成人仮面舞踏会

飴傘

成人仮面舞踏会



 今日も怠い大学の授業が終わって、大学生だらけの安アパートに帰宅した。


 「ただいまー。ったく、一・二年のうちは教養科目ばっかりとかおかしいだろ。専門科目やらせろ、専門科目」


 一人暮らしになってから増えてしまったひとりごとを言いながら、どかどかと部屋に入る。

 すると、ポケットに入れていたスマホからピロン、と着信を告げる音がした。


 「ん?」


 アプリを開くと、差出人欄に『母』の文字。


 「あー、怠っ。もうそんな時期か」


 画面には、『これが届きました。帰ってきてね』のメッセージと、「成人仮面舞踏会 招待状」と書かれた葉書の写真があった。




 僕は山奥の田舎で育った。人口はそれなりにいるものの、不便で近所づきあいが重要で、変な慣習を律儀に守る村だった。

 そんな村の一番変な慣習といえば、「成人仮面舞踏会」だ。たぶん聞いた人みんなが、は? って言うと思う。そう、普通は成人を迎えたら成人式をやるのに、この村では成人仮面舞踏会をやるのだ。


 決まりは三つ。一つ、時間は午後四時から六時の間の黄昏時。二つ、成人仮面舞踏会の開催中、会場にはその年の新成人以外入ってはならない。三つ、新成人は振袖か袴を着用の上、なんでもいいので顔を隠して参加すること。不思議で馬鹿みたいな決まり。


 でも両親も近所の人も、村長でさえ律儀にそれを守る。っていうか、舞踏会って何だ。田舎の簡素な公民館ホールでどんな舞踏会をやるんだ。でも兄さんに「何やるの?」って聞いても「圭太が成人になったら分かるよ」って頭を撫でられてはぐらかされる。成人目前の男子の頭を撫でるな。弟と一緒に、魔法学校の組み分けじゃないんだから少しくらい教えてくれたっていいのに、と何度話したことか。




 そして、めんどくさいことに袴を着つけてもらって、成人式が夕方だからと昼に開かれる同窓会に出て、成人仮面舞踏会の会場についた。田舎の公民館ホールの周りに集まる、振袖や袴の群衆。もう仮面をつけている人もいた。思ったよりも数が多くて面食らう。こんな村でも、一学年揃うとこんな大所帯になるのか。小学校が同じで中学が違う子とか、見知った顔もあるけれど、声はかけづらい。顔は同じなのに、そして多分中身も一緒なのに、過ごした時間が違うだけで、こんなにも距離を感じる。


 そんなことをつらつら考えながら、ぼおっと豪華な袴のしつらえだったり、振袖の刺繍だったりを眺めていたら、ホールの職員さんから「開催五分前です。仮面の着用をお願いします」と声がかかった。僕は袂からペラペラの仮面を取り出す。百均で見つけた、安物版オペラ座の怪人みたいな仮面。用意するのも考えるのもめんどくさくて、今日の朝適当に寄った百均で適当に買ってきた。兄さんは「お前らしいな」って苦笑してたけど。


 皆、思い思いの仮面をつけている。僕みたいに百均に置いてありそうなものをつけている人もいれば、舞台で使われそうな豪華な仮面をつけている人もいる。顔が隠れれば何でもいいからと、紙袋をかぶったりティッシュを顔に貼り付けている人もいる。羞恥心とかないんだろうか。僕が言うのもなんだけど。


 そして、午後四時になった。公民館のスピーカーから、無駄に優雅なクラシックが流れる。職員の人が「それでは新成人の皆さん、どうぞお入りください」と怒鳴るように言って、新成人たちをホールへ詰め込んでいく。風情があるんだかないんだか分からない。そして全員がホールに入った後、出入り口の扉が嫌に大きな音をたてて、ばたん、と閉まった。


 ホールは案外広くて、新成人たちが全員整列してラジオ体操ができそうなくらいのスペースはあった。普段は体育館のような板張りになっているところに赤い絨毯が敷かれ、年代物っぽいシャンデリアのようなものが五、六個吊り下げられていた。壁際には舞踏会っぽい椅子が並べられ、洋館にありそうな絵画なんかもいくつか飾ってあった。内装はとても仮面舞踏会っぽかった。


