第五話『視界消失』 序

 さきもりわたる以下生き残った七名は、彼らを拉致した犯行グループ「そうせんたいおおかみきば」のわたりりんろうによってトラックの荷台に押し込められ、「こうてんかん」という名の民宿に連れて来られた。

 突然の崩落を受けて命からがられきから抜け出した彼らには、はや逃亡の余力もあらがう気力も残されていなかった。


 こうてんかんは洋風の民宿を装ったおおかみきばのアジトである。

 出迎えたのは、装飾控えめなメイド服を身にまとった二十代前半と思われる女だった。

 長い黒髪をポニーテールにした背の高い女で、目線はわたるほとんど変わらない。


「ようこそ、新たな同志の皆様。わたくしおうぎそうせんたいおおかみきばのリーダーたる『しゅりょうДデー』様よりここ『こうてんかん』の管理と隊員方の身の回りのお世話を仰せられつかっております。長旅でお疲れでしょうが、早速皆様に本館を軽くご案内、ご説明いたします」


 おうぎを名乗る女は深々と頭を下げた。

 必要以上に丁寧だが、どこか事務的で無感情な物腰である。


「それでは皆様、わたくしとご一緒にどうぞ」

おうぎよ、それよりも先に」


 わたりおうぎを引き留めた。

 蛇のようなめるように彼女に視線をわす。


おれはこの後、一週間空ける。分かっているだろうな?」

「はい、その間のことは抜かりなく準備して御座います。『へらぶないくほう』ならば彼らの部屋に用意が」

「ならば良い。おれは一旦お前の部屋で休む。案内が済んだら報告に来い」

「……承知させていただきました」


 わたりはそう言い残すと、玄関の奥にある扉から部屋へと入って行った。

 口振りからすると、この館を管理する使用人のための部屋だろう。


「では改めまして、皆様、どうぞ」


 他に行く所の無いわたる達は、不本意ながらも渋々「こうてんかん」へと上がり込んだ。

 そんな彼らをおうぎは「食堂」「洗濯機と乾燥機」「二階の客室」の順に案内した。

 部屋には簡易浴室が備え付けられており、各員の着替えが二着ずつと、何やら意味深な冊子が用意されていた。


「各部屋に御用意いたしました冊子『へらぶないくほう』十巻ですが、この一週間で必ず熟読し、中身を完璧にかいくださいませ。最終日に試験を実施いたしますので、そのおつもりで」


 用意された客室は五部屋、わたる達は二人部屋と一人部屋に分けられた。

 部屋割りが決まったところで、おうぎは一礼して一階へと下がっていった。


⦿


 客室に入ったわたるは、辛うじて生きていた腕時計の針と日没の時間から、現在地をこうこく内と確定した。

 そうせんたいおおかみきばという組織はこうこくと戦う為と称し、日本から何も知らぬ若者達八人を遠い異国へ拉致したのだ。


 湖に沈んだ夕日が朱色の残光を揺らめかせていた。

 祖国は、故郷は、思い人はそのはる彼方かなた、地球の曲面に隠れて望めもしない。

 わたるは部屋に置かれていた「へらぶないくほう」なる冊子の一つを片手に眉をひそめた。


(こんなもの……!)


 望郷の念を怒りがつぶす。

 だが、そんな彼の思案に、浴場から聞こえたシャワー音が水を差す。


「くゎー、気持ち良いーっ! 疲れた体にはくそあつい湯が染み渡るぜえー!」


 浴場で反響する軽妙な調子の声。

 その主は共にとらわれていた男の一人、あぶしんであった。


 わたるはこの男と二人部屋を割り当てられていた。

 他はわたるの高校時代の同窓生であるずみふた椿つばきようと相部屋で、残る三人は一人部屋を当てられた。


(あいつ、相談も無く勝手に風呂行きやがった。ぼくも入りたかったのに……)


 わたるは早速、しんの行動にストレスのメーターが上昇するのを感じた。


「はぁー、いい湯だったぜえー」


 しんれたままの体で布団の上に寝そべった。

 脱色された金髪と鍛えられた日焼け肌から水が滴り、布団の生地に染み込んでいく。


「おま、何やってんだよ!」

「ん?」


 しんは不可解、といった調子で首をかしげる。

 わたるが怒っている理由にさっぱり見当が付かない様子だ。

 わたるは深くためいきいた。


あぶ、だっけか。先に風呂に入ったのはまあ良いや。ぼくも入りたかったけど、別に譲るのはやぶさかじゃないしな。けど、風呂から上がったら体を拭いて髪を乾かして服を着てから布団に入ってくれないか?」

「なんだよ、一々細けーな。お母さんか?」

「割と普通のことを言っただけだぞ。まさかこのぼくが母親呼ばわりされることになるとは夢にも思わなかった」

「ふーん。ま、良いや。取り敢えずおれ寝るから、なんかその変な教科書みてーなの、先に読んどいてくんね? おれ勉強苦手なんで、後でざっくり教えてくれや」

「お前この流れでよくそんな厚かましい頼み事出来るな……」

せやい、照れるだろ」

「褒めてねーよ」


 わたるは再度深く深く溜息を吐いた。

 この男と相部屋でくやっていける自信が無い。


「もう良いよ。取り敢えず晩飯後に皆で集まりたいからよろしくな」

「うぃー、おやすみー」


 わたるにとって、しんの扱いは比較的どうでも良かった。

 このままずっと一緒に居る気など更々無いからだ。

 こうこく打倒だか革命だか知らないが、こんな組織の言いなりになるのは御免だった。

 全員で協力し、一週間以内に脱出する――そう深く決意を固めた。


⦿


 夕食後、しんに言った通りわたるは二人の部屋に他の者達を集めた。

 残念ながらまゆづきは部屋に籠もったままだったが、どうにか後で話すしかない。


「みんな、聴いてくれ」


 わたるは五人に自分の考えと思いを語った。

 今居る場所がこうこくだということ、その上で、一週間以内に脱出したいということ、その後、なんとかして日本に帰りたいということ。


「正直無謀なのはわかってる。でも、このままあいつらの言う通りにしたって絶対にろくな事が無い。もう既に、一人の命があっさり奪われてる。この中から二人目が出る日も遠くないかも知れない」


