第8話 痛手の始まり

 選別の儀式が行われて数日後。

 帝国最強の大将軍のブシンは片手に包帯を巻いて吊った姿で、瓦礫の中を歩いていた。


「むごいな……来年の選別の儀式ではココはもう使えんかもしれんな……」


 そこは選別の儀式が行われた、帝都でも神聖なる大聖堂。

 数日前のデイモンとのトラブルで、その場所は半壊していた。

 天井や壁や床は至る所がひび割れ、歴史を感じさせる彫刻品なども無残に壊れていた。

 それはもはや戦争の惨劇を思わせるような破壊。

 その破壊跡を眺めながら、ブシンは複雑な心境であった。


「神童と呼ばれ、既にその種には姫様や多数の貴族の令嬢たちが競争するように予約。宮殿内でも新たな勇者の誕生と期待した男。帝国最強の特級魔導騎士団の『半数』をたった一人で重傷を負わせ……尚且つこのワシの腕をも一本砕くとは……これほどの怪物だったか……しかし、それでもクラスホルダーではないと……」


 ブシンたちに挑んだデイモンは取り押さえられ、気を失ったまま投獄された。

 しかし、それは決して生易しいものではなかった。

 帝国最強のブシンが率いる直属の騎士は百人にも満たない。しかしその者たちこそ、広大な帝国全土から厳しい選考を潜り抜け、戦場でも多大な武功を上げた者たちだけが集まる、精鋭中の精鋭の騎士たち。

 それが、まだ騎士養成学校を卒業していないデイモン相手に三十人ほどの騎士が重傷を負わされ、ブシン自身も片腕をデイモンの蹴りでへし折られたのである。

 

「これほどの力……平民であるはずがない。しかし、魔鏡が反応しないという以上は、聖女の言う通り……あやつ自身、両親、その祖先か……いずれにせよ、魔族の血を引いているのかもしれないという説しか考えられぬ……が……それもおかしい。奴の種を予約する際に宮殿側も奴の素性は念入りに調査したはず。だからこそ、魔族という説もありえぬ。ならばどういうことだ?」


 勇者誕生の歓喜の裏で起こった、もっとも期待を寄せられていたデイモンの落選を、流石に隠しきれるものではなかった。

 そして、何故デイモンほどの男が落選するかとなったとき、やはり誰もがデイモンが「魔族の血を引いているのではないのか?」という説に納得してしまい、多くのものが驚き、混乱し、デイモンにすり寄っていた者たちも頭を抱えた。

 それこそ、多くの王族貴族を巻き込むほどのものだった。

 しかし、デイモンはダメだったが、セクンドが勇者として誕生したことだけは幸いだった。


「国民の混乱も、勇者セクンド誕生というめでたい話に意識は移り、混乱も少しずつ収まった……。あとは、デイモンが目を覚ましたら、今後のことをどうにか考えんとな……たとえクラスホルダーでなかろうと、やはりあの力は―――」


 デイモンは勇者ではなかった。

 だがしかし、デイモンが傑物であることに変わりないことは、痛手を負ったブシン自身がよく分かっている。

 たとえ、クラスホルダーでなかったとしても、今回のことで世間からデイモンに対する態度が変わったとしても、その力を失うことは帝国にとっても、人類にとっても大きな痛手であるとブシンは感じていた。

 だが……


「急報! ブシン大将軍、大変です!」

「……なんだ?」


 慌ただしく駆けつけてきた一人の騎士。

 息を切らせてブシンの前で片膝付いたその騎士は……



「投獄されていたデイモン・ゴクアが……脱獄したそうです!」


「……なに?」



 帝国にとって、取り返しのつかない痛手が始まることになる。







 

 


「………………」



 意識を取り戻し、捕らわれていた牢から自力で抜け出したデイモン。

 だが、その目は帝都に足を踏み入れた瞬間に力を失っていた。

 それは……



「よっしゃァ、皆! グラス持ったな? じゃあ今日も、勇者セクンド誕生に~~~」


「「「「乾杯ィ~~~!!!!」」」」



 帝都がデイモンの話よりも、勇者セクンド誕生の歓喜に染まっていたからだ。


「おい、明日はパレードだってよ! セクンドくんが勇者になったってよ!」

「二十年ぶりの勇者誕生……いやぁ、俺は彼ならやると思ってたんだよ!」

「ああ。優秀な力を持ちながらも、驕ることなく謙虚で、爽やかで、品行方正。やっぱ、勇者っていうのはああいう打算のない誠実な奴だよなぁ」

「昨日までは宮殿で大パーティーのあと、城中で姫様やメイドたちと『お楽しみ』だったみたいだけどな」

「ま、それも勇者様の責務ってやつだよ。でも、今日は帝都に顔を出されるんだろ?」

「よーし、私、絶対に子種もらってやるんだから!」


 その民たちの様子、空気を目の当たりにしたデイモンは生まれて初めて心に穴が開いた。

 怒りではなく、ただただ惨めな想いだけが胸を締め付けた。

 呆然自失、廃人のように生気のない目をしたデイモンは街を隠れるように歩いていた。

 数日前までは堂々と、誰からも注目を浴びていたデイモンは、帝都中の声から耳塞いでいた。

 

「なぜ、俺が、俺なのに……勇者は俺なのに……俺は魔族でも何でもねぇ……あの選別は何かの間違い……あ、ああ……リィーヤさん……」


 そして、失意のどん底の中で、ただ無意識にフラフラと歩きながら、デイモンは自然と足が自分のもっとも好きだった場所に向かっていた。

 何年も初恋だった女性のいる場所へ。

 その人を心の支えに、その人と一緒になり結ばれるために多くの欲望に耐え忍んで、勇者を目指した。

 

 その人も、自分が勇者になることを信じていた。


 約束をしていた。


 それを破ってしまった。


 情けなくて、申し訳なくて、ただ涙を溢れさせながらデイモンは酒場へ向かった。

 いや、ひょっとしたらただ癒されたかっただけかもしれない。

 いずれにせよ、デイモンは他の誰かと顔を合わせたくもなく、初めて帝都の路地裏をコソコソと歩いた。


「リィーヤさん……」


 そして、いつも正面から入るはずの酒場の裏口にたどり着いたデイモン。

 その時……



「セクンドくんっ、セクンドくん~~っ♥」


「リィーヤさん、最高だ·……なんてすばらしい体なんだ! たまらない!」


「もう、可愛い顔して、えっちぃ~♥ でも、いいよ? もっとおいでぇ~♥」


「なんてけしからんほどいやらしいんだ! そして、昨日何十人もの女性を抱いたが、あなたは別格だ! 正妻にはできないけど、是非僕の―――」



 デイモンを奈落の底、いや、底すらない更なる絶望へと叩き落すような雄と雌の矯正が聞こえた。

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