第七話『為動機神体』 序

 鈍いだいだいいろの電灯がトンネル内を染めている。

 おうぎの無感情な顔に影が差していた。


「何を……言っているんだ?」


 困惑するさきもりわたるの問いに、おうぎは答えない。

 彼女は一旦車から離れると、シャッターの上に備え付けられた丸いカメラを見上げた。


『顔認証、照合しました。次に指紋を照合願います』


 スピーカーから聞こえてきたのはおうぎその人の声だった。

 続いて彼女はシャッターの脇に移動すると、パネルに手を当てた。


『指紋認証、照合しました。最後に合言葉にて声紋照合願います』

「使命は地球より重い」

『三重認証完了、解錠します。どうぞお入りください、同志よ』


 セキュリティシステムの真新しさに似つかない、金属の耳障りなあつおんと共にシャッターがゆっくりと開いていく。

 おうぎは再び運転席に乗り込むと、機関エンジンを回しながらようやわたるに応答した。


わたくしにはわたくしの、組織の利に反するわたくしだけの事情があるのですよ。それをお話しする前に、もう一度確認させてください。貴方あなたいまなおめいひのもとに帰ることを考えている。そして、その思いは今後とも決して変わらない。お間違いありませんね?」

めいひのもと?」

こうこくでは貴方あなた達の日本国をそう呼んでいるのです。転移した先の世界線に元からあった日本国のことは、大政奉還時の改元で選ばれた元号でお呼びしております」


 そういえば、例の冊子に「こうこくでは大政奉還の時のくじきで『しん』という元号が選ばれた」と書いてあった。

 だが、そんなことよりもおうぎの真意の方が気掛かりだ。

 彼女はそんなわたるの答えを待たず、車をシャッターの中へと乗り入れた。


『乗り入れを確認しました。施錠します』


 再び不快な音を立て、シャッターが閉まっていく。

 そこは乗用車数台が収納出来る広さの、冷たいコンクリートで固められた部屋だった。


「そんな確認をしてどうするんだよ? 昨日はぼく達を止めておいて、今日になっててのひらがえしをするのか? 昨日貴女アンタが素直に言う通りにしてくれていたら、今頃は……」

「いいえ、残念ながら」


 わたるの言葉をおうぎは即座に否定した。


そうせんたいおおかみきばは長い年月を掛けて地域の生活に深く根を張っています。このような寂れた地方を狙い、最初は農業支援か製造業の地方転勤を装い少数で移住するところから浸透し始め、怪しまれないように生活を共にする中で少しずつんでいきます。そうして信頼を得ては地域の重要な役職に就き、村興し等と称して一気に構成員を入れ、自治体を完全に乗っ取ってしまうのです。すなわち、この辺り一帯には丸ごと組織の息が掛かっている。あのまま脱走されたとして、すぐに検問に引っかかってしまい、捕まるのが関の山かと」

「くっ……」


 聞きたくない言葉に、現実に、わたるは顔を伏せた。

 どうやらわたるの考えは思っていた以上に甘かったようだ。


「まあ今のことわたくしの質問に対する肯定的回答としてうけたまわっても良さそうですね。である以上はわたくしの助力が必要不可欠かと存じますよ。わたくしなら貴方あなたに有用な情報と手段を提供出来ます。それに、わたくしからの交換条件は貴方あなたに何の損益も無い非常に簡単な事です。悪い話ではないかと」


 シャッターが閉じ切ると同時に、部屋の床が地中深くへとゆっくり降下し始めた。


「少し、つまらない話を致しましょう。若いつばめがどうでも良い女の愚痴を相手にするが如く、適当なあいづちでも打って聞き流してもらって構いませんが、くれぐれも他言無用に願います」


 床の降下が停止し、照明がともると共に二人が通れる幅の通路が現れた。

 かなり長く続いているようで、通路に備え付けられた頼りない明かりでは終端を見通すことが出来ない。


よろしければどうぞ、わたくしの後に」

「あ、ああ……」


 わたるは半信半疑ながらおうぎと共に降車し、彼女に続いて通路へと入っていった。


⦿


 ぼうぼうと照るこころもとない明かりだけを頼りに、わたるおうぎの後へ続き通路を進んでいく。

 ほんの少し、わたるの中でおうぎへの警戒心が薄れている。


 そういう気持ちで改めて彼女をよく見ると、その容姿はわたるが見てきた女の中でも五指に入る程美しい。

 背筋を伸ばして歩く姿勢は張り詰めた糸の様にりんとしているし、ポニーテールの長い黒髪を解けばさぞつややかになびくだろう。

 メイド服にも隠し切れない肉付きを備えた背の高い体も、無機質で冷たい印象を与える整った顔立ちも、る者は崩して組み敷いてみる欲望を、或る者は逆に踏まれて見下ろされたい願望をそそられる事請け合いである。


