成人仮面舞踏会

飴傘

成人仮面舞踏会


 今日も怠い大学の授業が終わって、学生だらけの安アパートに帰宅した。


「ただいまー。ったく、何で大学生になってまで体育とかやんなきゃいけないんだよ。専門科目やらせろ、専門科目」

 

 一人暮らしになってから増えてしまったひとりごとを言いながら、どかどかと部屋に入る。電気をつける前の、暗くてがらんとした部屋。コンセントの近くの埋め込み型Wi-Fiの光だけが、ちらちらと光っている。

 疲れた。荷物を放り出すように置いて、そのまま座る。あー、教科書読まないと。復習。でも、すごく眠い。

 瞼が落ちかけたその時、ポケットに入れていたスマホからピロン、と着信を告げる音がした。


 「ん?」


 緩慢な動作でアプリを開くと、差出人欄に『母』の文字。


 「・・・・・・はぁ。もうそんな時期かぁ」

 

 画面には、『これが届きました。帰ってきてね』のメッセージと、「成人仮面舞踏会 招待状」と書かれたハガキの写真があった。


***


 僕は山奥の村で育った。人口はそれなりにいるものの、不便で近所づきあいが重要で、変な慣習を律儀に守る村だった。

 そんな村の一番変な慣習といえば、「成人仮面舞踏会」だ。たぶん聞いた人みんなが、は? って言うと思う。そう、普通は成人を迎えたら成人式をやるのに、この村では成人仮面舞踏会をやるのだ。


 決まりは三つ。

 一つ、時間は午後四時から六時の間の黄昏時。

 二つ、成人仮面舞踏会の開催中、会場にはその年の新成人以外入ってはならない。

 三つ、新成人は振袖か袴を着用の上、なんでもいいので顔を隠して参加すること。


 不思議で馬鹿みたいな決まり。でも両親も近所の人も、村長でさえ律儀にそれを守る。

 ってか、舞踏会って何だ。田舎の簡素な公民館ホールでどんな舞踏会をやるんだ。ツッコミどころは多々あるし、未成年の子供達はどんなことをやるか、よく知らない。


 昔、兄さんに「何やるの?」って聞いたこともあるが、「圭太が成人になったら分かるよ」って頭を撫でられてはぐらかされた。同級生達と一緒に、魔法学校の組み分けじゃないんだから少しくらい教えてくれたっていいのに、と何度話したことか。


***


 一月。冬休み直前のテストとレポートの山を乗り越えて、久しぶりに実家に帰った。母さんと父さんが色々と手続きをしてくれていたらしく、成人式前日に弾丸で帰宅しても案外どうにかなった。

 初めて経験することが多いからか、時間があっという間に過ぎていく。袴を着つけてもらって、成人式が夕方だからと昼に開かれる同窓会に出て、そして、成人仮面舞踏会の会場についた。


 田舎の公民館ホールの周りに集まる、振袖や袴の群衆。もう仮面をつけている人もいた。思ったよりも数が多くて面食らう。こんな村でも、一学年揃うとこんな大所帯になるのか。小学校が同じで中学が違う子とか、見知った顔もあるけれど、声はかけづらい。思い出と顔は同じなのに、そして多分中身もそんなに変わらないはずなのに、過ごした時間が違うだけで、こんなにも距離を感じる。


 そんなことをつらつら考えながら、豪華な袴のしつらえだったり、振袖の刺繍だったりを眺めていたら、ホールの職員さんから「開催五分前です。仮面の着用をお願いします」と声がかかった。

 僕は袂からペラペラの仮面を取り出す。百均で見つけた、安物版オペラ座の怪人みたいな仮面。用意するのも考えるのもめんどくさくて、今日の朝適当に買ってきた。兄さんは「お前らしいな」って苦笑してたけど。


 周りを見れば、皆、思い思いの仮面をつけている。僕みたいに百均に置いてありそうなものをつけている人もいれば、舞台で使われそうな豪華な仮面をつけている人もいる。顔が隠れれば何でもいいからと、紙袋をかぶったりティッシュを顔に貼り付けている人もいる。羞恥心とかないんだろうか。百均仮面の僕が言うのもなんだけど。


 そして、午後四時になった。公民館のスピーカーから、無駄に優雅なクラシックが流れる。職員の人が「それでは新成人の皆さん、どうぞお入りください」と怒鳴るように言って、新成人たちをホールへ詰め込んでいく。風情があるんだかないんだか分からない。そうして全員がホールに入った後、出入り口の扉が嫌に大きな音をたてて、ばたん、と閉まった。


