月夜烏は火に祟る

杠明

第1章

第1話

この春、長尾純一は職を失った。それは本当に突然の出来事だった。

純一は那古野にある家具メーカーに7年間勤めていた。年度が改まり桜もまだ青さを残しているなかいつものように出勤すると事務所の前で数人の社員が騒いでいた。

「おい、どうしたんだ?」

集団の後ろのほうで血の気を失った顔をしている後輩に声をかけた。

「長尾先輩、大変です。大変なんです」

後輩は唾を飛ばし狼狽していて、要領の得る説明が出来ないでいる。埒が明かないと思い集団の中を無理に掻き分け扉の前へ行くと販売部の部長が真っ赤な顔をして皆に何かを説明していた。聞き取ろうとしても集団の怒声と悲鳴、そして部長の枯れた声で未だに事態の把握が出来ない。

だがわからないにしてもただ事ではない、それもかなりの悪い知らせであることは想像できた。

「社長が飛んだ」


二代目である現社長の後藤明憲はやり手で部下には知られていた。先代は戦後の朝鮮景気で懐を肥やした金持ち相手に海外の高価な家具を卸売りし今の後藤家具の始祖となる人だった。

大して二代目はさらに後藤家具を拡大させ、金持ち以外にも手の届く家具の販売をも手掛け会社の規模を数倍にも拡大させた。

会社はどう見ても順風満帆だった。しかしそれは見かけだけの話だった。


家具は頑丈に作れば作るほど自らの市場を硬直化させてしまう。だからと言ってメーカーが手を抜いて作ることはない。次第に海外から継続的に商品を購入してもそれは倉庫に嵩張るだけとなっていった。

そこで社長は製造自体も自社で行うように組織改編を行った。そこまではよかった。

自社の工場には短期で学生がよく働きに来ていた。その学生の中にに携わる者がいたため数か所の工場で当局の捜査が入り、周囲からもあらぬ疑いをかけられることになった。

その後、役員の中にも扇動者のレッテルを張られ厳しい監視が行われるようになり嫌がらせのようなこともされるようになり操業停止になる工場も出始めた。


確かに会社大きな損害が被った。しかし会計上はまだすぐにでも潰れてしまうような損失は見られなかった。だから俺もその日、何の心配もせずに出勤したのだ。

それが3か月前の出来事だ。


4月ということもあり再就職は全く進展しなかった。ただでさえ学生運動や工場閉鎖で悪評が広がっている中でこの時期に中途採用を考えている企業はほとんどなかった。生活費もさることながら就職活動にもかなりの出費が伴う。貯金もどんどん底が見え始めている。

「もう潮時かな」

俺は諦めて実家の青森に帰ろうかと考え始めていた。父に話すと「何時でも戻ってこい」と受け入れてくれている。


もともと一人息子の俺を進学で送り出すのも躊躇っていた。学生の頃は鬱陶しくも思っていたが5年前に母が亡くなり、父も寂しいのだろう。

会う度にどんどん老けていく。これを機会に地元に帰るのも悪くないと思い始めた。

問題なのは仕事だった。

故郷の粟坂村あわさかむらは小さな漁村で、漁業以外の仕事は個人の商店以外役所くらいしかない。

粟坂村は一応は県庁所在地に属する村だが俺を筆頭に若者はどんどんと村を出ていく。西は栄えた都市、東は温泉街、北は海で南は山に囲まれた村は既に限界が来ている。漁師も捕れた魚を直接隣町に卸している。


