことになったころがある。それを思い出して確認してみたが今の子はずっと真面目なようだった。
「いつも一人や二人はサボってたからなぁ」
校舎をぐるっと一周するとチャイムの音が聞こえる。時刻は12時20分。人気のない校舎のチャイムは空しく耳に響く。しかし子供たちはこの音が身に染みているのか誰ともなく校舎脇に止めてあった自転車に跨り颯爽と去っていく。
「チャイムでようやく自分が空腹なのを思い出したのかな」
仕事をやめてから昼に空腹を覚えることがなくなった。その代わりに3時頃に空腹を感じて間食することが多くなった。
仕事なんて少しも好きじゃなかったが健康的な生活リズムを築くには悪くなかった。
「仕事どうするかなぁ」
本格的に仕事探しを始めるには時期が悪い。面倒事を先延ばしにするようで気分がよくないが、お盆の時期に連絡を入れても真っ当な返事は期待できない。「人事は今長期休暇中ですのでだいたい〇〇日くらいにもう一度……」そう言われるのは想像に難くない。
騒がしい子供たちが居なくなると蝉の声が耳に障る。
ただの学校のチャイムから前途多難な今後のことを思い出すとは思わなかった。
結局時間的にそれ以上足を延ばすのは半端になりそうなので帰宅した。
「純一、仕事見つけるのゆっくりで大丈夫だぞ。ここだと金も寝る場所にも困らんしな。それにどうしても困ったら俺のいる役場で働けばいい。若いのが居なくてみんな重宝するぞ」
父は笑いながら納豆をかき混ぜる。
母が生きていた時は厳しい人だった。今ももし母が生きていれば「失職したくらいなんだ、自分で何とかしろ」と最初から甘えさせるようなことは言わなかっただろう。とは言え理不尽でも冷血な人でもなかったのでどうしても無理だとわかれば全力で手助けしてくれる、そんな人だった。
どういう心境の変化があったのかを想像するのは忍びない。今の俺なんかが考えるよりずっと複雑で真摯なものなんだろう。
「まぁ、最後の最後までやってダメだったらお願いしようかな」
「そうするといい。午後はどうするんだ? 俺はちょっと役場に行ってくるけど夕方には戻る」
午後も特別予定はない。
「午後もちょっと村を歩いてその後墓参りにも行ってくるよ」
「そうか、母さんに報告してくるといいよ。ゆっくり羽根を伸ばせ」
昼食を済ますと父は早速出かけて行った。普段から大して仕事のない役場でも必ずだれかがいる。時間の無駄のようにも思えるが遠出でもしない限り皆暇なのだ。
だが今の俺に果たして時間の無駄だの暇なんだだの人のことを言う資格があるかは怪しいところだ。
せめて少しでも役に立とうと昼食の後始末をするが使ったのは茶碗と箸が2セットだけ。洗い物をしたというにはあまりにも労働量が少なかった。
じゃあ家の中を掃除しようかと思うも
腹が膨れて眠気が襲ってきたが無理にでも身体を動かし外出する。さすがにここで昼寝するのは自堕落を極めている。せめて墓参りくらいは澄ませてからだ。
母の、いや村民の墓は村にある唯一の寺、験相寺にある。
験相寺は粟坂山の麓にあり、位置的にもこの村の心臓の役割を担っている。余所者か否かも験相寺が菩提寺かどうかで決まっている。
同じように粟坂山には神社もあるが神主も常駐しておらず鳥居だけ存在感を出している。神社には普段、人が訪れることは少ない。
家から5分もかからない場所にある寺にはこの時期活気があふれている。檀那衆が寺の手伝いをしているのだ。自分も幼い頃よく手伝いに行ったが年寄りたちに可愛がられていただけで手伝いに来たのか邪魔しに来てたのかわからなかった。
墓地まで行くとチラホラと人の姿は見えるがさすがに閑散としてる。寺の備え付けの手桶に水を注ぎ長尾家の墓へと向かう。
墓は綺麗に掃除されいる。手桶で墓石に水をかけ、線香を立てる。
墓前で手を合わせ今までこれなかったことを母に詫びる。
……それ以外の言葉が出てこない。大学のこと、潰れた会社のことを報告しようにもなんだか相応しくない気がした。
どれほど無心で手を合わせていただろうか。俺も無言だったが心の中にいる母も一言も発しなかった。
目を開けると線香は既に灰となり
