<6・Incident>
魔導書の紛失も気になると言えば気になることだが。まだこの世界が夢か現実かもはっきりしていないのだし、仮に夢だとしたら多少整合性が取れないのも仕方ないことではあるのだろう。
それよりも目下の問題は。
――なんっで気づかなかったんだ私はっ!
ここがお茶会の現場で、目の前にジュリアンがいなければ。悔しさから机ドンくらいしていたところである。
――この状況!地雷以外の何物でもないやんけえええええ!!
そう。
目の前では憧れの推しキャラ、ジュリアン・ミューアがいる。ニコニコと微笑みながら紅茶に関する説明をしてくれている。まさか実写で、こんなにも近くで推しの姿を見られるとは思っても見なかったことだ。想像していたよりずっと青い髪の毛はサラサラして美しいし、睫毛は長いし足も長いし肌も綺麗だし、あれもこれも貴すぎてたまらない。これがギャグ漫画ならば鼻血出して倒れる!くらいの古典的表現がなされていてもおかしくないくらい萌えている。
が!
何が問題って、それを向けられている相手が他でもない朝香なのだ。正確には朝香が入っているコーデリアなのだが、朝香視点からすると自分に言われているようにしか見えないわけで。
――いやぁぁぁぁ!なんで、なんで私相手なんですか!その笑顔はコーデリアか、別の推しキャラに向けられているのが至高なのにいいいい!私相手とかむりむりむりむり!地雷、私は夢女子じゃないんだよ地雷地雷地雷いいいい!
しかも、最悪なのはこれが“コーデリアに成り代わっている”状況であるということ。朝香にとっては普通の夢ヒロインが出てくる夢小説も苦手だが、成り代わり夢小説は輪をかけて地雷なのだ。その笑顔を遠くで見つめるモブでいたいのだ自分は!
「何でよりにもよってコーデリアなの……精々そこの馬車の御者くらいのポジが良かった……私に微笑みかける推しとか解釈違いどころじゃない……」
「どうしたのコーデリア?何かぶつぶつ言ってるけど、紅茶美味しくなかった?」
「いっ!?イ、イエイエイエイエ!ナンデモアリマセン!!」
「何で片言??」
いけない、ついつい本音が口から漏れていたらしい。不思議そうな顔をするジュリアンに、慌てて引きつった笑顔を作る朝香である。とにかく、この世界から離れるまでは一生懸命コーデリアを演じなければ。なんでかって?話が崩壊するのもさることながら、萌え系オタクなコーデリアなんてそっちもそっちで解釈違いも甚だしいからだ!
「じゅ、ジュリアンのお父様が海外で買ってきてくれた茶葉なのよね!」
グッジョブ自分。話はまったく聞いていなかったが、何回も周回したゲームの会話は凡そ覚えていた。仕事に関することはちっとも覚えられないのに、好きなことならどこまでも暗証できる。オタクの無駄な記憶力が役に立った形だ。
「ジュリアンは、自分でもお茶を入れたり料理をしたりできて凄いなって思う。私はそういうの、メイドのみんなに任せっぱなしだから……ものすごく不器用だし」
「私はたまたまそういうのが得意だっただけだから。今でこそだいぶ収まってきたけど、子供の頃は持病のせいで家に籠もりっきりだったからね。武道の練習もできないし、はっきり言って読書と家事くらいしかやることがなかったんだよ」
「その、数少ないできること、を極めたのが凄いと思うよ……じゃなかった、凄いと思うわ」
コーデリアは父親などにはお嬢様言葉、親しい相手には女言葉で喋るキャラである。どっちも下手くそ過ぎて泣ける、と朝香は内心頭を抱えていた。なんといっても、普段の朝香はろくに女言葉も使わない。というか、自制しないと結構言葉遣いが乱暴になりがちだ。瑠子との会話がいい例である。
「コーデリアは毎日学業のみならず、魔法の勉強で忙しいだろう?仕方ないよ。得意なことやできることはひとそれぞれ違う。苦手を克服しようと頑張るのも立派な努力だけれど、得意を伸ばすのだって正しい努力だ。私は応援するよ」
「ジュリアン……」
「みんなができることが出来ない自分は恥ずかしい、出来損ないだと己を蔑む人は少なくない。でも私に言わせれば、人にはみんな努力すればできることと、努力しても難しいことがあると思うんだ。50%頑張れば出来る人と、120%頑張らなければ出来無い人を同列にしてはいけない。120%頑張って一度できたところで、それを一生続けていくなんてこと出来るはずもないんだ。なら、その人が50%以下の頑張りで出来ることを継続させていった方が、遥かに効率的だと思わないかい?」
「……そうね。素敵な考え方だと思うわ」
こういうところだよなぁ、と朝香は思う。ジュリアンは、人と自分は違う、個性と特性を重んじるのは当然だとが当たり前のように説く。みんなができて当たり前なんてことはない、というその考えは、ゲームで聞いて何度救われたか知れない。
なんせ、朝香のリアルでの仕事は主にデータ入力系の一般事務。何年も勤めているのに速度がなかなか上がらず、かつミスが多いことを上司に頻繁に詰られてきたところがあるのだ。自分でも向いていない仕事に就いてしまった自覚はあった。しかし、当日就職氷河期で到底仕事を選り好みできなかったという状況にあるのである。しかも、新卒以外の採用が厳しかった時代だ。今でこそそのへんはかなり緩和されたが、転職が頭を過るようになったのもここ最近のことなのである。