 ホールは案外広くて、新成人たちが全員整列してラジオ体操ができそうなくらいのスペースはあった。普段は体育館のような板張りになっているところに赤い絨毯が敷かれ、年代物っぽいシャンデリアのようなものが五、六個吊り下げられていた。壁際には舞踏会っぽい椅子が並べられ、洋館にありそうな絵画なんかもいくつか飾ってあった。内装はとても仮面舞踏会っぽかった。


 ホールの前方と後方に設置してあるスピーカーから、クラシックが流れている。新成人たちはしばらく、踊れと? と困惑していたが、次第に何かに引っ張られるように身体が動き始め、踊り始めた。もちろん僕も。

 なんで体が勝手に動くんだろう、と考えて、小学校時代の宿泊学習に思い当たった。そういえば、キャンプファイヤーしながらこの曲を流されて、たき火の周りで延々と踊らされた気がする。振り付けは簡単で、男女がペアになって手を取り合い、しばらくステップを踏んだ後、また違う人とペアになる、みたいな感じだった。


 バイオリンが気持ちよさそうに旋律を奏でる中、僕は流れで、近くにいた緑の振袖の女の子と手を繋いで踊り始めた。その子は顔に、大きなガーベラの花の模様が描かれた仮面をつけていた。口元に穴が開いていて、ピンクに色づいた唇が見える。茶色い雪駄、緑の振袖、ガーベラの仮面、とまるで花みたいな子だな、と思った。


 しばらくステップを踏んでいると、女の子がこそっと僕に耳打ちしてきた。「ね、私の仮面のガーベラ、見覚えない?」僕はしばらく考えて、考えて、あ、と思い至った。でも知らないふりをして、笑顔で「わからないかな」と答えた。

「え?」

 女の子は、物凄くわざとらしく聞き返した。


「えっと、わからない」

「え?」

「わから」

「え?」

「わか」

「え? 何?」

「……はいはい。僕が小学生の時、鉢を落として折っちゃったガーベラに似てる、・・・・・・気がする」


 僕がいきものがかり、なんて役職をしていたころ。教室の隅の棚の上にあったガーベラに水をやっていたら、何かの拍子に鉢を落としてしまった。あのときは必死に戻そうとしたんだけど、ガーベラの株は無事でも、一輪だけ咲いていた花の部分は折れてしまっていた。あの後犯人探しが行われたけれど、僕はドキドキしながら黙ってて、結局犯人は誰か分からないまま終わった、はずなのに。

 僕以外、みんな忘れていると思っていた。同級生の誰かだろうか。嫌がらせか。仮面を付けてるから、この子が誰だか全然分からない。


「うんうん、大正解。ほんとに忘れちゃってなくて良かったよ」

 

 女の子は明るく言った。二人でステップを刻む。クラシックが流れる。


「で、きみはそれに対してどう思う?」


 女の子は、ガーベラの仮面をことり、と傾けて聞いてきた。事情聴取かよ。僕は少し気まずくなって、踊りながら、話しながらも、そっと目をそらした。


「どう? とは?」

「ほら、あるでしょ。頑張って咲いていた美しいガーベラさんに、言わないといけないこと」

「え」

「言わないと、いけないこと」

「え、でも所詮植物だし」

「言わないと、いけないこと!」


 この子はどうやら、都合の悪いことを認めないタイプらしい。ま、こんな場所で意地を張っていても仕方がないし。この子に合わせてあげるのもいいかもしれない、なんて思って。


「……折ってしまって、すみませんでした。あれから、鉢は両手で持つようになりました。もう、鉢は落としていません」


 幼くて純粋だったときの僕が、怒られるのが怖くて黙っていたときの僕が、素直になれたらきっと言いたかった言葉。人間でもないガーベラに、謝りたいなんて思っていたことを、ずっと忘れていた。


「はい。よろしい」

 

 女の子の、踊りながら辛うじて見える唇の部分が、ゆるく弧を描いたのが見えた。

 ステップを踏む。無駄に優雅なクラシックは途切れない。


「実はね、小学校の担任の先生は、ほんとはきみが折ったって、知ってたよ」


 女の子がぽつりと呟いた。あまりにも初耳で、思わず聞き返す。


「え? 犯人は分からなかったんじゃなかったの」

「ううん、先生は知ってた。だって、真面目にいきものがかりをやってたのは、きみだけだったから」


 女の子が、仮面越しなのに、微笑んでいるように見えた。


「生徒が近寄らないような位置にあるガーベラの鉢に、君だけが毎日近寄って、お水をくれて、肥料が足りなくなったら先生に頼んで肥料を追加してくれた。そんなきみが、ある日突然ガーベラの花が折れていても何も言わなかった。先生は、あれっ? て思ったはずだよ。そして悲しい顔をしていた。きみが名乗り出なかったことに」


