天使の皮を被った悪魔
こたろう文庫
第1話 悪魔
「シトルリー様、アデスモス陛下がお呼びです」
シトルリーの部下であるハイデーモンのエリゴールは、ビシッと背筋を伸ばし、アデスモス城の一室でくつらぐシトルリーに報告する。
エリゴールは女の悪魔ながら、高い戦闘能力に加え指揮能力が優れていることから、右腕としてアークデーモンのシトルリーに仕えている。
「何用だ?」
シトルリーは険しい顔で尋ねる。
シトルリーは確かにアークデーモンではあるが、その力は王であるアデスモスを遥かに凌いでおり、アデスモスが王でいられるのはシトルリーが王の座に興味がないからだ。
だからこそ、王から呼び出しがあろうと慌てることはない。
「先の天界との戦いにて天使を取り逃がしたことについてだと思われます。失礼ながら申し上げますと、同じ天使に逃げられるのはこれでニ度目、陛下に不審に思われているのかもしれません」
「我が敵をわざと逃したと、貴様はそう言いたいのか?」
ギロリと視線を向けられながら圧の掛かった言葉をぶつけられ、エリゴールは全身を震わせる。
「シトルリー様があのような天使を取り逃すことはありえません。となれば、シトルリー様がわざとあの天使を殺さず逃したと陛下が考えるのは当然のこと。シトルリー様には何か思惑があってのことだと私は理解していますが、私はもちろん、陛下でさえシトルリー様の深淵より深い思考に至ることが出来ないのです」
エリゴールは表情を表に出さないように注意しながら答える。
少しでも気を抜いてしまえば、向けられた殺気に耐えきれずにその場で腰を抜かし、誰にも知られてはいけない秘密が露顕することになるだろう。
エリゴールは恐怖や痛みが快感となってしまう性癖の持ち主なのだから。
そんなエリゴールを恐怖させられる唯一の存在こそがシトルリーである。
「じじいには黙ってろと言っておけ。我が手を貸しておるのは暇を持て余していたからだ。我に指図する気なら天使の前にじじいの首を落とす」
シトルリーはエリゴールから都合の良い答えが返ってきたことに内心安堵し、本来忠誠を誓うべき王からの召喚を拒否する。
「天界との争いもシトルリー様には児戯当然なのですね。シトルリー様の時間を奪う者は例え王であってもこのエリゴールが排除致します」
エリゴールは王に逆らってボロボロになる自身の姿を妄想してゾクゾクしながらも、表に出さずに一礼して告げる。
「我の為に命を賭して戦うことを許す。あのじじいが俺の所有物に手を出すとは思えぬがな」
シトルリーの言葉にエリゴールは片膝をつく。
「私がシトルリー様の所有物だと知らしめる為に首輪を付けるのはどうでしょうか?」
我慢し続けていたエリゴールであったが、殺気に当てられ、命を物のように軽く扱われたことで、ポロッと考えていたことが口から漏れてしまう。
「そんな物は不要だ。貴様が首輪を付けずとも、貴様が我の所有物であると周知させ、我を不快にさせないのは王であるじじいの義務。仮にじじいが貴様を葬ったなら、じじいと共に我の糧としてやる。安心しろ」
シトルリーはエリゴールが興奮していることに気が付きつつも、いつものように気付かぬふりをして答える。
そもそもの話、シトルリーはエリゴールが特異な性癖の持ち主だと理解した上で言葉を選び、わざと殺気を飛ばしている。
シトルリーなりの部下への労いだ。
「星より広い寛大なお心に感謝します」
エリゴールは先程の自身の失態から性癖が露呈していないことに安堵しつつ、シトルリーを賞賛する。
「そのような些事よりも、我の腹心である貴様に聞くことがある。女とはどのような時に男に心を許すのか。女である貴様の考えを聞かせろ」
「な、何故そのようなことを聞かれるのですか?」
エリゴールは少しモジモジしながら聞き返す。
「いいから答えろ」
