<12・Intimidate>

 案の定、と言うべきか。

 リトルドラゴンを倒したことでフィリップは次の魔法を継承してくれたものの、ものすごく微妙な顔をして朝香を見たのだった。

 無理もない。朝香の動き方を見れば、不自然なことが多すぎるからだ。


「……コーデリア様。私、何のモンスターを召喚するかなんて申し上げていませんよね?」


 まあそう言われるのは当然だろう。どのモンスターが来るのかも、その弱点も行動パターンも全部わかった上での攻撃だった。アドリブが効かなければ、回復魔法ナシで倒すのは難しい相手だったはずだというのに。


「た、たまたま最近見たモンスター図鑑に載ってたのがリトルドラゴンだったから!それで弱点とか見て覚えてたのよ!」

「座学がお嫌いなお嬢様が、何故モンスター図鑑を?それに、弱点は載っていても詳細な攻撃パターンは載っていなかったように思うのですが」

「そ、それはその、えーっと……」


 どうしよう。とりあえず倒してから誤魔化せばいい、と思っていたが。いざその場面になると、まったく言い訳が思い浮かばない。元転生者だなんて言って信じて貰えるはずもなし、むしろそれを明かしてシナリオが破綻するのも恐ろしい。最悪、シナリオがぶっ壊れた挙句、頭がおかしくなったと誤解されて本気でドン引きされそうだ。いや、忠臣であるフィリップ相手ならば、心配される可能性の方が高いだろうが。


「……まあ、いいでしょう。情報をどこで知ったかは追及しません。それを知っていたとて、生かせるかどうかはその人物次第。初めて見るであろうドラゴンを相手に、隙を突いて早期決戦を図った勇気と度胸、お見事でした」


 疑念は消えなかったはずだ。それでも、今ここで無理に尋ねるべきことではないと思ったのか。フィリップはため息を一つついて、追及を終わらせた。まあ、予め彼がなんのモンスターを召喚してどのような試練を行うか、ということをどこかにメモしていたわけでもない限り、カンニングなど不可能なのだから追及しようもないのだろう。

 今後は気を付けないと、と朝香は内心冷や汗ダラダラである。この先に進むために仕方なかったとはいえ、自分には“この世界のコーデリアなら知っているはずのない知識”があるのは事実だ。場合によってはそれが、あらぬ不信を招く結果にもなりかねないだろう。


「失礼します」

「!」


 唐突に、講義室のドアを叩く音が。フィリップが結界を解くと同時に、入って来たのはメイドのシェリーだった。


「お嬢様。ケネス様がお帰りになられましたよ。お嬢様のお顔が見たいと仰っています」

「あっ」


 忘れていた。そうだ、試練が終わったタイミングで、次男であり兄のケネスが修学旅行から帰ってくるのである。彼が通う名門校は、今の時期に国外にまで旅行に行くのだ。おおよそ二週間。半ば留学に近い。ロイヤル・ウィザードでも人気の高いケネス・ウィルビーと直に会えるとはなんと僥倖であることか。ついつい状況も忘れて舞い上がってしまう朝香である。

 この世界の不信感とか、謎とか、それはそれこれはこれ。ゲームの中のキャラクターに会えるのは純粋に楽しいものだ。


「ミストリア共和国って暑い国でしょう?お兄様、元気そうだった?」


 二人の兄とコーデリア。三人とも、まるで似ていない兄妹だというのはよく言われることである。既に社会人として働いていて自宅に帰ることが少ない長兄よりは、次兄のケネスの方が顔を合わせることが多い。一見横暴な俺様キャラに見えて人情の人、そしてとても家族思いのイケメン。キャラクターとして、ケネスの人気が高いのは当然と言えば当然だろう。


「ええ、すっかり日に焼けてらっしゃいましたよ」


 朝香が喜んでいるのがわかってか、あまり表情の変わらないシェリーも心なしか嬉しそうに頬を緩めている。


「お土産もあるそうです。是非、旅先のお話を聞いて差し上げてください」

「ええ、そうするわ!ありがと!」

「あ、そう、それから」


 早くケネスに会いたい。朝香が飛び出して行こうとした、まさにその時だった。シェリーが少しだけ顔を曇らせて、一枚の封筒のようなものを差し出して来る。


「実は、今その扉に、こんなものが挟んでありまして。コーデリア・ウィルビー様へと書かれているんです」

「んん?」


 朝香はその、味気ない白い封筒を受け取った。確かに表には“Dear Cordelia Wilbye”と書かれている。フルネームでお嬢様を名指しなんて、とシェリーは苦い顔だ。


「使用人の誰かかしら。お嬢様に用があるのなら、直接話をすればいいのに……。お嬢様、私が中を見ても?」

「……いえ」


 朝香は首を振って、その封筒をじっと見た。なんとなく、予感がしたからだ。


「私が一人で見るから、いい」


 この屋敷に簡単に入り込めて、かつこのタイミングで自分が地下講義室にいることを知っていた人物。そして、直接朝香の目の前に顔を晒したくなかった人間。

 差出人のないその封筒は、中身を想像させるのに十分だったのだ。




 ***




「予想していたが、ミストリアって国は本当にあっちーな」


 どっかりとソファーに座った赤髪の青年は、すっかり日焼けした顔でにっかりと笑った。


「気象予報士を目指すからには、世界中のいろんな国に行って、いろんな気候を直に体験しないといけないなーって思ってミストリア行を希望したんだけどさ。まあ、あそこまでジメジメしてるとは思ってもみなかった。一緒に同行した学校職員達が本気で頭抱えてたぜ。洗濯物が洗えば洗うほど汚くなるってどういうことだよ、と」

