第八話『剛腕』 急

 げんそうな表情を娘に向ける母・すめらぎかな

 対してことは、反撃開始とばかりに要求の返事を述べ始める。


ずはかあさまに御安心頂きましょうか。わたし貴女あなたの夢に興味が無い。だから取り立てて邪魔立てするつもりも無い。わざわざくぎを刺されなくとも、貴女あなたの政治的な後ろ暗さを殊更に言い触らすようなは致しません。そこは娘を信じて頂いて結構です」

「当然でしょう。さっきも言った通り、どうせわたくしの後を継ぐことになればいちれんたくしょう、言い触らせば自分の首を絞めることになるのだから」

「そうですね。でもやはり、一つ目の要求が通ったという確証は欲しくなると思いますよ。だって、二つ目は通りませんから」


 母娘の間に、険悪な空気が張り詰めていく。

 すめらぎの秘書・ばんどうは一人胃を押さえながら、この場に居ない別の男を恨むように表情をしかめていた。


「そんなの通じると思う? たびくけれど、お友達をてるつもりかしら?」

「見棄てさせませんよ、すめらぎかな防衛大臣兼国家公安委員長閣下」


 ことはそう告げると、懐からICレコーダーを取り出し、すめらぎの目の前に突き付けた。

 タイマーが動いており、録音状態になっている。

 そしてことは見せ付ける様に録音を停止し、データがSDカードに記録された。

 

「成程。今の収録時間を見るに、事務室に入ってきた時には録音を開始していたようね」

「ええ。貴女あなたの好き嫌いに始まり個人情報保護法違反、そして何より、国民を見棄てられるような発言が三回も記録されていますよ。随分脇が御甘い様で、よくこれまで襤褸ぼろを出さずに出世してこられましたね」


 今度はことが母親の失態を鼻で笑った。

 娘にあっさりと弱みを握られる為体ていたらくで世界最強とは笑わせる、というを言外に含んでいた。


わたしのお願いを聞いてくれるなら、この録音は約束通り門外不出にしましょう。でも、もし怠けたりしたら……」

「これは困ったわねえ……。わたくし貴女あなたじょうを交渉の材料にしようと思っていたのに。協力してくれないのなら難儀だわ」


 言葉とは裏腹にすめらぎは笑っている。

 なおも余裕がある、といった様子だ。


わたしの素性?」

「分かっているでしょう? 貴女あなたの持つ、貴女あなたしか持たない情報が、こうこくを打倒したい連中にとってどれほど有益なものか。まさにそれこそ、じんかいかいてん貴女あなたの身柄を欲した理由でもある」

「それは……そうですね」


 ことの表情から笑みが消えた。

 その後、再び見せた不敵な笑みは、これまでの勝ち誇ったものとは意味が違う。

 もちろん、受諾の意思ではない。

 彼女は、この場で話すすめらぎの言葉が何もかも気に入らなかった。


「御母様、貴女あなたは世界最強の存在になりたいとおっしゃる。ならばわたしに対してたけだかになるのは理解出来ます。自分の方が強者だという自負心がおありなら、わたしに対して下手に出たくは無いでしょう」

わかっているじゃない。まあそもそも、物を頼む立場の方が弱いのは当然でしょう」

「仰る通りです。だから、逆にそのはんぎゃく組織には下手に出ることになる。世界最強に手を延ばす貴女あなたが。正直、滑稽ですよ。貴女あなたしい、がゆいとお思いでは?」