そんな未来のない故郷に帰ろうとしている。

「もう仕方がない」

面接で落とされるのはいいほうで最近では書類で弾かれる。財布もそうだが精神的にもそろそろ潰れてしまいそうだった。

大きなため息を一つ吐き大家へ電話をかけた。


アパートにある物はすべて二束三文で売り払った。粗大ごみとして引き取ってもらうよりはいくらかまだマシだろう。

駅には見送りは一人も来なかった。同じ会社にいた連中も俺と同じか、運良く再就職できた奴は俺たちと関りがあるとは思われたくないのだろう連絡もつかない。

薄情だとは思うが恨みはしない。立場が逆なら俺も同じ態度をとってだろうと思うからだ。


半日近く電車に揺られ青森駅に着いた頃には既に真っ暗だった。

そこからさらに市営バスで1時間もかかる。田舎の夜は早い。父もその例に漏れず俺が付くころには布団の中だろう。店じまいの支度をしている売店で売れ残りのおにぎりを2つ買い、バスの待ち時間で空っぽの胃袋の中に放り込む。

10年ぶりに故郷へ帰ってきて最初に口にしたものが冷え切って固いおにぎりなのは少し悲しかった。


バスは市街をゆったりと抜けると山間に入る。この時間は帰宅ラッシュもおさまり、バスも仕事終わりのサラリーマンを吐き出すのは控えめだ。山間は険しくはないが明かりに乏しくバスも徐行を繰り返している。夏場でこれなのだから冬はもっとひどい。遅延はして当たり前。次の定刻までにくれば早いほうだ。

つまり隣町で就職した場合、村から出勤しようとすれば朝は6時前には毎日起きなければならない。

とても俺には出来そうにない。高校の時も朝練が嫌で部活に入らなかったくらいだ。それだけ朝が弱いのだ。


バスが最後の山麓を抜けるといよいよ粟坂村だ。明るい時間ならここからちょうど海が見えるがこの時間では泊地の灯だけがぽつんとそのが海であることを主張している。Uの字に山々に囲われた海の景色は美しいのだが景勝地と呼ぶには物足りない。

ねぶたの季節になれば市内も賑わうのだが宿泊地には有名な温泉街も近くにあるせいで誰のこの村に気を止めたりしない。

ここはそんな村なのだ。


停留所で降りた乗客も当然のように自分だけ。他の数人の客はあと数分ほどバスに揺られ温泉街まで行くのであろう。

腕時計を見ると既に21時を回っている。バスは予定より少し遅れたようだ。近くの家々に明かりはなく。村民は既に夢の中なのだろう。

久しぶりの故郷は見た目の上では何も変わっていないが、変わっていないこと自体が寂れる一方なこと指示さししめしている。

生まれ故郷には人並みの愛着はある。だがこの村で残りの人生を終えるのも不満がある。整理のつかない感情がわだかまりとなって喉奥に詰まっているようで落ち着かない。ただの帰省ならどれだけ楽だっただろうか。思わず表情を顰めてしまう。


5分も歩くと舗装されていない公道なのか私道なのかわからない道に出る。

下は砂利道、上は軒と軒の間を巨大なクモの巣が張っており通行には苦労する。ぐるりと回って公道を通ればいいのかもしれないがこの道だと10分は短縮できる。

月明りを頼りに悪路をを歩いていると前方に黒い塊が見える。その周囲だけ墨汁を撒いたかのように暗闇の質が異なっている。

(なんだろう……気味が悪いな)


ゆっくり塀に手を付き謎の物体まで近づく。2メートル、1メートル、50センチ。

墨に見えたものはカラスの羽。謎の物体はカラスの死骸だった。

「喧嘩にでも負けたのかな」

大いに警戒してた照れ隠しで誰に聞かせるでもなく想像を口にする。

しかし珍しい物を見た。初めてではないにしてもカラスの死骸なんてそうお目に掛かれるものではない。それほどこいつらは賢く滅多なことでは人間相手にも後れを取ったりはしない。


せめて土の上にでも移動させようかとも考えたが不衛生だし何よりここまでの道のりで身体も疲れ果て面倒臭い。丁寧に埋葬したところでどうせ野生動物に掘り起こされ食い散らかされるだろう。

一片の同情だけカラスに投げかけその場を後にする。

最期に濁ったカラスの目が月光を反射して不気味に光ったように見えた。


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月夜烏は火に祟る 杠明 @akira-yuzuriha

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