 ホールの前方と後方に設置してあるスピーカーから、無駄に優雅なクラシックが流れる。新成人たちはしばらく、踊れと? と困惑していたが、次第に何かに引っ張られるように身体が動き始め、踊り始めた。もちろん僕も。

 なんで体が勝手に動くんだろう、と考えて、小学校時代の宿泊学習に思い当たった。そういえば、キャンプファイヤーしながらこの曲を流されて、炎の周りで延々と踊らされた気がする。振り付けは簡単で、男女がペアになって手を取り合いしばらくステップを踏んだ後、また違う人とペアになる、みたいな感じだった。


 バイオリンが気持ちよさそうに旋律を奏でる中、僕は流れで、近くにいた緑の振袖の女の子と手を繋いで踊り始めた。その子は、顔に大きなガーベラの花の模様が描かれた仮面をつけていた。口元に穴が開いていて、ピンクに色づいた唇が見える。茶色い草履、緑の振袖、ガーベラの仮面、とまるで花みたいな子だな、と思った。


 しばらくステップを踏んでいると、女の子がこそっと僕に耳打ちしてきた。「ね、私の仮面のガーベラ、見覚えない?」僕はしばらく考えて、考えて、あ、と思い至った。でも知らないふりをして、笑顔で「わからないかな」と答えた。


 「え?」女の子は聞き返した。


 「わからない」

 「え?」

 「わから」

 「え?」

 「わか」

 「え? 何?」

 「……僕が小学生の時、鉢を落として折っちゃったガーベラに似てる、気がする。あの時は必死に戻そうとしたけど、ガーベラの株は無事でも、一輪だけ咲いていた花の部分が折れちゃってた」


 僕がいきものがかり、なんて役職をしていたころ。あの後犯人探しが行われたけれど、僕はドキドキしながら黙ってて、結局だれか分からないまま終わった、はずなのに。同級生の誰かだろうか。仮面付けてるから全然分からない。


 「うんうん、そうだよね。ほんとに忘れちゃってなくて良かったよ」


 女の子は明るく言った。二人でステップを刻む。無駄に優雅なクラシックが流れる。


 「で、きみはそれに対してどう思う?」

 「どう? とは?」

 「ほら、あるでしょ。頑張って咲いていた美しいガーベラさんに、言わないといけないこと」

 「え」

 「言わないと、いけないこと」

 「え、でも所詮植物だし」

 「言わないと、いけないこと!」


 この子は、都合の悪いことを認めないタイプらしい。


 「……はいはい。……折ってしまって、すみませんでした。あれから、鉢は両手で持つようになりました。もう、鉢は落としていません」


 謝るときは、潔く。自分の改善すべきところもセットで話す。僕の家の家訓だ。母さんに怒られた時も、これができるまで許してもらえなかった。


 「はい。よろしい」

 

 女の子の、踊りながら辛うじて見える唇の部分が、ゆるく弧を描いたのが見えた。

 ステップを踏む。無駄に優雅なクラシックは途切れない。


 「実はね、小学校の担任の先生は、ほんとはきみが折ったって、知ってたよ」


 女の子がぽつりと呟いた。あまりにも初耳で、思わず聞き返す。


 「え? 犯人は分からなかったんじゃなかったの」

 「ううん、先生は知ってた。だって、真面目にいきものがかりをやってたのはきみだけだったから」


 女の子が、仮面越しなのに、微笑んでいるように見えた。


 「生徒が近寄らないような位置にあるガーベラの鉢に、君だけが毎日近寄って、お水をくれて、肥料が足りなくなったら先生に頼んで肥料を追加してくれた。そんなきみが、ある日突然ガーベラの花が折れていても、何も言わなかった。先生は、あれっ? て思ったはずだよ。そして悲しい顔をしていた。きみが名乗り出なかったことに」