 全員がわたるの言葉に聞き入っていた。

 おちゃらけたしんすらも真剣そのものという眼をしていた。


「狙い目は最終日だろうね」


 椿つばきが目をすがめて意見を述べた。


「あの使用人はあたし達に対して最終日に試験をすると言っていた。何をする気か知らないが、普段とは違うイレギュラーな状況になるのは間違い無い。日常業務をこなすのとは違い、隙も生じやすいだろう」

「成程。さきもりおれからも一つ良いか?」


 椿つばきに続き、けんしんも提案する。


「例えば外国に亡命する場合、大使館に駆け込むのがセオリーだ。こうこくと国交があるのは主にアメリカだ。脱出後はアメリカ大使館を目指すべきだと思うのだよ」

「でも、そもそもここがこうこく何処どこかさっぱり分からないんだよ? 目指すって、何処へ行けば良いんだろう?」


 ふたの懸念はもっともだった。


「んなもん、あの女脅して聞き出しゃ良いじゃねえか」


 おりりょうが不気味に笑いながら茶々を入れる。

 しかし、この彼ならではの発想も役に立つのは間違い無い。


「ありがとう、みんな」


 わたるは彼らに心から感謝した。

 会ったばかりにもかかわらず、わたるの無謀な考えに当然の如く協力してくれている。

 特に、おりまですんなり手を取ってくれるとは思わなかった。

 それだけ、突然の崩落に見舞われはらひなが死んだ一件は衝撃的だったのだろう。


 わたる達はその後、この一週間の過ごし方について入念に話し合った。

 特に、怪しまれないように冊子は読み込んでおこうと一致した。

 しんは露骨に嫌な顔をし、すがるような目でわたるを見ていたが、計画に支障が出てはいけないので教える他無いだろう。




⦿⦿⦿




 その後の一週間、わたる達は何度か集まり、「へらぶないくほう」の内容理解を確かめ合う振りをして脱出への打ち合わせを進めた。

 もちろん、表向きの会合理由である読み合いも手を抜かない。


 その冊子には、そうせんたいおおかみきばの理念や、背景となるこうこくの歴史、そして戦う上で必要な「力」の体得方法が書かれていた。

 最後の一節を読み解くと、わたる達が囚われていたあの小屋でおおかみきばが何をしたかったのかが見えてくる。


「つまりあの薬には、おれたちにとんでもねえ力を身に付けさせる効果があるってことだな?」


 五日目の会合が終わり、部屋でわたると二人きりになったしんは教わった内容理解が正しいかどうか問い掛けてきた。


「ざっくりしてるな。まあそういうことらしい。もう少し言うと、薬を飲んだ段階で簡単には死なない生命力が手に入る。あいつらは崩落でこれを試したんだ。その後、訓練次第で超人的な身体能力と不思議な現象を起こす特殊能力を身に付けることが出来るらしい。ま、どうでも良いけどな」


 わたるは一つ思い出していた。

 高校生の頃、学校を占拠したテロリストのリーダーは校庭から三階まで跳び上がり、の様な姿に変身し、パワードスーツを形成して見せた。


 あれはひょっとすると、初日に飲まされた薬と同じ効能にるものだったのではないか。

 自分は何年も前から既に、この一節に書かれた実物を目撃していたのではないか。


「ふーん……。ま、おれも今は別に良いかな。一昔前なら興味あっただろうけどな」


 しんは窓の外の夕日を眺めていた。

 彼もまた、初日のわたると同じように故郷をおもっているのだろうか。


さきもりおれはお前がここから逃げようって言ってくれてうれしいんだ。おれだって、絶対に日本へ帰りてえと思ってる。家族に、妹に誓ったからよ。真人間になって孝行するってな」

「そうか……」


 当たり前の話だが、さらわれた者達にはそれぞれ掛け替えの無い人生がある。

 無念の死を遂げたはらひなも、ふたも日本に夢や目標を残している。

 事情の知れない椿つばきにも秘めたる思いがあるに違いないし、まゆづきがあれだけ絶望しているのもそれだけ喪ったものが大きかったからだ。

 おりに関しても、生きて帰国して罪を償うべきだろう。


 それだけに、あらゆるものを奪ったそうせんたいおおかみきばは許し難かった。


おれの妹はぐさっていうんだがな、おれと違ってわいくてマジで良いなんだよ。今年受験生で、大学も良い所を狙ってるらしいし、兄貴としては将来が楽しみでしょうがねえ。ま、おれに出来ることといえば、あいつに恥じない程度にはまとな兄貴になることくらいだがな。あいつの何が可愛いかっていうと、先ずはだな……」


 しんわたるに妹のことを熱心に語り始めた。

 意外と妹ぼんのうな性格らしい。


 こうして一週間がち、わたる達は脱出決行の日を迎えた。

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