<24・Friend>
洗脳が解けた影響もあるのか。普段鍛えているはずのギルバートとシェリーは、深さ3メートルほどの穴の中に落ちたまま身動き一つしなかった。完全に気を失っているのかもしれない。想像以上に心身にかかる負担が大きかったのかもしれなかった。ジュリアンも、洗脳に強引に逆らったところで意識を失っていたし、同じ理屈なのだろうか。ギルバートの方は怪我のダメージも累積していたのだろうが。
「何で、何でよ、なんでっ……!」
穴の淵にしがみついたまま、ミリアの顔をした魔女は嗚咽を漏らしている。
「あたしは頑張ったのに……すごくすごく頑張ったのに!何で、何で負けるわけ。好きでもなんでもない、モブキャラのミリアを頑張って演じて、やりたくもないメイドの仕事もやって、裏で手を回して……っ!ただ、ジュリアンに愛されたかっただけなのに。そのためにこんなに努力したのに、なんで!」
「……あんただって、本当はわかってんでしょうが」
朝香は彼女の前にしゃがみこみ、告げた。もう勝負は完全についている。簡易魔法書がなくなったミリアは洗脳が使えないし、そこで気絶している二人が目を覚ませばどちらの味方をするかなど明らかである。いや、屋敷の中の他の召使いたちにも魔法を使いまくっただろうから、全員眼がさめると同時にミリアを探し始めていてもおかしくはなかった。魔法をかけた瞬間を本人達が覚えていれば、ミリアとて言い逃れはできないからである。
加えて、穴にひっかかっているこの状態では、ナイフで反撃もできない。あと一歩、朝香が突き落とすなり、魔法で滅多打ちにするなりすれば――この場で彼女を殺すことも十分可能だろう。その権利もある、と人は言うのかもしれなかった。朝香としてもコーデリアとしても、散々迷惑をかけられ、あらぬ汚名を着せられてきたのは事実なのだから。
でも、朝香は。
「あんたが努力しなかったとは言わないよ。でもね。……正しい努力をしなきゃ、望んだ結果なんか得られない。学校でも会社でもそれ以外でもみんなそう。あんたもそういうの、散々見てきて知ってたでしょ」
殺す選択など、最初からなかった。転生者として、彼女が持っている情報を知りたかったからだけではない。
きちんと話をしなければいけなかったからだ。そう。
「自分の信念を曲げ、欲望に負けた奴に未来なんかない。……覚えてる?これ、戦争が始まったあとの、ジュリアンの台詞。忘れるわけないよね。あんたが一番好きなキャラの大好きな言葉だもん……ね、瑠子」
友達だから。
相手が間違えた時、それは間違いだと伝えるのが、本当の友情だから。
「……なんで」
輪転の魔女、その目が見開かれる。
「気づいてた、わけ?朝香……。ミリアが、魔女があたしだって」
「気づくに決まってるじゃん。何年友達やってると思ってんだか」
喋り方だとか、考え方だとか。声は違っても、“ミリア”と“瑠子”には共通項が多すぎる。夢女子でジュリアン推しということも知っていたから尚更だ。そもそも、朝香があのように唐突に転生させられのだから、瑠子も同じように転生させられていたってなんらおかしくない。もしこれが普通の異世界転生ではなく、なんらかの意図に則った“実験”のようなものなら尚更である。
同時に。瑠子だからこそ――朝香がコーデリアの中に入っていると知らされて、嫉妬を爆発させてしまうのも当たり前と言えば当たり前なのだ。何故、腐女子であり、推しと自分が結ばれたいなどと思っていないはずの朝香がそのポジションなのか。自分はモブ程度のメイドなのに、何故彼女がヒロインなのか。需要もない、楽しめるはずもないならその場所を代わってほしいと、そう願うのもわからないことではない。
「……あのね、瑠子。オタ友達としてさ、私はあんたの考えに結構共感することも多かったっつーか……むしろ感銘を受けるってなことも多かったわけ」
何年も同じ会社に勤務し、オタク会話を繰り広げてきた者同士。朝香が腐女子で瑠子が夢女子という違いはあっても、キャラへの愛の深さは一致していたと思っていたし、特に気に入ったことはそう。お互いに“成り代わり趣向は苦手”だったことと、その理由だ。
「夢小説は好きだけど、成り代わり系は嫌だ。あんたそう、いつも私に言ってたよね」
「……そうよ、成り代わり系はマジで地雷。でも、実際に自分が成り代わっちゃったならさ、自分がヒロインになりたいって思うのは当たり前のことで……」
「そうじゃなくてさ、瑠子。覚えてないかな。あんたがその話を初めて私にした時、なんて言ったか」
瑠子本人にとっては、些細な言葉だったのかもしれない。でも、朝香にとってはとても胸に響く台詞だったので、よく覚えているのだ。
彼女は確かに、こう言った。
「大体、こんなかんじのこと言ったの。私は超感動しちゃってさ、よく覚えてるんだよね」