「やはり、長い時間を掛けて心を許していくのではないでしょうか?苦楽を共にし信頼関係が築かれ、いつしかそれは愛情に変わるのだと」
エリゴールは長年右腕として側に居続けた自分をアピールする。
「…………良いことを聞いた。退がれ」
シトルリーは妙案を思いつき、エリゴールを自室から退出させる。
「皮を剥ぐ道具はどこにしまっておいたか」
エリゴールのいなくなった部屋で、シトルリーは不敵な笑みを浮かべつつ必要な物の準備をおこなう。
「ない!どこだ!どこにある!」
シトルリーは隣接している物置部屋で箱をいくつも開け、散らかしながら探すが、目的の魔導具が見つからず苛々を募らせる。
「…………このただのハサミでも我にならいけるか?いや、万が一の失敗も許されない。万全を尽くさねば」
「もしや、屋敷の方に置きっぱなしになってるのか……?屋敷までは我の足でも2日は掛かる。帰ってくるまでに4日……だめだ!4日もあればまた天使どもが攻めてくるかもしれぬ。質は下がっても街で揃えるしかないのか」
シトルリーが頭を悩ませていると、頭上から激しい爆発の音が聞こえる。
「じじいの魔法か……エリゴールのやつ、本当にじじいに喧嘩を売りに行ったのか。じじいも馬鹿じゃない。殺されはしないだろうが………………いや、これを利用しない手はないな」
シトルリーはアデスモスの元へ向かう。
一方、シトルリーの言うことを忠実に守って王の間に伝言を伝えにいったエリゴールは、アデスモスの起こした爆発により吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。
「あまり余を怒らせるな。ここは余が支配する地だ」
アデスモスはエリゴールに忠告する。
「…………。」
エリゴールは無言でアデスモスを見つめる。
恐怖から声を発することが出来ないのではなく、アデスモスに対しての興味が下がったからだ。
やはり私を満足させられるのはシトルリー様だけだと、エリゴールは改めて認識する。
『こいつをここで殺したらシトルリー様は私を叱ってくれるかな』
エリゴールが物騒なことを考えていると、王の間の扉が勢いよく開く。
「随分とエリゴールを可愛がってくれたようだな。これは我に対する宣戦布告と捉えて問題ないな?」
王の間に乗り込んだシトルリーはエリゴールのわずかに焦げた洋服を見て、アデスモスに告げる。
「くっ……、勘違いするでない。余にそのような考えはない」
アデスモスは焦りながら否定する。
アデスモスにとって、シトルリーが配下を心配することは完全な想定外だ。
「この状況をどう説明するつもりだ?」
「王としての威厳を損なわぬようにしたまで。国を治める魔王のひとりとして必要な処置だ。このような小娘ではなくお主が来ていればこのようなことにはなっていない」
「貴様の都合は理解した」
「わかってくれるか」
アデスモスは安堵の表情を浮かべる。
「ああ、つまり、我の腹心であるエリゴールに対する暴挙を我への宣戦布告と受け取るのも、我の都合だと理解してくれるということだろ?」
「…………何が望みだ?」
アデスモスは苦虫を噛み潰したような顔をしてシトルリーに尋ねる。
脅されていると理解して。
「この城の全て……と言いたいところだが、貴様が保有している魔道具で許してやる」
「断罪の鎌が狙いか。あれを寄越せと言うなら、お主が相手でも退くことは出来ぬ」
アデスモスは勝手な憶測をして抵抗を見せる。
断罪の鎌はアデスモスの力の象徴にもなっており、それを失うということは王としての権威を失うにも等しく、圧倒的な力の差を知っていてもなお、許容することは出来ない。
「あんなものはいらぬ。
合成獣を作る魔導具には、皮を剥ぎ、繋ぎ合わせるための裁縫用の魔導具も含まれる。
「何をするつもりだ」
「貴様には関係ない。だが安心しろ。この城に合成獣を放つつもりはない」