 僕は、うつむいた。女の子の明るい声は、続く。


「でも先生は、きみだから、許したんだ。大切に大切に私を育ててくれたきみだから。私が折れたことを誰よりも悲しんで、誰よりも怒っていたのはきみだから」


 僕がはっとして顔を上げると、女の子は笑っていた。

「いつか、きみが自分のしたことを認めて、自分で背負っていく覚悟ができればなって思っていたんだけれど。良かったよ、成長したね、きみ。さよなら、またね」


 クラシックの曲が終わる。女の子は僕の手をそっとほどいて、綺麗に微笑んで、袴と振袖の集団の中に消えた。

あのガーベラと同じピンク色の唇が、目に焼き付いていた。


***


 いつの間にか二曲目が始まって、周りの皆は踊り始めていた。僕は慌ててパートナーを探す。振袖は全員袴とペアになっていて、残っているのは袴だけだった。


「おー、取り残された奴、発見。お揃いだな」


 どこからかふらりと袴が現れて、僕の手を取った。

 僕は彼をまじまじと見た。黒い雪駄に、デザイン性の高いモノトーンの袴。頭には四角くて白い紙袋をかぶっていて、目の部分だけくりぬかれている。

「ま、残された奴どうし、仲良く踊ろうぜ」

 引っ張られるようにステップを刻む。変に優美なクラシックが響く。


「そういえば、お前、俺に見覚えないか?」

 またか。今夜の情報量が多すぎて、回らない頭を無理やり回転させる。って言っても、モノトーンの袴に白くて四角い紙袋? 白黒、四角、モノトーン。モノトーン? いや、モノトーンでM●NOとでも言うつもりか? 僕は呆れて彼を見た。


「もしかして、消しゴム?」

「大正解。なぁんだ、分かってるじゃないか。しかも俺は、ほら、これだぜ」


 彼がくるっとターンした。袴の背中に、金の竜の絵が描いてあった。


「カバーのケースに、金色の竜のシール貼ってあったろ。特別っぽくて嬉しかったんだよな。……で、俺に言いたいことあるか?」


 言いたいこと。言わないと、いけないこと。


「消しゴムを、消しゴムに限らず色んなものを、何度も何度もなくしてしまって、……えー、すみませんでした。きちんと名前を書いたり、こまめに片づけたりして失くしものを防いでいます。まだ、たまにどこかに行っちゃうけど。移動するときはものが落ちていないか周りを見るとかして、何とかしのいでます」


「うん、言えたな。中学生になっても物を一か月に一回のペースで失くして、お母上、怒髪天だったな。うん、ありゃー、俺でも怖くて失くしたって言えないわ」


 紙袋の穴の隙間から見える目が、ふっと和らいだ。


「でもな、俺は嬉しかったんだぜ、探してくれたこと」

「……うん」

「それまでのお前は、失くしてもまた次買ってもらえばいいか、って放置してただろ? それはよくない。物も浮かばれない。でも、俺を失くした時は必死になって探してくれた。俺には、兄君から貰った竜のシールがついていたからな」


 彼は、もう一度くるっと回った。袴の背の金竜が、シャンデリアの光を受けて煌めく。


「それからだ。俺は見つからなかったけれど、物を大切にし始めた。失くし癖は直らなかったけど、減らすことはできただろ。大きくなったな。このまま頑張ってくれよな」


 また会えるといいな、と言い残して、紙袋の彼はまたふらりとどこかへ行った。

 気づいたら、また一曲終わっていた。


***


 静かなフルートの音が、物悲しげに聞こえるようになったのはいつからだろうか。

「あ、見つけた。けーくんも、そんな気はしてたでしょ?」


 黄色の振袖。茶色い帯。美しく髪を結いあげ、不器用な人が頑張って作りました、みたいな破れたパックのような仮面をつけて、彼女は僕のところに来た。


「ほーら、泣かないで。まだ、曲は始まったばかりだから」

「……うん」

「いつから泣き虫になったの、けーくんは。あの傍若無人はどこに行ったの」

「……知るか」


 手と手を取って、踊り始めた。クラシックは続く。ステップを刻む。


「さて、まずは、私のこと覚えてる?」

「……りみ。中村里美」

「正解。けーくんの幼馴染で、よく一緒に遊んでましたね」


 彼女はにこにこ笑う。顔に合わせて、へにょへにょな仮面が歪む。


「さて、私に言いたいことがあるか聞く前に。ちょっと昔話をしよっか」


 僕が口を開きかけると、彼女は僕のほうへ勢い良く踏み出して。互いの瞳に互いの表情が写って見えるくらいの距離で「しーっ」と言って、僕が語るのを拒んだ。


「幼馴染二人は高校生になり、雨の中、私の忘れ物を取りに学校へ行こうとしました。高校は遠かったし、二人とも山の中腹に住んでたから、雨の中を自転車を滑らせて下っていったよね。ところがどっこい。雨、山ときたら、警戒しないといけないものはなーんだ」