『成り代わりってのは、他人を乗っ取って人格を上書きしちゃうっていうのもそうだけど……それで乗っ取るのは人格だけじゃないでしょ?そのキャラのステータスとか、積み上げてきたものを全部自分のものにしちゃって、そのステータスを利用して推しに愛されるってなわけ。そう解釈してない夢女子は多いだろうけど、あたしにはそうとしか思えなくて。それが嫌なのよね。……だって、あたしはあたしで、他の誰でもないのに。別の誰かの努力を利用して、自分の力でも魅力でもないものを踏み台にして溺愛されるって、それって本当にいいのかなって。ずっと付き纏うじゃない?推しが本当に愛してるのは“成り代わったガワのキャラ”なのか、“中身のあたし”なのか。自分自身で正しい努力をして、中身の自分が愛されなきゃ、意味なんかないでしょ』
「――!」
はっとしたような顔になる、瑠子。
そうだ。愛されたいなら、望む恋がしたいなら、その立場を勝ち取りたいなら。自分は自分として、正しい努力をしなければ意味がない。最初にそう言ったのは他でもない、瑠子なのである。
「私は私。瑠子は瑠子。それ以外の誰かには絶対になれないし、だからこそ意味があるんだよ。コーデリアの人生も、ミリアの人生も、私達のものなんかじゃない。今回不幸な事故で、たまたまそれを借りてしまっただけ。あんただってさ、最初はそう思ってたんじゃないの?」
「そ、それは……」
「瑠子はいいの?ミリアやコーデリアになる代わりに、それまでの田中瑠子として本当に頑張ってきたこととか、築いた歴史とか、全部捨てて本当にいいと思ってる?悔しくないの?悲しくないの?別の誰かに成り代わるってのは、そのキャラの心を殺してステータスを乗っ取るってだけじゃない。本当の自分を、その時点で捨てちゃうってことでもあるんだよ。あんたが望むのは、ガワじゃなくて、本当の自分を愛してくれる誰かのはずでしょ。現実でも、夢の世界でも同じく」
私は覚えてるよ、と朝香は告げる。
「覚えてる。瑠子が、本当に大事なことはちゃんとわかってたってこと。自分自身のことも、ジュリアンのことも、この世界のことも」
転生したあの夜。交わした会話に、ちゃんと瑠子としての真実があったはずだ。
『……そうだね。ジュリアンがあんな風に笑うの、コーデリアの前だけだもんね』
『まあ、そうだね。成り代わって溺愛されても、あたし自身見て貰えてるわけじゃないもんね。あたしの分身の夢ヒロインが愛されてる方がずっと幸せだし。別キャラのガワ着て溺愛されるってなんか解釈違いっていうか』
夢を見るのは自由だ。想像や妄想の翼は、どこまでだってはばたかせていいだろう。
でもその根幹にあるのが、けして揺るがない、世界でたった一人の自分自身であるのは大切にしなければいけないことで。
夢と現実の境界線は、守り抜かなければいけないのである。どれほど辛くても苦しくても、人は他でもない自分自身として、現実を生きていくしか術はない。そしてそうやって乗り越えた先に、本当の自分自身のハッピーエンドが待っているのだから。
「……ごめん」
くしゃり、と瑠子の顔が歪んだ。
「ごめん……朝香、ごめん、ごめん。わかってたの。本当は、全部分かってたの。あたしが望んだ“夢”ってこんなんじゃないって、こんなやり方間違ってるって。でも、朝香がコーデリアだって知ったら止められなかった。なんであたしじゃないのって、それしか考えられなくなった。ましてや、朝香を屈服させればなんでも願いを叶えるだなんて言われてたら尚更……!って、そんな責任転嫁していい立場じゃないのわかってるけど、けど……っ。ほんとなにやってんのかわかんない。大好きなジュリアン洗脳して、大好きな世界のみんなを苦しめて、ミリアのことも蔑ろにしてっ……」
「いいよ、瑠子。全部許す。私だって、瑠子の立場なら嫉妬しなかったかなんてわかんないもん」
「朝香ぁ……」
彼女は努力した。
けれどその努力の方向を見誤って、足を踏み外した。
愛する人が一番愛しているのが、朝香ではなくコーデリアだとわかっていながらも。それを捻じ曲げる罪を理解していながらも。ミリアや多くのキャラクターたちを滅茶苦茶に壊すことの愚かさに気づきながらも。
それでも、一度走り出してしまえば止められない時が人にはある。
その罪深さと、過ちの繰り返しこそ、人が人たる証明でもあるのだ。何故ならその間違いによって、人は失いながらも学んでいく生き物なのだから。
「まだ、あたしと……友達でいてくれる?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔の瑠子。まったくミリア以前に女性としてなんとも終わっている顔だ。
こういうヤツの涙は、彼氏ができるまで女友達が拭ってやらねばならないのである。悔しいかな、それは他でもない、ボッチ仲間の朝香の役目だ。
「当たり前だっつの、ばーか」
朝香は彼女に手を差し出し、笑った。
「闇の決闘王!最後まで見るんだから、またオタトークにも付き合えよこのヤロー!あんたくらいなんだから、私の愚痴と妄想についてこれるの!」
朝香が瑠子の手を握った、その瞬間。世界はぴしりと音を立てて罅割れ――そして崩れ落ちて行ったのである。
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