開けられずの部屋 全1話

開けられずの部屋

 視線を感じて振り返れば、引き戸が僅かに開いていた。その隙間から片目が覗いている。


「お兄ちゃん、朝ごはん食べれそう?」


 頷く気配がしたので、階段を下りて台所へ向かう。お味噌汁とご飯、夕飯の残りをお盆に載せてお兄ちゃんの部屋に戻る。引き戸はさっきと同じで、片目の細さだけ開いていた。


「たまには一緒に食べようよ」


 お兄ちゃんは拒絶するように戸を閉めてしまった。文句を言いたい気持ちになったけど、ぐっとこらえて、お盆を部屋の前に置いた。


 自分の部屋に戻ろうとして、思い直して振り返り、引戸を見つめる。

 お兄ちゃんが外の世界と交流を断ってから、どれぐらいの年月が経つんだろうか。引戸には鍵がないのに、私は戸を開けられない。無理やり開けたらお兄ちゃんに嫌われちゃう気がするから……。


 戸が動いた。鼻から上だけを廊下に出して、お兄ちゃんが暗い瞳で私を見つめてくる。酷くやつれた顔だった。仄かに悪臭が廊下に漂う。そういえばお兄ちゃんが引き籠るようになってから、掃除をしているところは見たことない。部屋の中にゴミを溜め込んじゃっているのかも……。


「お掃除手伝おうか?」


 また戸がピタッと閉まってしまった。


 昔は活発な人だった。広い世界を自由に歩きまわって、知らない場所の綺麗な写真を見せてくれたのに……。今はあんな場所がお兄ちゃんの世界なのだと思うと悲しくなる。でも、私にはどうすることもできない。


 昼近くになって電話がかかってきた。お父さんは難しい顔をしながら対応していたけど、しばらくして電話を切った。私とお母さんの顔を見ると、お父さんは「出かける仕度をしておいで」と沈んだ声で催促した。

 仕度を整えると、お父さんは私に車に乗るように言った。


 後部座席の窓から外を見ると、お兄ちゃんの部屋のカーテンが少しだけ開いていた。その隙間から片目が覗いている。


「お兄ちゃんは一緒に行かないの?」


「行かないんじゃないかな」

 隣に座ったお母さんは私の手を握って静かにそう言った。


 お父さんは、まるで当然のようにお兄ちゃんを無視して車のエンジンをかけた。



 お父さんに連れて来られた場所は、白い壁に囲まれた部屋だった。部屋の中央に台のような物があって、その上に白い布を被せられた人が寝かされていた。でも、何か違和感があった。


 ふと、頭があるはずの場所が平らになっているのに気付いた。何があったかわからないけど、この人には首が無い。


 顔が見えない代わりに、頭の上には大きな写真が飾られていた。優しく微笑むその顔に見覚えがあった。


 気付けば部屋を飛び出していた。後ろから私を呼び止めようとする、お父さんとお母さんの声が聞こえたけど無視してしまった。

 警察署を飛び出して、タクシーを捕まえて家に戻る。玄関を開けて靴を脱ぎ捨てて階段を駆け上がった。閉め切られた引き戸に手をかけて深呼吸する。


 本当に開けていいのか、恐怖にも似た不安が胸に渦巻いた。


 でも、どうしても、ここを開けなきゃいけない。確かめなきゃ安心できない。


 だって、だって……あんなの酷いよ。酷い間違いだよ! だって、だって、だって! お兄ちゃんはずっとここにいるんだよ!


「お兄ちゃん!」


 引き戸を開け放つ。

 腐った生首がごろんと廊下に転がり出た。

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