ヘルマン村のアンジェリカ (3)

「君はアン、いつも本を読みに来るアンジェリカだね?誰か、すぐに彼女の家へ親御さんを呼びに!!村長にもアンバーが出たと伝えに行ってくれないか!!」


 慌てている司祭の声に動揺を隠せないアンとマーガレットだったが人々のざわめきに一番年長の司祭が奥から出て来て「君はよく農業書を読みに来る子だね」と優しく声を掛けてくれる。アンはそこでやっとマーガレットに「私、今……」と不安げな表情で香炉の中にあるアンバーと親友の顔とを交互に見やる。


「ハンカチは持っているかね?」

「は、はい……司祭様」

「熱いかもしれないから気をつけて。これは君の大切な宝石だ」


 未だマーガレットに荷物を持って貰っていたアンは自分のお出掛け用のスカートのポケットから木綿のハンカチを取り出して灰にまみれていながらもその琥珀色の片鱗を見せている宝石を香炉から取り出す。

 畳んだハンカチ越しに熱が伝わる。火傷しそうなくらいに熱い、と言う訳では無かったが確かにまだそれは素手で触れるには熱そうだった。なんたってずっと火がつけられていた香炉の灰の下から転がり出て来た物。


 とりあえず二人ともお座りなさい、と年長の司祭にすぐ近くの長椅子に座るよう促される。


 座ったものの不安を隠せないでいるアンとその手を握っていてくれるマーガレットをよそに、人がどんどん増えてくる。しかし司祭や集まって来た他の村人が話をしている内容は勿論、アンとマーガレットも知っていた。この宝石の出現の事は誰しもが小さい頃に絵本などで内容には触れていたし、礼拝の時にも話は聞いていた。


「本当に、私が」


 戸惑うのも無理はなかった。

 今までまるでおとぎ話、絵本の中だけでの出来事が自分の身に降りかかっている。そんな教会の中でアンとマーガレットの二人はアンの両親と村長の到着を待つ。その間も、すでに教会に入りきらない程に人が溢れていた。


 アンは自分の膝の上にあるまだ温かいアンバーの原石を見る。


 ――時に神から祝福、加護として人の域を超える程の能力を授けられ、その証として能力によってそれぞれに色の違う宝石が同時に出現する。生まれた時から授けられている者、アンのようにふとした拍子に授けられる者。まさに神の気まぐれ、と言うように出現する時期も様々で……。


 絵本にはそう描かれてあった。

 そしてそれが今、自分の膝の上にある。


 事態を未だに飲み込めずに戸惑っているアンのこげ茶の瞳が同じく動揺した表情で人混みを掻き分けて入って来る両親と合う。

 それに続いて村を取り仕切る村長や顔役たちも集まって来て座って待っていたアンとマーガレットを取り囲んだ。


 その後の村はいつものお祭りが更に賑わい、盛大に執り行われた。村にとってアンバーの出現と共に『豊穣の手』を授けられた者が現れた慶事を祝わずして、と言う事らしかった。毎日のようにアンと両親の住む家には人が来てしまい、近隣の村々を統治する辺境伯からの手紙すら無くしてしまいそうな程のお祝いのカードや品物に溢れ……しかしながら堅実な両親はアンの気持ちを尊重する為に贈られた食べ物などはその時に美味しく食べきれる分だけを残して教会に寄付をして新年のお祝いに皆で食べたり飲んだりしようと振る舞った。


 ・・・


 それが去年の末の話。

 年が明け、新しい年を迎えてまだ六日目の日。ヘルマン村を統治するダンデリオン・フェンネル辺境伯からの使いの馬車がアンの家の前につけられるとアンは一人でそれに乗り込んで出掛けて行った。

 柔らかいなめし革のポーチの中にはあれから肌身離さず持っていたアンバーの原石をハンカチに包み、入れていた。その傍らには辺境伯の屋敷となるとその日の内には村に帰って来る事が出来ない為、予め持ってくるように言われていた着替えなどが入ったトランクが一つ。


「ヘルマン村のアンジェリカ、ようこそ。よく来たな」


 停車する馬車。

 横付けされた大きな屋敷の玄関ホールでアンを出迎えてくれたのは国境を守備し、近隣の街と村々を統治するダンデリオン・フェンネル辺境伯。シュレーゲル王国のみならず周りの国々では身分の高い者しか名字が無く、村の名前を名乗る事になるアンはぎこちない所作でスカートの端を摘まんで淑女の挨拶をする。


「皆が楽しむ新年のお祝いもそこそこに呼びつけてしまって申し訳ない」


 大柄な体躯と深い声、おしゃれに切り揃っている濃い赤毛の口髭と凛々しい緑色の瞳を持つ軍人の出で立ちにアンが身を小さく萎縮させてしまうのも無理はなかった。年齢は自分の父親と同じくらいに見えたが普段アンたちがおいそれと目にする事など出来ない上流の貴族階級の人物。しかも重要な国境付近の土地を国王から任されている堂々とした雰囲気を持つ勇敢な男性が自分を真っ直ぐに見下ろしているこの状況。小さくならずにはいられなかった。


 そのまま屋敷の中に招いてくれるダンデリオンにアンは身を小さくしたままついて行く。トランクは一緒に出迎えに来ていた同じ年頃の女性が「お部屋にお持ちいたします」と預かって行ってしまった。


「神から祝福を授けられた者はその存在だけで国益にも……言葉は悪いが『仇を為す者』にも成り得る。君が私の領地内の村民である以上これから私が責任を持って聴取し、シュレーゲル王国の然るべき機関に報告する義務がある。簡単な質問だ。君にとっても答えにくい話ではないと思うが、いいね?」


 萎縮してしまう程の迫力とは裏腹に廊下を歩きながら丁寧に説明をしてくれるダンデリオンに少し緊張を解く。わざわざ自ら玄関ホールまで出向いて出迎えをしてくれた彼はアンを応接間に通して座らせた後、別の部屋から書記官を連れてきて予め用意されていたらしい質問を幾つかアンに問いかける。その問いにアンが自らの言葉で正直に答えると書記官の羽根ペンも動き出した。


 時間にしてはそんなに長く掛からなかったが緊張をしているアンにとってはとても長く感じ、最後に見せたアンバーの原石を手に取ったダンデリオンが「確かに、これが礼拝堂の香炉から出現し……君は祭壇に消える白いドレスの女性を見た」と問いかけるように呟いたのでアンも「はい、そうです」と返事をする。


「良いだろう。聴取はこれで終わりだ。原石は大切に持っていなさい」


 それでだ、とダンデリオンは質問の時と違って少し言いにくそうな素振りを見せた。


「君がアンバーの所有者であると同時に『豊穣の手』を持つ者として殆ど確信しているから話をするが……君はご両親のいるヘルマン村から出て、いずれ近い内に王都で暮らす事になるだろう。国王、あるいは王族の方々との謁見ももしかするとあるかもしれん。その時には私も同行する。我が領地から加護を授けられた者が現れた事は誉れ高い事、ゆえに君の支度も我々が行う事になるだろうが……」


 追って仔細は手紙を持たせた従者を送る。

 そうアンに伝えたダンデリオンは「まだ陽も高い。私の屋敷のメイドを付けるから街へ散歩でもどうかな」とここで初めて笑い掛けてくれた。言いにくい事を伝えた後に取り繕う訳でもない、自然な彼の表情にアンも不安は確かに抱きながらも「お言葉と配慮に感謝します」とお礼を述べた。

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