墓地の小高い位置からだとここからでも海が見える。堤防と墓地の間は整理されていないとはいえ駐車スペースがある。村民は徒歩で来るが普段は市内のほうに住む元村民は墓参りに車を使う。それでも精々3、4台が止まれば十分という狭さだ。
堤防まで出て西を見ると粟坂山より標高の高い山が見える。高さこそ立派だが途中で開発が放棄され山の半分は土色の崖となっている。昔はきっと名前もあった山なのだろうが今は誰も山としてすら認識していない。
村民からすればきっと負のイメージしかないのだ。
崖下には不法投棄されたゴミで埋め尽くされている。何度もゴミを回収したり、不法投棄を咎める立て看板を立てたりしたが効果はなかった。
堤防から東へ向かうと港が見える。この時間であれば漁師はいないが数人が釣りをしている。さらに進むとそこから隣町の温泉街が見える。日の出ている時間であればそこまで意識しないが夜になると村とは対照的に眩しくなり活動的になる。
若い連中はお互いの存在目的の違いを分かっているが年寄りの中には露骨に敵愾心を露わにする人もいる。
村から温泉街に働きにも出ようものなら非難の的になりかねない。さすがに遊びに行ったり食事をしに行くくらいであれば問題ない、と思っている。
港から自宅方向へ戻ると多くのバラック小屋が視界に入る。幼い頃から変わらずそこに鎮座しているが漁業関係者の物だろうこと以外はそれが未だに何なのかわからない。昼も夜も人の気配を感じない。夜明け前のよっぽど早い時間帯に使われているのだろうか。
さらに真っすぐ進むと県道と合流し三叉路になりその間に大きな病院がある。その病院がこの村の境界となる。病院を過ぎるとすぐに短いトンネルとなっておりその先が温泉街だ。
今はそこまで行くつもりはない。往復で30分は要するし今晩どうせそこを通る。
飯を食って少し歩いただけで眠くなる。
「那古野にいたころにはこんなことなかったんだけどな」
故郷で気が抜けてるのか、思ってるより移動で疲れているのか。
バラック小屋の間の狭い道を通ると家の裏口に着く。裏口はほとんど手入れされておらず、引き戸の外にはムカデやダンゴムシが沸いている。
引き戸の正面の道には腐った板を敷いてありその先には倉庫となっている。
「田舎の家はでかい」このサイズの敷地と家屋を東京や名古屋に用意すると何倍にまでなるだろうか。
虫を追い払い家に入ると二階の自室に戻る。部屋の隅に三つ折りにされている布団の中からタオルケットを引きだす。
時計を確認すると3時前。父が何時に戻るかわからないが1時間くらいは昼寝出来そうだ。
高校生のころまで使っていた寝具からは知らない匂いがする。枕が変わっても気にしない性格だが、それがかつての自分の物だと思うとさすがに奇妙な感覚になる。
鼻から頭に匂いが届くが脳が全身に懐かしいという感情を送り届けようとしない。だが別に眠れないということはない。
かつかつという音が窓の外から聞こえる。音で目が覚めたというよりは目が覚めたら妙な音が聞こえた。窓の外は一階の台所の屋根がある。どうやら屋根の上に何かが当たっているらしい。
軽く、硬質な音だ。部屋の床からは見えない。風が窓を叩く音とは連動していない。
古い家ゆえ多少の故障はあるかもしれない。音の正体を確かめるために体を起こし窓際へと向かう。
「なんだよ」
音の正体はカラスだった。カラスが屋根の上を跳ねるように歩いていた。わかってしまえばカラスの爪が屋根を叩く音にしか聞こえない。
どこにでもいる連中だ、珍しい事でもない。ただ何とかなく不快に気分にさせられた意趣返しで窓を勢いよく開けて追い払おうとした。
ガシャンという窓が縁に叩きつけられた大きい音をわざと鳴らしたがカラスは動じない。
(昨晩の死体といいこの村のカラスは鈍いのか?)
気味が悪い。これ以上相手をするのは気が引けて窓をゆっくり閉めようとするとカラスと目が合った。
西日を反射して体が不気味に赤黒い。様子を見ていると鳴くように何度も口を開け示している。
(声が出ないのかな、病気か?)
それならなおさら早く切り上げたい。窓を閉めてカーテンを手にすると再度目が合う。西日が見せる錯覚かカラスの目は真っ赤に染まっていた。
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