<14・Communication>
なるべく召使い達のことも家族のことも不愉快にさせないよう気を付けつつ、誰が成り代わりなのかを確かめなければいけない。相手がどのような目的で自分を貶めようとしているのかイマイチよくわからないが、とにかく妨害し続けられれば朝香の命は勿論のこと、この世界のルールそのものが狂ってしまうことになる。
同時に。もしその人物が自分と別ルートで転生してきていたとしたら、場合によっては“元の世界に帰る方法”を知っている可能性もあるだろう。なんにせよ、朝香にとってはようやく見つけた帰るための手がかりなのだ。なんとしてでも逃したくはなかった。
「お、お嬢様!?珍しいですね、こんなところに!」
「ごめんなさいね、せっかく休憩しているところなのに」
「い、いえ!それはいいのですが!」
コーデリアと、メイドたちの関係は比較的良好。それが物語の設定であったはずである。コーデリアは彼女等が労働者階級だろうと蔑むようなキャラクターではないし、彼女達もこの屋敷での生活を居心地良く感じている――というようなことは公式の設定資料集に書かれていたはずだからだ。ゆえに、彼女達への聞き込みはそう難しいことではない。ただ、そうだとしても“自分達が疑われている”と思われていい気分はしないだろう。
だから朝香が、メイドたちの休憩室を尋ねて聴きたかったのは別のことである。
「あら、美味しそうなクッキーね。私も一つ貰っていい?誰が作ったの?」
朝香が尋ねると、メイドのうちの一人、ちょっとぽっちゃりした少女が頬を染めた。
「わ、わたし、です。その、お菓子作りを、コックさんたちに教わりまして。上手く作れるようになったら、お嬢様や皆様にもご馳走できると思って、それで練習を……」
十三歳。この家のメイドで一番最年少のアンだ。ウィルビー家が経営する孤児院の前に捨てられていた赤ん坊で、十二歳になると同時にアダムがメイドとして引き取って来たのである。
実は、この家のメイド達は一部外部から雇い入れた者を除き、みんな元は同じ孤児院の出身なのだった。彼女らがウィルビー家に好意的なのも、“身寄りのない自分達を育ててくれて、仕事をくれた貴族様”という恩義を感じているからということらしい。
「羨ましい。私はあんまり器用じゃないから、お料理とか全然で」
朝香はアンが作ったクッキーを一つ手に取る。チョコレート味のクッキーの真ん中に苺のジャムのようなものが乗っていて、ほのかに甘酸っぱい匂いを放っていた。齧るとさくり、と程よい柔らかさで溶ける。濃厚なココアの味と、やや酸味の強い苺ジャムの相性が抜群だった。これはマジで美味しい、と心の中で絶賛する。
とはいえ、“コーデリア”は生粋のお嬢様。朝香がするように“これ超おいしーじゃん!あんがと!”なんて物言いをしてはいけないわけで。
「とても美味しいわ。プロ顔負けね」
「ほ、本当ですかお嬢様!ありがとうございます!」
お上品な言葉で褒めるにとどめた。ああ、頑張ってはいるが地味に辛い。自分らしい言葉で賛辞の一つも述べられないとは!今更ながら本当になんで己とは真逆の性格のお嬢様の中に入れられてしまったんだ自分、と心の底から疑問で仕方ない。今のところ周囲からツッコミを食らってはいないが、いつバレるかと内心ひやひやで仕方なかったりする。
「えー、いいなあアンばっかりお嬢様に褒めていただいて!」
ぷう、と頬を膨らませたのは、コーデリアと同い年、十七歳のシャーロットだ。短い茶髪にそばかす、痩せ型の長身。運動神経抜群の、お姉さんキャラである。コーデリアが“フレンドリーに接して欲しい”と願ったこともあり、お嬢様と召使いという立場でありながらミリアと並んで仲の良い少女だ。
「せっかくなのであたしも褒めてくださいよ!なんと、玄関のお掃除が十分で終わるようになったんです!」
「まあ。それは凄い!」
「ふっふっふ!玄関エリアを脳内でいくつかにエリア分けして、そのエリアごとに箒でゴミを集めて塵取りでぽいぽいしていくのがコツということに気づきました。いちいち塵取り使ってたら効率悪いし、かといって全部集めてから捨ててると玄関の扉が開くたびに風で舞って台無しになっちゃうんですよね。その兼ね合いがミソなんです、あとはさっさか終わらせる体力があれば!」
「その体力があるのシャーロットだけだから問題なのよ、もう」
やや呆れ気味に言ったのは、眼鏡の女性であるリネット。二十二歳だが、非常に童顔なので未成年にみられることもしばしばあるという。おっとりとしているが、とても真面目で細かいところに気が付くメイドであり、メイド長のシェリーも一目置いている存在だ。
「そもそも、お嬢様に褒めていただくことを期待して仕事なんかしてはいけないわ。私達はこの家に置いて貰えているだけで救われてるんだもの。私達のように身分が低い女は、手に職があるかどうかが一番大事。ここで学ばせていただいたことは、仮にいつかウィルビー家を離れる時が来てもけして無駄にはならないんだから。どんな仕事も丁寧に、恩返しのつもりでやるのは当たり前のことよ?」