「……土砂崩れ」

「正解! けーくんにはリミポイントを五ポイントあげます。貯まったらいいことあるかもね」


 いつも通りに喋る幼馴染。久しぶりに聞いた声。


「私たちは土砂崩れに巻き込まれ、さー大変。捜索隊が出て、一人は生きて救出され、もう一人は生きては救出されませんでした。冷たい地面の底で、酸素がなくなるのを、じっと待つしか」

「っ、ごめんっ!」


 思わず声を荒げた。彼女は目を丸くする。パックのような仮面が歪む。クラシックが響く。


「僕、僕っ、別にいいよって。どうしても忘れもの取りに行きたいなら仕方がないねって、警報が出てたのに外に出ちゃった。それで、りみを死なせてしまった。もう、どうやって償ったらいいかわかんなくてっ」

「違うよ」


 なにが? 僕は彼女をじっと見る。彼女は余裕そうに笑う。


「いい? まず大前提。ダンスも会話も、コミュニケーション。相手に言われたら、それに答える。逆も然りだけど。まだ私の話の途中だよ?」


 そんなの今は関係ない。そう思うけど、彼女に言われると、ぐ、と言葉に詰まる。彼女は笑って続けた。


「さて、けーくんは、私に何か言いたいことはありますか?」

「……ごめん。僕のせいで、りみを、死なせてしまった。僕は、もう少し周りに気を付けて運転するべきだった。そうすれば、……そうすればっ」


 感情がぐちゃぐちゃで、言葉が出てこない。彼女の手は、やけに冷たい。ステップは身体が勝手に刻む。


「ざーんねん。マイナス五リミポイント。謝罪は受け取るけど、そうじゃないよ。ほんとは分かってるでしょ、自分がどうするべきだったか。本当に自分が、100%悪かったのか。りみのことは気にしないで、ほんとのことをいってごらん」


 彼女の目が、仮面越しにまっすぐ僕を射抜いた。

 僕は、僕は、……言った。


「りみが、どんなにただをこねても。危険があるなら、警報が出ていたのなら、止めるべきだった。りみの言うことを聞いてあげるのが優しいんじゃなくて、きちんと状況に応じて考えて、一番優先するべきことを把握して、それを分かりやすく伝えられるようになるべきだった。……まだ今は、そんなことできないけれど。練習して、心がけて、なるべく早く、そうなれるようにする」

「正解。でも、もうリミポイントはいらないかな。強くなれたね、けーくん」


 彼女の纏う空気がゆるんだ。転調。フルートからクラリネットに主旋律が移行した。


「りみも、ずっと後悔してた。りみのわがままで、けーくんに大きな十字架を背負わせてしまった。でも、死んだのがりみで良かったと思ってる。わがまま言ったほうが死ぬべき」

「そんな」

「そんな、じゃない。私が死んだのは、けーくんのせいじゃないよ。……ううん、私はけーくんのせいじゃないと思ってる。だから、けーくんは無理に建築学科に入って、防災について学ぼうとしなくても良かったんだよ」

「……それは、僕が決めたことだから。りみにどうこう言われる筋合いはないよ」

「そっか、そっかぁ。私のためだけじゃなくて、けーくんが自分で決めたから。これなら良さそうだね」


 曲が終わる。彼女が僕の手を最後に、ぎゅっと握った。


「じゃ。頑張って生きてね」


 そして次の瞬間、彼女は消えていた。


***

『午後六時になりました。以上で成人仮面舞踏会を終わります。新成人の皆様は、帰宅してゆっくりなさってください』

 スピーカーから職員さんの声が流れてきて、僕は顔を上げた。ホールには最初の三分の一くらいしか人がいなくて、やけにすっかすかで寂しく見えた。


 これが、成人式か。大人になるってそういうことか。


 ホールの扉が開く。扉の向こうで散らばる星は、田舎だからか、いつもよりきらきらと潤んでいるように見えた。 


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