「……持っていけ」
アデスモスはシトルリーをしばらく見つめた後、折れる。
シトルリーが王に興味がないからこそ自らが王でいられると理解しているアデスモスには、そもそも折れるという選択肢しかない。
「エリゴール、我の部屋に運んでおけ」
「仰せのままに」
壁に叩きつけられたのが幻だったかのように、エリゴールはスッと立ち上がり主人に一礼する。
「そういえば、我に用があるのだったな。我は今機嫌がいい。話くらいは聞いてやろう」
必要な物が揃うことになり言葉の通り上機嫌となったシトルリーは、元々の用件である呼び出しについて時間を割く。
これも算段のあってのことだ。
「先の戦いのことだ。余の記憶が間違ってなければ、今回逃した天使は以前逃した天使と同じ。お主程の手だれから自力で逃れるだけの力があるようにも思えん。何故逃した?お主が天界に与したとは思っておらぬが、この地を統べる者として聞いておかなければならない」
エリゴールが予想していた通りのことをアデスモスが尋ねる。
「確かにあの天使を逃したのは我の策略によるものだ。あの天使は特別であり、我の判断で殺さないと決めた」
「余にはあの天使が何か特別な力を持っているようには見えなんだ。確かに他の天使と見た目は違うが、何が特別なのか言ってくれぬとわからない」
「貴様に言えることはあの天使に危害は加えるな。それだけだ。下っ端共にも周知させておけ」
シトルリーは
これでシトルリーが知らぬところで殺されることがなくなる。
「…………わかった。ただし、こちらが優位を保っている間だけだ。危機に陥っている時まで約束を守ることは出来ぬ」
アデスモスは結果として面倒な縛りを受けたことに後悔しつつ、妥協案を示す。
「それで構わん。他に話がなければ帰らせてもらう」
「退がってよい」
アデスモスは頭を抱えつつも、圧倒的な戦力であるシトルリーのいいなりになるしかない。
天使どもだけでなく、他の魔王にも大きな顔が出来るのはシトルリーの力によるところが大きいのだから。
「失礼します。陛下より合成獣作成用の魔導具を預かってきました」
シトルリーが他の準備を進めていると、エリゴールが待望の魔導具を持ってくる。
「ご苦労。我はこれでも貴様のことは高く評価している。じじいも本気ではなかっただろうが、一撃を食らってみてどうだった?」
シトルリーはエリゴールを正しく評価した上で尋ねる。
「シトルリー様の足元にも及ばぬかと。楽にとは言いませんが、正面から戦えば私でも負けることはないと思います」
「だろうな。この魔界で我が手を焼くとすれば貴様くらいだ。我に付き従っておらねばその首を刎ねている」
「滅相もありません。私ではシトルリー様の相手になりません」
「事実はどうであれ、我は貴様の力を認めている。我は暫し魔界を離れることとした。その間、戦の指揮は貴様に任せる。我の代わりを務めよ」
「嫌です!」
エリゴールは拒否する。
悪魔とは本来私利私欲で生きる存在であり、主人からの命令であろうと本能を優先する生き物だ。
「我に逆らうか。覚悟は出来ているのだろうな?」
エリゴールがいれば天使どもに押される心配はないと考えていたシトルリーは、エリゴールが断ったことに苛立ちを見せる。
「シトルリー様がいないのに戦う意味はありません。せめてどこに何をしに行く為に魔界を離れるのか教えてください。人間を滅ぼす為に人間界に行くのであれば私もお供致します」
「…………あの天使に会う為に天界に向かう。これ以上話すつもりはない。同行も許さぬ」
シトルリーは核心の部分は話さずとも、目的地は正直に話す。
「…………わかりました。お戻りはいつ頃でしょうか?」
「定期的に戻る予定ではいるが、暫くは戻らない。留守を任せられるのは貴様だけだ。頼まれてくれるな」
