第2話 目覚めたけど……

 甲子園はよく高校球児に「聖地」と言い表される事がある。元々聖地とは神や仏、聖人などに関係がある神聖な土地という意味だ。


 言ってしまえばただの野球場が何故聖地と言われるのか――それは多分、白球を追い続け幾多の犠牲を払い努力し続けた高校球児にとって、この場所は選ばれた者しか手の届かない最高峰の舞台であってほしいという願いからなのだろう。


 暑苦しくなってしまうかもしれないが、流した汗も涙もこの時の為にあったんだなと納得出来るほど、甲子園という場所で得た達成感は凄まじいものだった。


「柳生選手! 甲子園優勝おめでとうございます! 今回の試合の勝因はズバリ何だったのでしょうか!」


「そうですね。相手チームがとても強いチームであるのは知っていたので、強大な相手にチーム一丸となって戦えた事が一番の勝因なのではと思っています」


 優勝旗の授与式と閉会式が終了し、俺は記者の取材を受けていた。若干テレビで見た事のあるような女記者の後ろには、三人のカメラマンがレンズ越しに俺を見ていた。


 早く宿に戻って休みたいというのが正直な所だが、プロ野球選手になる以上こういったマスコミの対応にも慣れておいた方がいいだろう。


 首に掛かっている金色のメダルを指先で触れながら周りを見ると、監督や俺達のチームの主将も取材を受けているようだ。


「最終打席のホームラン、あれには私も興奮してしまいました! あれは狙っていたのでしょうか?」


「いえ、偶々ですよ。いい感じで打球が伸びてくれたので助かりました」


 狙い球を絞っていたのは事実だ。だけどここで「狙ってましたね。あんなの自分なら楽勝過ぎますよ」なんて言った日には、新聞にえらく誇張して書かれるからな。


「そうなんですね~。――柳生選手は今回のドラフト会議で最も注目される選手とされていますが、高校卒業後の進路はどのように考えていますか?」


 女記者の問いで、疲れてボヤっとしていた頭が少し冴える。


 高校卒業後の進路……そんなの昔から決まってる。その道を歩む為に今日まで努力し続けたのだから。


「……そうですね。プロ野球選手というのが幼い頃からの夢でもありましたし。自分を必要としてくれる球団があるのであれば挑戦してみたいですね」


 社交辞令というか、ぼんやりとした回答に女記者は少し苦笑を浮かべ、


「プロの意思はあると……。――では柳生選手! 今後の活躍も期待しています! そして改めて甲子園優勝おめでとうございます!」


 女記者は可愛らしい笑顔を浮かべ、俺に握手を求める。


「あ、ありがとうございます」


 甲子園の黒土と自分の汗で非常に汚れている手を出来る限りズボンで拭い、女記者と握手を交わす。


 ……き、汚いとか思われてないかな。


(それにしても……やっとここまで来たな)


 去り行く女記者とカメラマンの背中を見ながら、俺はここまで歩んできた険しく苦しい日々を頭の中で振り返る。


 高校生活という一生に一度の青春を全て野球に捧げ、放課後のバイトや女の子との恋愛も一切せずただひたすらに汗を流した日々。


 決して甲子園優勝が夢ではない。俺が夢としているのはこの先にあるステージ。


(でも……やっぱ嬉しいな、優勝は)


 そう思うと今まであまり湧いてこなかった嬉しさが津波のように押し寄せてくる。感じていた疲れも嬉しさの激流に飲み込まれていった。


「――よし! ここからスタートだ」


 弾む心を落ち着かせ、入団会見で何を話そうか考えながら俺は帰りのバスへ向おうと重いエナメルバックを肩に担いだ。



          ◆



(――ん? 何だか体がふわふわする。疲れか? ……いや、疲れみたいな嫌な倦怠感ではない)


 ここは……多分夢の中なのだろう。だって目を開けていても真っ暗だし。不思議な夢もあるもんだ。


(でもそろそろ起きないとな……。結構寝た気もするし、どうせ宿にも高校関係者や記者達がいるから寝起きの顔ではバス降りれないしな)


 俺は夢の中であろう真っ暗な空間で自分の両頬をパシンッ! と強めに叩く。これで起きる――、


「……あれ? 俺、起きてる?」


 ジンジンと痛む頬。瞼も完全に開いている。若干肌寒いという感覚もある。これらの条件が揃っていてまだ夢であるというのは少し無理がある。……てかこれ、完全に起きてるよな?


「え……どう、なってんだよ、これ」


 見渡す限り闇が広がる世界。上下左右どこもかしこも真っ黒な景色が延々と奥へ広がっている為、自分が立っているのかさえ分からなくなりそうだ。


(ちょ、ちょっと待て……。確か俺は……)


 パニック状態の脳みそに鞭を入れ、脳をフル回転させる。


 確か俺は女記者からの取材の後にユニフォームからジャージに着替えて……バスに乗り込んで……宿に着いてからの予定を部長から聞かされて……寝た、よな。


 ……うん。確かにそうだ。騒ぐチームメイトを尻目に俺は耳にイヤホンを挿してそのまま目を瞑ったのだ。


「――そして起きると……どこだよ、ここ」


 人間、どうしていいか分からなくなると本当に脳が働かない。俺は何をしたら正解なんだ? 出口を探せばいいのか?


「でも出口って言ったってな……。そんなもん何処にも無いし……。――取り敢えず歩いてみるか……」


 歩けるのかが心配だったが、ビビりながらも足を動かすとちゃんと体は前に進んでくれている。だが周りが真っ暗で進んでいる感覚が掴みづらい。


 キョロキョロと周りを確認しながら進んでいたその時、遠くの方から何やら白く発光した飛翔体がこちらに近づいてくる。


「何だ……あれ……」


 目を凝らしてよく見ると人型の何かが飛んでいるのが分かる。その人型飛翔体はどんどんと俺との距離を縮めていき――、


「やあ! 元気かい?」


 黒髪の元気そうな男の子が、笑顔で俺に向かって手を上げた。

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