「え、洗うのに汚くなるのですか?」

「そうそう。湿度が高すぎてカビるんだって。うちの国じゃ雨季以外はからっとした天気が多いからそんな現象起きないけど、ミストリアはほんときっついな。干してあった服が乾くどころか緑色になってくのを見て、さすがの俺様も卒倒しそうになったぜ」

「う、うわあ……」


 ケネス・ウィルビーは俺様キャラで兄貴肌。偉そうな態度を取るようでいて、面倒見がよくて同性に嫌われないタイプである。勿論、女子にもモテまくる。赤髪に金眼、長身で痩せマッチョなイケメンなのも人気の要因だろう。魔法に関する才能は兄よりも妹よりも乏しかったため早々に跡継ぎから外されたようだが、本人はそんなことまったく気にしていないようだった。

 むしろ、兄ともども“跡継ぎの重圧を妹に押しつけてしまった”と罪悪感を抱いているほど、だとファンブックには書かれていたのを覚えている。それもあるからだろう、彼がことあるごとに高等学校の学生であるコーデリアを可愛がってくれるのは。


「湿気が高い国は、除湿のための設備が欠かせないってわけだな。……ミストリアでもフロウ鉱石は取れるしフロウ鉱石を用いた機械は発明されてるが……いかんせん、絶対数が少ないせいで超高価なんだよな。俺様たちが泊まったのはミストリアでも高級ホテルだったわけだけど、それでも圧倒的に除湿機の数が足りてなかった。ありゃ部屋に一台はないと駄目だろうなあ。ジメジメしすぎて壁が濡れてんだぜ?で、壁もカビる。超カビる」


 なんかデジャブ、と朝香は引き攣った顔になる。朝香本人はグアムくらいしか海外旅行に行ったことはないのだが(それも、瑠子と一緒に男っ気ゼロの女二人旅である)、朝香の両親はしょっちゅう旅行に行くような人だった。朝香が生まれてからはその頻度は大幅に下がったものの、一時は毎年のように海外に足を運んでいたらしく、そのおもしろエピソードをしょっちゅう語ってくれたのだ。

 ミストリアの話は、その両親が語ってくれた“香港旅行エピソード”によく似ていた。香港に行くなら絶対乾季に行かないと駄目ね、湿気で死ぬわ!と母が笑いながら言っていたのをよく覚えている。――ああ、彼女は今どうしているのだろう。願わくば、自分が戻るまで、あの世界の時が止まっていてくれたらありがたい。酔っぱらって線路に落ちて死ぬなんて、あまりにも親不孝が過ぎるのだから。


「私もいつか、海外旅行してみたいですね……」


 思わずそう呟くと、それもいいんじゃね?とケネスは告げた。


「むしろ、その方が安全ってこともあるかもだぜ。お前にとってはさ」

「お兄様……」

「聴いたぞ、馬車の件。それから魔導書の件も。……誰かがお前の命を狙ってるかもしれないんだろ。この屋敷の中に悪い奴がもぐりこんでるかもしれないなら、海外の方が安全ってのは強ち冗談でもなんでもないんだぜ。なんなら俺が連れてってやるよ。ミストリアも、乾季ならもうちょい快適に暮らせるし、面白い観光地いろいろ案内してやるぜ?都会なら治安も悪くないしな。旅行の資金も貯めてるから心配ない!」


 笑ってはいるが、そこそこ本気なのだろう。その資金って、大学で研究費用にするために貯めてるものじゃないの、と朝香は思わずにはいられない。貴族の中には当然のように民衆の仕事を馬鹿にする人間、土地に住んでいる人間から地代を搾り取るだけ搾り取って贅沢な暮らしをする人間が多いがケネスは違う。家のお金を使わず、なんと侯爵という上級貴族の身分でありながら町でアルバイトをして自分のお金を稼ぐということをやってのけた人間である。貴族なのにみっともない、という周囲の声も無視し、庶民たちの無自覚の壁もひょいっと乗り越えてしまうという仁徳。朝香には到底真似できない。むしろ、彼のおかげでウィルビー家の印象が良くなっているのは間違いないだろう。


「可愛い妹のためなら俺様はなんだって頑張っちまうぜ?……だから困ってることがあればなんでも相談してほしいし、助けて欲しかったらそう言えよな。俺様に出来ることならなんだってするからよ」


 そんなお金だろうと、妹を助けるためになら惜しまず使う。こういう人だよなあ、と朝香は妙な納得をしてしまった。嬉しい反面、やはり胸が痛い。この人もまた、目の前にいるのがコーデリアの姿をした赤の他人だと知らないのだから。


「……ありがとうございます、お兄様」


 優しい兄や、ジュリアン、召使いたちや父。彼等を巻き込むわけには、いかない。

 朝香はドレスのポケットの中、あの手紙をぐしゃりとにぎりしめていた。


――そう、あれは、宣戦布告。


 あの封筒に書かれていたのは予想通り、朝香を狙う何者かの宣言だった。しかも、それだけではない。




『コーデリア。

 お前の正体を私は知っている。

 お前の醜い本性を私は知っている。


 ジュリアンと婚約解消しろ。

 でなければ、今度は馬車に細工をするだけでは済まない。

 お前は悪役令嬢。

 本当のヒロインはこの私だ。



 輪転りんてんの魔女』




 コーデリアと書いてあったが、あれはコーデリア宛てではないと確信している。コーデリアに転生した、朝香に宛てた警告だ。

 何故ならば。宛先は英語だったのに――本文は日本語だったからだ。この世界に、存在していない言語であるはずの。 

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