 メイド、という属性にはほどかれないわたるだが、彼女自身は好みのタイプだった。

 そんなわたるよこしまな思いをに、彼女は静かに語り始めた、


さきもり様、貴方あなたは今回拉致された当人として、なんとしてでも生まれ故郷に帰りたいと願っていらっしゃる。では仮に、貴方あなたが残された側だとしたらいかでしょう。なんとしても取り戻したい、帰ってきてほしいとこいねがうのではありませんか?」


 わたるは彼女の言わんとする事をすぐに察した。


おうぎさん、まさか貴女アンタは……」

おうぎ、というのは偽名です。本名ははたと申します。名を偽る理由につきましては、言うに及びませんでしょう」


 所属する組織に背信しようとしている人物が、元から偽名を使っている――つまり、最初から組織のためには動いておらず、別の目的で潜入しているということか。


「まあ、本来のわたくしは『こうどうしゅとう』という、こうこくきっての右派政党に名を連ねるきっすいの愛国娘で御座いますので、そちらの意味でおおかみきばに近づくには都合が悪い、ということでも御座いますが」


 わたるは不穏な言葉にデジャヴを覚えた。

 正直、右派の政治団体、というものにわたるは良い印象が無い。

 高校の頃は二度襲われたし、大学でも友人を惑わしているという思いが強い。

 それで、本題ではない事だし、今は彼女の政治的なじょうを記憶から抹消することにした。


わたくしの目的は、姉です。おおかみきばには、愚かにもじんのう陛下にはんを持った姉・が参加しているのですよ。本来は正義感の強い才女なのですが、全く……我が家の恥ですね。一刻も早く横面をたたいて目を覚まさせないと」

ぼく達にその手伝いをしろ、と?」

「手伝いという程の事では御座いません。そもそも、かれこれ六年は姉の居場所を探しているのですが、皆目見当も付かないのですよ。何やら余程重要な任務を任されているのか、あるいは既にちゅうされているのか……」


 おうぎ、いやはたの声が、うれいからかわずかに沈んだ。

 まだ姉の事を憎からず思っているのだろう。


「それで……ぼくに何が出来るのですか?」


 わたるの言葉が敬語になったのは、そんな彼女の心の機微を悟り、その背景を信用に足ると思ったからだ。

 今、航ははたという人物を一人の人間として見ることが出来ている。

 彼女もまたわたるの心情の変化を気取ったのか、気遣いをねるように言葉を返す。


貴方あなたに出来る事は全く大した事では御座いません。わば、わたくしに対するほんのさいぜんてです。先程は姉の居所がわからぬと申し上げましたが、共に探して頂きたい等とはつゆほども思っておりませんので、どうか勘違いなさらぬ様お願いいたします」


 こわいろは、元の元のへいたんで無機質なものに変わっていた。


わたくしはこれまで、おおかみきばの構成員に対し、姉の居場所をそれとなく問うてきました。しかし、誰一人として答えてはくれませんでした。最高幹部の一人、わたりですら。ならばもう、しゅりょうДデーに直接ただすより他はありません。貴方あなたにお願いしたいことはただ一つ。首領に近付く為、わたりの席を空けて頂きたい。あの男を確実に追い落とせる大失態となる形で、貴方あなた達に脱走を成して頂きたいのです。」


 丁度、長い通路に終わりが見えてきた。

 目の前には扉が設けられており、は再び顔、指紋、そして合言葉の三重認証をして解錠した。


「その為に、どうぞちらをお使いくださいませ。貴方あなた達が鳥籠から大空へ飛び立つ為の、自由へばたく翼となるでしょう」


 開け放たれた扉の向こうにはとんでもない物が待ち受けていた。

 わたるは引き寄せられる様に駆け込み、目の前の策をつかんでそれに目を奪われた。


「凄え……!」


 扉の向こうは、だだっ広い格納庫だった。

 それはたった一つの兵器の為に設けられていた。


 わたるは眼前で威容を見せ付ける巨大な人型ロボットの、そのあまりの迫力に息をんだ。

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