調教師
二週間後。
ハニーメープルの新馬戦に向けての特訓が始まった。
パパではうだつが上がらないので、調教師を雇うことになった。
何人かやってきたが、全員一週間も続かなかった。
「ゲルタさん。この馬はダメですぜ。」
「こんなしょーもないことやってられん。」
私を見るなり唾を吐き捨てて帰る人もいた。
例え調教を始めても、やる気が無く、気に食わないことがあると私に当たるような人もいた。
そんなこんなで、結局パパ直々に手解きを受けるのかと腹を括っていたある日、また新たな調教師がやってくるという知らせを聞いた。
ちょっと訳ありらしいが。
「すみませーん。ごめんくださーい。」
「おーう、ちょっと待ってくれ。」
訪問者が来たようだ。
桶に水を注いでいたパパは玄関に走っていった。
「ああ、君か。」
「初めまして、アシュ・トーネリタです。」
アシュ?どこかで聞いた覚えのある名前。そうだ、盗賊団にいた異民族の子だ。
柵から目一杯首を伸ばしている私に気づくと、ビクッと身体を震わせ、目を逸らした。
その後、二人は家兼事務所に入っていった。
あの事件の話をするようだ。
後から聞いた話だと、アシュが盗みに加わったのはあの一回だけで、旅の途中で飢えていたところをあのオッサン達に拾われたというのだ。
罪は軽く、一週間の留置で済んだらしい。
この世界はまだ治安は良い方ではない。
警察組織として騎士団はいるが主に機能するのは都市が中心だ。
盗みなど日常茶飯事だから前科にはならない。
しかし、アシュの悪い事をしたという自責の念はすぐには消えなかった。
ー・ー・ー
「よーし、メープル。今日からお前の調教をしてくれるアシュだ。」
馬房にパパがアシュを連れてきた。
アシュからすると自分の被害者に雇われ、盗んだ馬の調教師になるのだ。複雑な気持ちだろう。それは言葉では言い表せないらしく、心の声は聞こえなかった。
「この子はメープルという名前だったんですね……。」
「そうだ。で、どうだ仕事を受けてくれるか。牛達の世話だけでもすごく助かるんだ。調教までしなくても……。」
「いえ、やらせてください。初めから感じていました。この馬は他とは違う。私には分かります。」
「そうか……。そうか……!」
パパは感極まってしまった。
たくさんの人に笑われ、罵倒され、否定された未来が今、肯定された気がした。
アシュを絶望させる訳にはいかない。
私は改めて決意を固めた。
まずは慣らすということで、アシュは馬房の掃除を始めた。
牛たちとマリアナは放牧場にいるのでこの屋根の下は私とアシュの二人きりだ。
アシュの方は何とも落ち着かない様子で、牛達の房を行ったり来たりしていた。
ふと、立ち止まったのは私の向かい側、ボス・サーロイン号の馬房の前。アシュはそこに掲げられたプレートを見ているらしかった。
確かあのプレートにはかつての名馬達の痕跡が刻まれていた。
アシュはそれを長いこと見つめていた。
「気になるのかい。」
両手に満杯の飼い葉桶を提げたゲルタパパが歩いてきた。
「えっ、はっはい。しかし、文字が読めないので……。」
「読み書きか……。ここら辺じゃ文字を読めない人も多い。でも、覚えていて損は無い。」
「そうだ。ミアと一緒に学ぶといい。ちょうど娘にも文字を覚えさせようと思っていたところだ。
どうだろう。君が良ければだが。」
「あっ、はい。本当に良いのですか。」
「もちろんさ。君はもう、このスペシャルニコニコ・ハウトファームの一員だからな。」
アシュは苦笑いをした。
同時に心の声を聞いた。
(良かった。頑張ろう。)
ー・ー・ー
「パパー!メープルたちー!たっだいまー!」
元気よく走ってくるのは、塾帰りのミアだ。
塾といっても寺子屋みたいな所で、隣村のおじさんが読み書きと計算を教えてくれているらしい。
「おかえり、ミア。」
「ねぇパパ、隣のお姉ちゃんだあれ?」
「これからパパたちをお手伝いをしてくれるアシュだ。よろしくしなさい。」
「私はミア、です。……よろしく、おねがい、します。」
急に人見知りを発動したミアだった。
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