 僕は、うつむいた。女の子の明るい声は、続く。


 「でも先生は、きみだから、許したんだ。大切に大切に私を育ててくれたきみだから。私が折れたことを誰よりも悲しんで、誰よりも怒っていたのはきみだから」


 僕がはっとして顔を上げると、女の子は笑っていた。


 「いつか、きみが自分のしたことを認めて、自分で背負って行く覚悟ができればなって思っていたんだけれど。良かったよ、成長したね、きみ。さよなら、またね」


 クラシックの曲が終わる。女の子は僕の手をそっとほどいて、綺麗に微笑んで、袴と振袖の集団の中に消えた。

 あのガーベラと同じピンク色の唇が、目に焼き付いていた。





 いつの間にか二曲目が始まって、周りの皆は踊り始めていた。僕は慌ててパートナーを探す。振袖は全員袴とペアになっていて、残っているのは袴だけだった。


 「おー、取り残された奴発見。お揃いだな」


 どこからかふらりと袴が現れて、僕の手を取った。

 僕は彼をまじまじと見た。黒い雪駄に、デザイン性の高いモノトーンの袴。頭に四角くて白い紙袋をかぶっていて、目の部分だけくりぬかれている。


 「ま、取り残された奴どうし、仲良く踊ろうぜ」


 引っ張られるようにステップを刻む。変に優雅なクラシックが響く。


 「そういえば、お前、俺に見覚えないか?」


 またか。今夜の情報量が多すぎて、回らない頭を無理やり回転させる。って言っても、モノトーンの袴に白くて四角い紙袋? 白黒、四角、モノトーン。モノトーン、モノトーン? いや、モノトーンでMONOとでも言うつもりか? 僕は呆れて彼を見た。


 「もしかして、消しゴム?」

 「大正解。なんだ、分かってるじゃないか。しかも俺は、ほら、これだぜ」


 彼がくるっとターンした。袴の背中に金の竜の絵が描いてあった。


 「カバーのケースに、金色の竜のシール張ってあったろ。特別っぽくて嬉しかったんだよな。……で、俺に言いたいことあるか?」


 言いたいこと。言わないと、いけないこと。


 「消しゴムを、消しゴムに限らず色んなものを、何度も何度もなくしてしまって、……えー、すみませんでした。きちんと名前を書いたり、こまめに片づけたりして失くしものを防いでいます。まだ、たまにどこかに行っちゃうけど。移動するときはものが落ちていないか周りを見るとかして、何とかしのいでます」

 「うん、言えたな。お前、中学生になっても物を一月に一回のペースで失くしてて、お母上お怒りだったな。うん、ありゃー、俺でも怖くて失くしたって言えないわ」


 紙袋の穴の隙間から見える目が、ふっと和らいだ。


 「でもな、俺は嬉しかったんだぜ、探してくれたこと」

 「……うん」

 「それまでのお前は、失くしてもまた次買ってもらえばいいか、って放置してただろ? それはよくない。物も浮かばれない。でも、俺を失くした時は必死になって探してくれた。俺には、兄君から貰った竜のシールがついていたからな」


 彼は、もう一度くるっと回った。袴の背の金竜が、シャンデリアの光を受けて煌めく。


 「それからだ。俺は見つからなかったけれど、物を大切にし始めた。失くし癖は直らなかったけど、減らすことはできただろ。大きくなったな。このまま頑張ってくれよな」


 また会えるといいな、と言い残して、紙袋の彼はまた、ふらりとどこかへ行った。


 気づいたら、また一曲、終わっていた。




 静かなフルートの音が、物悲しげに聞こえるようになったのは、いつからだろうか。


 「あ、見つけた。けーくんも、そんな予感はしていたでしょ?」


 黄色の振袖。茶色い帯。美しく髪を結いあげ、不器用な人が頑張って作りました、みたいな破れたパックのような仮面をつけて、彼女は僕のところに来た。


 「ほーら、泣かないで。まだ、曲は始まったばかりだから」

 「……うん」

 「いつから泣き虫になったの、けーくんは。あの傍若無人はどこに行ったの」

 「……知るか」


 手と手を取って、踊り始めた。クラシックは続く。ステップを刻む。


 「さて、まずは、私のこと覚えてる?」

 「……りみ。中村里美」

 「正解。けーくんの幼馴染で、よく一緒に遊んでましたね」


 彼女はにこにこ笑う。顔に合わせて、へにょへにょな仮面が歪む。


 「さて、私に言いたいことがあるか、聞く前に。ちょっと昔話をしよっか」


 僕が口を開きかけると、彼女は僕のほうへ勢い良く踏み出して。互いの瞳に互いの表情が写って見えるくらいの距離で「しーっ」と言って、僕が語るのを止めた。


 「幼馴染二人は高校生になり、雨の中、私の忘れ物を取りに学校へ行こうとしました。高校は遠かったし、二人とも山の中腹に住んでたから、雨の中を自転車を滑らせて下っていったよね。ところがどっこい。雨、山ときたら、警戒しないといけないものはなーんだ」

