桜回線を流れてきたもの
スペースコロニー内にはパークルームと呼ばれる室内公園がいくつか存在する。そのパークルームの1つを貸し切り、
部屋の入口の正面、いつもは時間帯によって青空や夕焼け空の映像が映されている壁が今は実験の要となる特殊なシートでコーティングされ、オパールのような薄い虹色に輝いている。
矢端がシートの状況を確認しながら手元のタブレットを操作していると、入口の扉が開いて60代くらいの白衣の男性が入ってきた。
矢端の同期でこのプロジェクトをともに進めている
「エリア長に実験開始の連絡をしてきたぞ。問題が起こったらすぐに報告するように、って何度も念を押されたわ。いつもちゃんと報告してるのになぁ?」
「あいつは若いのに細かいんだよ。このプロジェクトについても『桜回線って…桜を見るよりもっと有効な使い道があるんじゃないですか?』って渋い顔してやがった。」
「まあ桜を生で見たことがない世代だからなぁ。一度でも見たことがあったらそんなことは言えないよなぁ。」
気象現象や地殻変動が徐々に激化して住みづらくなった地球。
人類が宇宙にコロニーを建設し、居住の場を移してからおよそ30年が経つ。安定した環境で暮らすことができるようになった一方で、地球では見ることができた景色の多くが失われてしまっていた。
春に舞い散る桜もその一つである。
「助手の彼はまだ来てないのかい?」
壁の状態の最終確認を行いながら、塚口が訊ねる。
「
矢端がニヤリとしながら口元でお猪口を傾ける仕草をする。
「いいねぇ、30年ぶりの花見だな!」
「ではそろそろ始めようか。」
「了解。東京都110-0007-03地点に接続を開始する。」
塚口がタブレットを操作すると、シート上に満開の桜に囲まれた風景が現れた。最初はピントの合っていないカメラのようにぼやけていた風景が、少しずつ輪郭がはっきりしたものに変化していく。
二人がよく花見をしていた上野恩賜公園の桜林の中の風景だ。
そしてピントが完全に合うと同時に。
壁に映っていた風景は現実の空間となり、風が吹き込んで桜吹雪が部屋の中に舞い込んだ。二人が開発した空間接続システム「桜回線」により、スペースコロニーと地球上の場所が繋がったのだ。
「お、おお…」
矢端が一歩一歩確かめるように進み、先程まで壁だった境界線を超えて桜林の中に足を踏み入れた。
「間違いなくあの場所だ…。接続…成功だ…!!」
見回せば絶好の花見日和の下、満開の桜がどこまでも続いている。
草は伸び放題で道は崩れたりしているが、そこには確かに30年前に見た景色の面影があった。
「塚口もこっちに…ズズ…来い!地球…ズズズ…だぞ!」
鼻をすすりながら、まだ部屋の中で立ち尽くして涙と鼻水をたれ流している塚口を呼ぶ。
「おう…ハックショイ!感動で涙と鼻水が止まら…ヘックショイ!あれ、くしゃみも止まらないぞ…ヘーックショイ!」
「はは、台無しじゃないか…ハーックショイ!ブエーックショイ!
…あれ、これはもしかして…イーッキシ!」
「「花粉症エーックシ!か!」」
長年の安定したコロニー生活ですっかり忘れられていたが、桜の季節は花粉症の季節でもあった。
30年ぶりの刺激で涙とと鼻水とくしゃみが止まらなくなる二人。
「こ、これは対策を取らないと一般公開はできなさそうだな。」
一旦室内に戻り、山のようにティッシュを消費しながら相談する二人。
「入口はロックしておこう。コロニー内に花粉症が広がったら知らないやつが何かのテロだと勘違いするぞ。」
そう話した矢先、入口の自動ドアがウィーンと開いた。
「遅くなりました!お酒とおつまみを持ってきましたよ!わ、なんてきれいな景色なんだ!成功したんですね!」
助手の真白であった。
「あれ、お二人ともどうされたんですか?おや、何だか目がかゆい」
「真白くん、とりあえずドアを閉めるんだ!」
「ギャー目が!目がかゆいー!」
「真白くーん!そこで倒れちゃいかーん!」
真白が倒れ、目をこすりながらのたうち回る。
入口で倒れたので自動ドアが閉まらない。
桜吹雪と花粉が部屋の外へと流れていく。
「あらら、これはまずいな…」
二人の体力で若い真白くんを押さえるのはちょっと難しそうだ。
早々に諦めて一旦上げた腰を下ろす二人。
「やっぱり桜は良いねぇ。」
現実逃避して桜を眺めていると、あちこちからくしゃみの音が聞こえ始めた。
その後「目が、目がー!」と倒れる人々を見てテロか感染症と勘違いした誰かが警報を鳴らし、コロニー内は一時大混乱に陥る。
原因を作った二人はエリア長に呼び出され、こってり絞られたのだった。
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