「どういうこと? 何が言いたいの、ことちゃん?」


 今度はすめらぎの表情から笑みが消えた。

 初めて娘の意図を読み取りかねているといった様子だ。


わたしは初めから貴女あなたに助けを求めるつもりはありませんよ。わたしのお願いとは、応援です」

「応援? つまり、動くのはわたくしではなく貴女あなただと、そう言っている?」

「はい。わたしはこれからこうこくに乗り込んでさらわれた人達を奪い返して来ます。貴女あなたにはそれを政治的にバックアップして欲しい。それがわたしのお願いですよ」


 あまりの言葉に、すめらぎばんどうぜんとしていた。

 突如現れた国交の無い謎の大国に単身乗り込み、犯罪組織と自ら接触して拉致被害者を奪還すると云うのだ。

 破天荒、そう評するにさわしい発想と宣言だろう。


「……ことちゃん、今の口振りだと、わたくしの応援が無くとも渡航する意志に変わりは無い、と聞こえるわね。外務省がこうこくに対して指定している危険情報をぞん?」

「渡航自粛要請――北朝鮮と同じ特殊な扱い、ですね」

「それを承知の上で、政府の閣僚たるわたしに民間人の貴女あなたこうこくおもむくことを容認しろと、そう言っているの?」

「嫌なら別に、容認して頂かなくても結構ですよ」


 すめらぎは顔をしかめた。

 顎に手を当てて、しばし考え込む。

 言外に、ことすめらぎの推察を肯定しているのは明らか、娘の意志は揺るがないということだろう。

 ならば……。


「御母様、世界最強を目指す貴女あなたにとって、おおかみきばという連中は膝を屈すにはあまりにも小物過ぎると思いますけれど」

「それは……そうね」


 すめらぎは小さく口角を上げた。


「分かりました。そういうことなら、ちら貴女あなたづなを握っておいた方が何かと都合が良い。確かに貴女あなたの言う通り、強者たる者、弱者に主導権を握らせることなかれ。わたくしの娘として、その意気や好し。提案に乗りましょう」

「ありがとうございます」

「但し、一つ条件を修正させなさい」

「修正?」

「さっきの録音、わたくしに買い取らせなさい。その上で、『すめらぎかなの側で何らかの音声を買い取った』という録音を貴女あなたには持たせますそれがめるなら、貴女あなたのことは全面的にサポートします」


 ことは考える。

 母の、日本政府の助けが無くとも、こうこくへ乗り込むつもりではいる。

 しかし、おおかみきばとやらの当てが無いのも事実。

 迅速に事をすべく、出来れば助けは欲しい。


「直接的なスキャンダルではなく、しの証拠を握らせ、核心部分は闇に葬るということですね。抜け目が無いのかずるいのか……。まあ、わたしとしても貴女あなたを失脚させるのが目的ではありませんから。それくらいの条件変更、受けても構いませんよ」


 いつの間にか、ことの側が交渉の主導権を握っていた。

 すめらぎ何故なぜか満足げにほほむ。


「上出来ね。あと条件を付け加えるなら、必ず帰ってくること、かしら。貴女あなたに欠けられるとわたくしが困るのでね」


 すめらぎことを世継ぎにすることを諦めた訳ではない。

 後継者としての資質に満足した、そういう笑みだった。


「ああそれと、おおかみきばのことは最悪つぶしちゃっても構わないわ。接触したは良いけれど、こうこくせいちゅうするには微妙な連中だと思っていたところだしね」


 その時、事務所の扉が開いた。


「先生、そろそろ御準備なさった方がよろしいかと」


 もう一人の秘書・きゅうだった。

 若く駆け出しだった五年前と比べ、高級スーツがよくんで様になっている。


「ああ、もうこんな時間だったのね。久々にまなむすめとお話し出来たのがうれしくて、つい夢中になってしまったわ」


 すめらぎが立ち上がったのを見て、空気の張り詰める交渉が終わったことにあんしたのか、ばんどうは気が抜けたようなためいき吐いた。

 そして、いタイミングで入室した同僚のへ、悪態を吐く様に口を動かして恨めしげな視線を向けた。


ことちゃん、えずこうこくの政府には話を通しておきましょう。彼らが、そして貴女あなた達が無事に帰国出来るようにね」

「あら、しっかりこうこく側ともつながっていたのですね。それで、おおかみきばは用済みだと」

「まあね。後のことはに訊きなさい。、予定通り、後は宜しく頼むわよ」


 はい、と何の疑問も挟まずに答えるの様子に、ことは結局のところ自分が母のてのひらの上だったと察し、再び腹が立ってきた。

 ばんどうを伴って事務所を後にしようとする母に、何か一言加えたくなった。


「用済みになったら切り捨てる。そうやってとうさまも捨てたのですか?」

「心外ね。わたくしがいつつるさんを捨てたと云うの?」


 背中を向けたすめらぎの声はトーンが低く、それまでと違って聞こえた。

 そしてことを部屋に残し、扉は勢い良く閉められた。


うる君、こうこくへは俺も同行しよう。おれすめらぎ先生から密命を受けて何度かこうこく入りしている。それから、現地でちょうほういんとも合流する。必ず、きみの力になるだろう」