 「……土砂崩れ」

 「正解! けーくんにはリミポイントを5ポイントあげます。貯まったらいいことあるかもね」


 いつも通りに喋る幼馴染。久しぶりに聞いた声。


 「私たちは土砂崩れに巻き込まれ、さー大変。捜索隊が出て、一人は生きて救出され、もう一人は生きては救出されませんでした。冷たい地面の底で、酸素がなくなるのを、じっと待つしかなかった」

 「っ、ごめんっ!」


 思わず声を荒げた。彼女は目を丸くする。パックのような仮面が歪む。クラシックが響く。


 「僕、僕っ、別にいいよって。どうしても忘れもの取りに行きたいなら仕方がないねって、警報が出てたのに外に出ちゃった。それで、りみを死なせてしまった。もう、どうやって償ったらいいかわかんなくてっ」

 「違う、違う」


 なにが? 僕は滑稽なほど必死なのに、彼女はどこか冷静に見える。僕は彼女をじっと見る。彼女は余裕そうに笑う。


 「いい? ダンスも会話も、コミュニケーション。相手に言われたら、それに答える。逆も然り。まだ私は何も言ってないよ?」


 なけなしの理性がブレーキをかけて、ぐ、と言葉に詰まる。そうだ、りみはこうやって、喋りたいだけ喋って去る傾向がある僕を叱ってくれていた。喧嘩したときの仲裁も、してくれた。

 彼女は笑って続けた。


 「さて、けーくんは、私に何か言いたいことはありますか?」

 「……ごめん。僕のせいで、りみを、死なせてしまった。僕は、もう少し周りに気を付けて運転するべきだった。そうすれば、……そうすればっ」


 感情がぐちゃぐちゃで、言葉が出てこない。彼女の手は、やけに冷たい。ステップは身体が勝手に刻む。


 「ざーんねん。マイナス5リミポイント。謝罪は受け取るけど、そうじゃないよ。ほんとは分かってるでしょ、自分がどうするべきだったか。本当に自分が、100%悪かったのか。りみのことは気にしないで。ほんとのことをいってごらん」


 彼女の目が、仮面越しにまっすぐ僕を射抜いた。

 

 僕は、僕は、……言った。


 「りみが、どんなに駄々をこねても。危険があるなら、警報が出ていたのなら、りみを止めるべきだった。りみの言うことを聞いてあげるのが優しいんじゃなくて、状況に応じて考えて、勇気を持って伝えるべきだった。……まだ今は、そんなことできないけれど。練習して、心がけて、なるべく早く、そうなれるようにする」



 彼女の纏う空気が緩んだ。転調。フルートからクラリネットに主旋律が移行する。



 「正解。でも、もうリミポイントはいらないかな。強くなれたね、けーくん」


 いつかと同じように、手を繋いで、二人でステップを踏む。彼女の表情なんて、見なくたって解った。


 「りみも、ずっと後悔してた。りみのわがままで、けーくんに大きな十字架を背負わせてしまった。でも、死んだのがりみで良かったと思ってる。わがまま言ったほうが死ぬべき」

 「そんな」

 「そんな、じゃない。私が死んだのは、けーくんのせいじゃないよ。……ううん、私はけーくんのせいじゃないと思ってる。だから、けーくんは無理に建築学科に入って、土木系の勉強をしなくても良かったんだよ」

 「それは、僕が決めたことだから。りみにどうこう言われる筋合いはないよ」

 「……うん。私のためだけじゃなくて、けーくんが自分で決めたから。これなら良さそうだね」


 曲が終わる。彼女が僕の手を最後に、ぎゅっと握った。


 「じゃ。頑張って生きてね」


 そして次の瞬間、彼女は消えていた。





 『午後六時になりました。以上で成人仮面舞踏会を終わります。新成人の皆様は、帰宅してゆっくりなさってください』


 スピーカーから職員さんの声が流れてきて、僕は顔を上げた。ホールには最初の三分の一くらいしか人がいなくて、やけにすっかすかで寂しく見えた。


 これが、成人式か。……大人になる、儀式か。


 ホールの扉が開く。扉の向こうで散らばる星は、田舎だからか、いつもより煌めいているように見えた。



 

 


 


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