放課後のペントハウス

草迷宮ひろむ

第1話 新東京市 

 東京近郊、緑豊かな丘陵地の最中にその街はあった。日本のバブルが弾けた頃に、その街は誕生した。それまでの乱開発の反省を生かし、先進的な都市計画に基づいて造られた。数多くの教育機関と研究機関が存在し、東京研究学園都市とも呼ばれている。人口六万を有する、自然と暮らしが調和した街、新東京市。

 

 行き過ぎた開発を抑制した結果、新東京市は交通の便が非常に悪い街でもあった。街の四方を囲む丘陵地はハイキングコースとして親しまれるような場所で、自然林が残り、野生動物も多く生息していた。道路も鉄道も建設には不向きな土地だった。街の外に出るには丘陵地の地下を通貫するトンネルか、もしくは丘陵地の稜線を跨ぐよう延伸されたモノレールを使うしかなかった。このような立地から、新東京市は陸の孤島と呼ばれるようになった。

 

 街はモノレールの駅を中心に栄えていた。目抜き通りは昼夜問わず客で賑わっていた。若者の姿が多く見受けられるのは教育機関の多さ故。わけてもブレザー姿が目立った。男女ともに紺とグレーを基調としたブレザーを着るのは、私立成藍学園の生徒たちだった。

 

 私立成藍学園は中高一貫の共学校だった。校舎は丘陵地の中腹に位置し、新東京市の街並を見下ろすような立地にあった。中学と高校を合わせた総生徒数は千人を数え、事実上のマンモス校として広く知られている。教師の数に対して生徒の数が多すぎる学校では、往々にして校務に支障を来すのものだが、こと成藍学園において弊害はなかった。

 

 その理由は成藍学園独自の運営システムにあった。校訓である自主自律の精神に則り、教師が生徒に学校の自治権を与えたのだった。成藍学園の運営は、自治権を持つ生徒ひとりひとりの手に委ねられていた。こうして『生徒自治権』は、教師の負担を減らす一方で生徒の意欲を高めるという結果を生んだ。生徒が積極的に学校運営に携わる『生徒自治権』は、成藍学園の伝統として引き継がれていった。

 

 実務を担うのは委員会だった。運営の中核を担う『生徒会』、生徒会長選挙を司る『選挙管理委員会』、校内の風紀を取り締まる『風紀委員会』、学園のマスメディアである『放送委員会』、学校誌を発行する『編集委員会』、『保健委員会』は公衆衛生の最前線に立ち、『図書委員会』は司書としての役割を果たした。

 春の体育祭は『体育祭実行委員』、秋の文化祭は『文化祭実行委員』が取り仕切り、部活間の連絡調整のために『体育会』『文化会』が組織された。


 生徒の間では、部活動と委員会活動は同じくらいの意義があり、学校生活において大きなウェイトを占めるものだった。生徒はおしなべて意欲的だが、不人気な委員会も存在した。ボランティア活動に従事する『ボランティア委員会』がそうだった。不人気の理由は、地味で、力仕事が多く、報われないため。『ボランティア委員会』は生徒の間で敬遠される存在だった。


 四階建ての校舎のさらに上階、『ボランティア委員会』の委員会室は、生徒が普段足を踏み入れない場所にあった。そこはペントハウスと呼ばれる建物の出っ張った部分。一般的には空調の機械や配管などがむき出しのまま詰まっているような場所。成藍学園においても、倉庫を強引にリフォームした場所だった。


 校舎の階段を上り詰め、屋上へと通じる扉を眼前に右を振り向くと、もうひとつ扉があった。無機質な鉄の扉には『ボランティア委員会』と表札が掲げられている。

「やっと……たどり着いた」

 三崎悠人みさきゆうとは地上一階から五階までの階段を一気に駆け昇った。両手には紙がぎっしり詰まった手提げ袋。鉄の扉を前にして、息を整えながら三崎は校舎の構造を恨んだ。どうして職員室が一階にあるのだ、と。

「……それよりも、早く伝えなくちゃ」

 すらりとした体躯に癖のあるマッシュカットのヘアスタイル、三崎は紙袋を胸に抱え、額の汗を拭うと勢い扉を引き開けた。

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