「やっぱり気に入らない……」


 自分の感情を確かめることに、は資料を机に広げて説明を始めた。


⦿


 ことから、すめらぎの発言を録音したSDカードを受け取った。


「では、秘書であるおれの手で、確かにこの録音は買い取ったぞ」


 対してことは、その売買のりを新たに録音した。

 これで、ことの手にはすめらぎかなの秘書が何らかの録音データをことから買い取ったという記録が残る。


「パスポートの申請って一週間も掛かるものなんですね。正直、待っていられないわ……」

「我慢しろ。こうこくかく、経由地の米国には正規のルートで入国しなければ面倒だ」


 現在、こうこくが国交を持っているのは米中露の三箇国のみである。

 この内、中露はいまだに不安定な状態が続いており、比較的安全にこうこくへ渡航出来るのは米国のみなのだ。

 日本はこうこくと国交が無く、これは中国を経由して北朝鮮に入国するようなものである。


「それと、二つ程注意点を告げておこう。先ず、向こうでは『そうせんたいおおかみきば』の名はなるべく出すな。向こうにとって、やつらは危険なテロ組織というだけでなく、かつて自国を地獄にたたとした前政府のまつえい。唾棄、ぞうされる存在だ。下手な誤解がとんでもないトラブルの元になる」

「ヤシマ人民民主主義共和国、でしたね」

「その国家主席の孫・どうじょうふとしが現在、しゅりょうДデーを名乗っておおかみきばを率いている」


 何処どこから手に入れたのか、おおかみきばの冊子「へらぶないくほう」の一冊を手にしていた。

 つまり、彼自身におおかみきばとの接触ルートがあるのだ。


「そしてもう一つ。これの方がはるかに重要で、おれが同行する最大の理由だ。良いか、くれぐれも、絶対に、何が起きようとも、あちらの皇族とは絶対にめるな。同じ日本を名乗っていても、我が国の皇室とは根本的に違うのだからな」


 の言葉に部屋の空気が揺れる。

 ことは答えを返さず、何やら物思いにふける様に空を見ていた。


うる君」


 は語気を強め、そんなことに答えをかした。


「百も承知です。態々ちらから仕掛けるような真似はしません」

「本当だろうな?」


 念を押す様に、ことに顔を近付ける。

 そんな彼を、ことは姿全体を捉えるように見据えて、再度答える。


「大丈夫ですよ。現にわたしは、今に居ます」

「そうか……」


 はそれ以上追求しなかった。


「なら良い。今日はこれでお開きにしよう。何かあったら連絡してくれ」

「ありがとうございます」


 ことに軽くしゃくした。


「送ろうか」


 は車の鍵をちらつかせる。

 有名な国産の高級車だ。


「結構です。自分の足で来たので」

「なんだ、疲れただろうから、休憩所にでも案内してやろうと思ったのに」

さん、軽口も言葉と相手を選んだ方が良いですよ」


 二人はすめらぎの事務所、議員会館を後にした。




⦿⦿⦿




 うることは考える。


 暴力での解決は望ましくない。

 それはとても安易な手段だ。


 そんなことに慣れ切った拳はおごりに塗れ、きっ肝心な時に役に立たなくなる。

 暴力で解決出来ない、絶大なる困難に対して何も出来なくなる。


 彼を殴り付けた時、わたしの中にそんな予感が生まれた。

 父が亡くなった時、どうにもならない絶対的な力にせられたと感じた。


 だからわたしは、極力暴力にたのみたくはない。

 誰かを守る肝心な時まで、わたしわたしの力を研ぎ澄ませていなければならない。


 その肝心な時とは、当に今ではないか。

 今、そのいましめを解かなくて、一体いつこの力を使うのか。

 刃を研いでいる間にすべうしないましたでは、あまりにも滑稽過ぎるではないか。

 後悔してもし切れないではないか。


 だから、わたしこうこくに乗り込む。

 皆を取り戻すために。

 残されたままでなどいられる訳が無い。

 何としても取り戻したい、帰ってきて欲しいから。


 ――一週間の後、うることきゅうと共にこうこくへ乗り込む。

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