第九話『親愛なる残春』 序

 さきもりわたるらがそうせんたいおおかみきばに拉致されてから二週間余りが過ぎた。


さきもり様、そろそろ実戦起動状態に移行してみましょうか」


 ちょうきゅうどうしんたい・ミロクサーヌ改に搭乗したわたるは、おうぎことはたの指示に従い雨天の山間部を移動していた。

 夜間とはいえ全高二十八メートルきょが歩くと目立ちそうなものだが、この辺りは驚く程に開発の手が及んでいない。


(随分と地方が手付かずなんだな。日本とは比べものにならない……)


 前の操縦席にすわったわたるは右脇のたまを強く握り締めた。

 曰く、これがそうじゅうかんであり、握る事でしんを機体に接続するらしい。


「最初はわたくしが補助いたします。己の内に沈み込み、同時に機体に己をささげる、その様に意識を持ってください」


 の指示通りに己の意識を集中したわたるは、突如として体を外に投げ出されたように錯覚した。

 いな、視界が一気に晴れ、外の景色がはっきりと見えている。

 今、わたるはミロクサーヌ改の機体と認識を同調させ始めていた。

 二十八メートルという巨体では、雨に打たれる感覚は霧に近いものがあった。


「いいですよ、その調子です」


 背中が熱い、四肢に強い力を感じる。

 かつて身にまとい、全く動かせなかったパワードスーツ、丁度あれが時を超えて我が物になっていくような、謎の感慨があった。


ちょうきゅうどうしんたい・ミロクサーヌ、実戦起動状態に移行します』


 機体のアナウンスに、わたるの心は躍った。

 今なら何でも出来る、から何処どこへでも行ける。


さきもり様、少しこの辺りを飛んでみましょうか」

「はい!」


 願ってもいない指示だった。

 わたるは背中に意識を向け、空を飛ぶ準備を始めた。

 機体の背部、飛行具と呼ばれる雷鼓に光がともったのが分かる。


「速度が出ますよ。くれぐれも激突せぬよう、細心の注意を願います」

わかっていますよ」


 機体は山の麓から、雨雲を突き破る勢いで一気に大空へと舞い上がった。




⦿⦿⦿




 格納庫へ機体を戻したわたるは、から飲み薬をもらっていた。

 わたりりんろうから受ける昼の訓練に加え、夜は買い出しと称してと外出し、どうしんたいの操縦訓練を行う。

 この回復薬がなければ、わたるしんは保たないだろう。


 こうてんかんへの帰り道、の運転する自動車の助手席で、わたるは薬を飲んで生き返る心地を感じていた。

 この後、館で家事をこなさなければならないので、へばってはいられないのだ。


「やはりというか何というか、しんの扱いはあまり上達しておりませんね」

「ぐ、そうですか……」


 相変わらず、わたるに戦いの素質が無いと、何かにつけてしてくる。


「まあ、わたりの訓練内容が前時代的な根性論に偏り過ぎているせいでもありますがね」

「前時代的、ですか……」


 わたりの訓練内容は常軌を逸していた。


 る日は、断崖絶壁から落下させられ、何度も体をぶつけさせられた次は、谷底からがって戻ってくる事を求められる。

 時間切れになれば、崖に仕掛けられた爆弾が爆発して、また同じ目に遭わされる。


 また或る日は、足に重しを着けた状態でたきつぼに沈められる。

 時間以内に浮き上がって来なければ、また爆弾で川の方へと流させ、急流にまれる。


 通常ならば死ぬような仕打ちだが、わたる達は初日に飲まされた錠剤「とうえいがん」にってしんに強制覚醒し、常識離れした耐久力と生命力を獲得していたため、どうにか命をつないでいた。

 わたりは基本的にわたる達の生存に関心が無いようで、放置して何処かへ行ってしまう事もざらだった。


わたりうには、死の間際に追い込む事で内なる神の探求はより深みに達する。所謂いわゆる、火事場の力の要領だということですが?」

「効果が無いとは言いませんが、非効率的です。現代のこうこくとりけ軍では、しんの深みに達する為の訓練はしっかりと体系化されています。いたずらに自分を追い込み、命を脅かすのは無意味なえきであるばかりではなく危険で、推奨されておりません」