「相変わらず真面目なのね、リネットは。そんなに気にすることないのに」
朝香が正直に言うと、とんでもないですわ、とリネットは微笑んだ。
「文字の読み書きもできなかった私に、皆さんが文字を教えてくれて……だから私は本を読むことができるようになったのです。誰かにお手紙を書くこともできるようになったし、いつか大学に行くという夢も持つことができました。私だけではありません、この家のメイドはみんなそうだと思うのです。誰ひとりとて、お嬢様や旦那様に感謝していない者はいないと思いますよ」
だからこそ、と彼女は表情を曇らせる。
「お嬢様の命を狙うなんて恩知らずな真似。私達の誰かがするなんて思えないのです。……全員、一年以上勤務経験のあるメイドや執事、警備兵ばかりだというのに」
「……そうね。私もそう思うわ」
リネット達の立場なら、当然の考えだろう。だからこそ、朝香は悔しくてならないのである。
恐らくはメイドや執事、家族の誰かが。本来のその人物ならば、けしてやらないようなことを強要されている――その人物に成り代わった、転生者のせいで。コーデリアを悪役令嬢呼ばわりして脅迫することも、殺そうとすることも、その道を邪魔することも。本来の彼女達ならば、頭の隅にも上ることはなかったに違いない。とまあ、それは攻略本に書かれていた詳細設定をそのまま信じるなら、ということではあるけれど。
「確か、ミリアや……今メイド長をしてくれているシェリーも孤児院出身だったわよね?」
朝香の問いに、そのはずですね!と元気よくシャーロットが声を上げた。
「シェリーさんは言わずもがな、ミリアもその次くらいに忠誠心が強いメイドだったかと。そういえば、ミリアが前に話してくれたっけ。……旦那様がメイドとして引き取る子を探していた時、たまたま旦那様が落としたハンカチを見つけて拾ったのがきっかけだったって。それを見て、旦那様が褒めてくれたのが嬉しくて、そのままこの家に来て。なんだか運命感じちゃったとかなんとか!」
「そのエピソードは初めて聴いたわ。確かに、孤児院にいる子供達全員を我が家で引き取ることはできないものね」
「でしょでしょ?あたし達にだけ話してくれたんですよお!」
そう誇らしげに胸を張るシャーロットは、まるで自分が褒められてでもいるかのようだ。
なるほど、同じメイドの彼女らにだけ、話すこともあるということらしい。実際そのあたりの話は、朝香も完全に初耳だったし、攻略本やファンブックにも載っていなかったエピソードだ。というか、メイド達にも扱いに差はあって、ミリアはその中であまり出番の多いキャラクターではないのである。どちらかというと影が薄いサブキャラに近い。ゲーム内で描写されていない裏設定、というものがいろいろとあってもなんらおかしくはないだろう。いかんせん、尺の問題があるのだから。
「シェリーはどうなの?私が生まれる前からこの家に務めてくれている、ってことしか知らないの」
同時に、シェリーもあまり存在感のあるキャラではない。彼女の場合は、このゲームをプレイする若手が恋愛対象や興味の対象にしにくい年齢のキャラクターだというのが大きいからなのだろうが。確か、五十代だったはず、である。朝香としても同性の中高年キャラクターに興味は湧きづらいので、他のキャラと比べるとだいぶ設定がうろ覚えだった。
「シェリーさんも、孤児院の出身ですねえ」
アンがにこにこと自分で作ったクッキーを齧りながら言う。
「シェリーさんが、ウィルビー家に忠誠を誓うのは当然なんですよね。お嬢様はご存知でした?シェリーさん、子供の頃は眼が見えなかったんです。正確には、極端な弱視だったって。それが、お嬢様のおじい様であるジャック様が手術代を出してくださって、それで見えるようになったのだそうで。以来、この死ぬまでこの家にお仕えして恩返しをすると決めたのだそうですよ。あれだけ頭が良くてなんでもできる方なのに、この家を離れないのはそういうことなんですって」
「そうだったの」
「お嬢様が、わたし達メイドのこと、興味持ってくれて嬉しいです。他の人の話も聴きます?例えば……」
彼女がそこまで言いかけた時だ。休憩室のドアが、がちゃりと開いた。誰かが交代で戻ってきたのだろうか、と思って振り返った朝香はぎょっとする。
「ど、どうしたの!?」
入って来たのは、二人のメイド。真っ青な顔をした長い黒髪の少女を、もう一人の金髪の女性が支えている。前者が十八歳のネル。後者が二十五歳のニコールだ。
「お、お嬢様……」
ニコールはメイドの休憩室にいる朝香にやや驚いた顔をし、次にはこちらを睨みつけるような鋭い視線を向けて、こう告げたのである。
「……すみませんが、ソファーを一つ開けてくれませんか。ネルが貧血で倒れてしまったので、休ませたいのです」
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