今の子達は想像したこともないだろう、百社受けて内定が一つも出なかったせいで、泣く泣く卒業論文を提出せず意図的に留年した生徒がいた世代など。
みんなは出来るのに、なんでお前はみんなと同じことが出来ないんだ。そう言われるのは、朝香にとって苦痛なことだった。好きなイラストで食っていくためには、まだ技術もキャリアもない。それを積むまでは、どんなに辛くても今の仕事を頑張って資金を貯めるしかない――それがまさに、朝香の現状だったのである。頑張って来れたのは、璃子をはじめとした友人たちの存在が非常に大きい。そんな朝香にとって、“人には頑張っても難しいこともある”と肯定してくれるジュリアンの言葉は、まさに救いも同然だったのだ。
「女は家庭に入って一生支える、あるいは社交界でひたすら人脈を増やし、子孫を繁栄させていくことだけが仕事。未だにそんなことを言う人もいるけれど、法律の上では男女同権になったし、女性が跡取りという家も増えてきた。私としてはナンセンスだ。今に、女性たちが自由に仕事を選び、貴族も庶民も関係なく手を取り合って国を支える時代がきっと来る。私はその大きな流れを作る礎になりたいと思っている」
カップを持ち上げ、語るジュリアン。紅茶を一口飲む仕草だけでもなんと絵になっていることか。
「当然それは、魔法派と科学派にも言えることだ。魔法と科学が手を取り合えば、この国はより大きな発展を遂げられるだろう。いがみ合う必要なんてもうどこにもない。お互いを尊重する気持ちこそ、今の世の中に最も必要なものだ」
「そうね、でも」
その言葉に、朝香は目を伏せる。知っているからだ、魔法派の中にはまだまだ過激派も多いということ。あの、コーデリアには優しい父もその一人であるということを。もちろん、ジュリアンとの婚約を勧めた時点で、彼はその中でもまだ融和派に近い考えではあるのだが。
「魔法使いの力を知らしめ、科学派を徹底排除しようとしている人達も少なくない。過去の憎しみを忘れるのは、難しいのでしょうね。……もう、戦争の時代を生きていた人は一人もいないのに」
何百年も前の憎しみを、子供の世代に引き継ぐ意味とはなんだろう。
憎しみ合った果てに起きたのが戦争であり、たくさんの同胞が死んだのは紛れもない事実であるというのに。
「貴方の理想は立派だし、応援したいと思うわ。でもそれを良しと思わない人も少なくない」
ゲームにはない、それは朝香の考えだった。どうしても口にせざるをえなかったのだ。何故なら。
「敵は多い。貴方が理想を貫こうとすればするほど、貴方は誰かにとっての悪となる。それこそ、ヒストリアと同じ残酷な刑に処しても構わないと思うほどの。……どうかそれを、忘れないでほしいの」
朝香は知ってしまっているからだ。
この物語の執着地点に、ジュリアンの死があるという事実を。
彼はあまりにも綺麗すぎる。己の命さえ、その理想のために擲ってしまえるほどに。
「私は、平和な世界以上に。貴方に幸せになって、長生きして欲しい」
結末を明かしたところで、ジュリアンが信じるとは思えない。何より下手なネタバレがストーリーにどんな悪影響を齎すかわからない。ましてや、本来のコーデリアが知るはずもないことを口にしていいとは到底思えなかった。
彼の行く末を案じる言葉が、今の朝香が唯一口にできるものであったのである。
「君は、優しいね」
そんな朝香に、ジュリアンは微笑みかけて言う。
「そこは間違えないでほしいな。私が幸せになるんじゃない。君と一緒に幸せになるんだ。誰かが要らなくてもいい世界じゃない……誰もが必要とされる世界を、二人で作り上げてね」
「ジュリアン……私は……」
「大丈夫。きっとうまくいくよ。君を無闇と悲しませるような真似なんかしないさ」
「…………」
ずきり、と胸が痛む。彼が愛してくれるのも、幸せを願ってくれるのも。本来なら朝香ではなく、本物のコーデリアなのだ。自分はその中に潜り込んで、彼女が享受するべき愛と幸福を横取りしているに過ぎないのである。
そう、だから。
地雷は地雷のままでいなければならないのだ。自分に向けられたもののように感じてはならない。勘違いしてはいけない。僅かでも、嬉しいだなんて思ってはいけないのだ。
――早く。早くこの夢を、醒まさなきゃ。こんな、あってはならない夢なんて。
そこから先、何を話したのかよく覚えていなかった。ただただ胸の痛みを誤魔化すのに必死だったから。
ああ、これがただの異世界ならどれほどよかったか。
大好きなゲームの世界だったことが、かえって残酷だった気がしてならない。理不尽が過ぎるだろう――自分にとっても、彼にとっても。
「それでは、明後日にまた学校で」
「ああ、また明日ね」
複雑な気持ちを抱えたまま、予定通りお茶会といく名のデートが終わり、朝香は別れの挨拶を交わした。
乗ってきた馬車に近付いた時、ぎしり、と何やら嫌な音が響く。まるでなにかが軋むような、そんな音が。
「え」
何が起きたのか、理解するまでに時間がかかった。次の瞬間朝香の上に、車輪が外れた馬車が思い切り倒れてきたのだから。
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