「……仰せのままに」
エリゴールは不満を抱えたまま了承する。
エリゴールの返事を聞いたシトルリーは最後の荷物である合成獣作成用魔導具を空間を拡張した収納袋に入れ、窓から飛び立つ。
「門の前に天使が2人、我やエリゴールのような悪魔からすればいないのと変わりないが、下っ端どもを相手にするなら十分ということか」
魔界と天界を隔てる門がある浮遊島までやってきたシトルリーは、魔界側に天使がいることに呆れつつ分析する。
「とりあえずはあいつでいいか。我の作戦がバレてしまっては元も子もない。眠れ!」
シトルリーは門を守る天使達に向かって殺気を飛ばす。
殺気に当てられた天使2人はあまりの恐怖から足をガクガクと震わせた後、足下を濡らしながら気絶する。
「さて、久しぶりではあるが我なら問題あるまい」
シトルリーは収納袋から合成獣作成に使う専用のハサミとナイフを取り出して、気絶した天使に術式を込めながら皮を剥ぎ、形が崩れないよう慎重に羽を体から抜き取る。
「開いた所にジッパーを付けて脱着出来るようにすれば…………完成だ。さすが我、完璧の出来だ。どこからどう見てもこの天使にしか見えん」
天使の皮を主材料として作った着ぐるみを着たシトルリーは、その出来に満足する。
「あ、あ、あー。よし、声も変わったな。記憶も問題ない。こいつは上級天使のドミント。我……私はドミント」
術式により上級天使ドミントの記憶まで手に入れ、魔術により声の質も合わせたシトルリーは、皮を剥がされ無惨な姿となったドミントを浮遊島から落として処理する。
「何があった!?」
もう1人の天使を背負って門をくぐったシトルリーは、すぐに天界側の門を守護する憲兵に見つかる。
「恐ろしい化け物が現れて、私にはシャラークを連れて逃げるだけで……」
ドミントの記憶からこちらにも天使がいることは分かっていたシトルリーは、前もって考えていたセリフを言う。
「顔が青ざめている。余程怖い思いをしたのだろう。私が責任を持って救護所に届ける。君は天使長様に報告を」
憲兵はシャラークの顔色を見た後、ドミントに指示を出す。
「シャラークを頼みます」
シトルリーはシャラークを憲兵に渡し、白い羽を広げて飛んでいく。
「待っておれ名も知らぬ天使よ。必ず我のものにしてやる」
数刻前……
「ルナエラ」
シトルリーのいなくなった部屋でエリゴールは諜報員の名前を呼ぶ。
「ここに」
エリゴールの呼び出しにルナエラはシュタッと現れる。
すぐに参上出来たのは、シトルリーの部屋の天井裏に隠れていたからだ。
「シトルリー様が天界に向かうそうです。何か兆候は?」
エリゴールはシトルリーの部屋を常時監視させていたルナエラから情報を得る為、質問する。
「以前にそわそわと挙動不審な行動をしていたと報告しましたが、本日は以前にも増して普段とは様子が異なりました。爆発音がするまでは何かを必死に探している様子でしたが、エリゴール様が魔導具を届けに来られる直前までは、例えとして不適切かもしれませんが、まるで誕生日当日を迎えた人間の子供のような笑みを浮かべていました」
ルナエラは見たままのシトルリーの様子を話す。
「以前に報告を受けたのは、今回逃した天使を初めて逃した直後でしたね?」
「仰る通りです」
「新たな任務です。シトルリー様を追って天界に向かい、シトルリー様の動向を探りなさい。もしもバレたらわかっていますね?」
「これは私の独断による行動。エリゴール様は関係ありません」
「これまでシトルリー様にバレずに監視を続けたあなたの能力はずば抜けています。しかし、シトルリー様を侮ってはいけません。深追いはしないこと。必要なものがあれば好きに持っていっていいわ。期待している」
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