 わたるの言葉を意外に思った。

 しんせいだいにっぽんこうこくといえば、嫌でも戦前の日本国を想起させる名前だ。

 強圧的、好戦的な外交姿勢もあって、国として前時代的であるというイメージがどうしてもまとう。


「所詮、そうせんたいおおかみきばは前時代の遺物ですからね。いまだに過去の考え方、精神性をっている、というのも仕方が無いのでしょう」

こうこくは彼らよりもはるかに進歩している、と」

「当然です。今は皇紀二六八六年ですよ?」


 どうやらこうこくは神武天皇即位紀元という紀年法を用いているらしい。

 これにると、元年は西暦でいうところの紀元前六六〇年、西暦二〇二六年は皇紀二六八六年となる。


「確かに、わたりしん訓練に比べて、はたさんのどうしんたい操縦訓練は上達が分かりやすいような気がします」

「そこはまあ、さきもり様にそれなりの素質があった、というのもあるでしょうね」


 わたるは耳を疑った。

 から自分を褒める言葉が聞けるとは思わなかったのだ。


「素質、あるんですか? ぼくに?」

「随分とまあ、自信を無くされたようですね。あくまでも『それなり』ですが、此方に関してはそう御自身を卑下なさることもありませんよ」


 誰のせいだと思っているのか、とはを責められなかった。

 この一週間余り、わたりの訓練によって、の見込みが正しかったと身に染みてきたからだ。


「名指しで言われたからなあ……。ぼくが一番、訓練のしんちょくが遅れているって……」

「聞き及んでおります。正直、安心いたしました」


 わたりから七人の評価を聞かされているらしい。


「優秀なのはおり様、椿つばき様、それと様。ずみ様は可も無く不可も無く及第点。残る三名、あぶ様とまゆづき様、そして貴方あなたは『落ちこぼれの三』だとか」

わたりの野郎……」


 わたるわたりの言い草に思わず悪態を吐いた。

 もっとも、が七人の評価を把握しているという事実自体はむしろ朗報である。

 それはつまり、訓練についてわたりに相談を持ち掛けているということなのだから。


「まあ、あの男へ目に物見せるのはもう少し御辛抱ください。貴方あなたが成すべきは、決行日の七月一日までに独力でどうしんたいの操縦を完全に我が物とする事で御座います」

「それまでに、訓練中の事故で死なない様に気を付けないといけませんね」

「では、その為に毎日のお役立ち情報を話しておきましょうか」


 わたると共に時間を過ごすことで、どうしんたいの訓練以外に一つの利点を得ていた。

 どうやらわたりは彼女の事をかなり信用しているようで、日々の訓練の予定を話しているらしい。


「明日から一週間、飢餓訓練だそうです。明日の朝食を最後に、当分はお食事もお飲み物も無しになるそうですよ」

「げ、マジですか? だから今日、買い出しに食料が無かったのか……」

「まあ、これに関しましては軍でも似た様な訓練を行っていますからね。しんに覚醒した者に特有の驚異的生命力に因って、断水・絶食・徹夜を長期間経ても肉体的性能を維持出来る、という進軍にける大いなる利点、それを経験させる為に」


 わたるの説明に戦慄を覚えた。

 しんに強大な力であるか、わたるは身をもって体験している。

 もしこれがこうこくの兵士に標準で備わっていて、体系化された訓練を積んでいるとしたら、それは超人の軍隊と言って差し支えあるまい。


「でも、ぼく達は今でも結構おなか空くし喉も渇く、眠くもなりますよ?」

「ええ。しんではそういった生理的な反応を抑制することまでは出来ません。ですから、それに慣れる訓練を軍は行っているのです。尤も、わたりは単なる苦役としか考えていないのでしょうが」


 によるわたりの評価は散々だった。

 何か余程、腹に据えかねている事でもある様子だ。


さきもり様、呉々も御用心くださいませ。飢餓状態下ではしんいちじるしく消耗します。その状態では、耐久力の許容量もまた低下する。つまり、死の危険が大幅に増すということです」

「初日のはらさんみたいに、か……」


 しんによる耐久力と生命力の上昇にも限度がある。

 それを超えてしまった結果は、あの時全員が目撃している。


「それともう一つ、これはしんというよりもそれを与える丸薬『とうえいがん』の欠点といえるのですが……」


 の運転する自動車はこうてんかんに近付いていた。

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