第5話 一章〜惜別〜 5

 あの日以来、由希哉は学校に来ていない。3学期が始まっても教室にその姿はなかった。

 やはり、大きな怪我をしていたのだろうか?頭を打っていて、後から症状が出るという事もあるかもしれない。確かめたいと思っても、修一は由希哉の連絡先を知らない。それほど親しくなかったという事なのだが、どうして訊いておかなかったのかと悔やまれた。


 自分は物怖じしない方だと思う。けれど、由希哉に対しては臆病な程慎重になってしまうのだ。


 思い余って修一は担任に聞きに行った。由希哉は体調を崩して当分の間休むと連絡が来ていると言う。連絡先を教えて欲しいと言ったが、個人情報は例え同級生でも教えられない。知りたければ直接本人に訊くしかないと言われた。

 その本人に逢えないのに、どうしろと言うのだ。


 次に、修一は3年の教室へ向かった。全く不本意だったが、由希哉の連絡先を知っていそうな人間を他に知らないので仕方がない。


 大学入学共通テストを数日後に控え、生徒の出入りはあるものの、休み時間であるのに廊下は静まり返り、緊迫感が漂っている。邪魔をするようで、本当に申し訳ないと思いながら、修一は廊下にいた生徒に尋ねた。


「下田ってわかりますか?」

 敬称をつける気にならず呼び捨てにした。

「下田?…知らないなぁ。あっ、お前、下田って知ってる?」

 親切にも彼は、廊下を歩いて来た別の生徒にも訊いてくれた。


 残念な事に2人目の生徒も知らなかった。このクラスにはいないと言うので、次の教室に行く。そんな事を繰り返し、その後、さらに数人に聞いても下田に辿り着けなかった。本当に存在するのかと疑いたくなった時、当の本人を見つける。ちょうどトイレから出て来たところだった。


 予鈴がなる中、修一は無言でドアの中に押し戻す。後ずさる下田をそのまま奥の壁に追い詰めた。授業に遅れるなど知った事ではない。この程度で落ちる大学なら、もともと受かる見込みなど無いのだ。


「…なんだよ?」

「辻井の連絡先を教えろ」

「知らない。何回頼んでも交換してくれないんだよ」

「本当か?」

「そうだよ。お前も知らないんだ?相手にされてなかったんだな」


 確かに、相手にされていなかったのかもしれない。だが、こんなクズに馬鹿にされるのは我慢ならない。修一は下田の顔ギリギリの壁に素早く拳を当てた。

 そう強く当てた訳ではないのに、頬の横を切った空気の鋭どさにびびった下田が小さな悲鳴をあげる。少しだけ、溜飲を下げた。

「兄貴の方は?」

「しっ、知らない」

 下田の役に立たなさ加減にも腹が立つ。思い切り蹴り上げてやりたかったが、想像だけにしてその場を後にした。




 10分程遅れて、後ろの入り口をそっと開け教室へ入る。教師は一瞥しただけで何も言わなかった。おそらく、樹が上手く誤魔化しておいてくれたのだろう。


 授業が終わって、隣りに座る樹に礼を言う。

「酷い腹痛で便所から出られないって言っといた」

「あぁ、まぁ、どうでもいいよ」

 トイレに居たのは間違いない。

「で、成果はあったのか?」


『ちょっと行ってくる』としか言っていないのに、何をしていたか察しているようだ。最近になって、樹や拓真を始めクラスメート達に由希哉の連絡先を知っているか訊いていたので、想像がついたのだろう。


「体調が悪くて休んでるってことしか分からなかった」

「う~ん」と樹は首を捻って、担任は、本当はもっと詳しい事情を知っているのではないかと言う。

「公にしたくないか?出来ないか?なんか事情があるのかもよ」

「…事故とか?」

「事件とかさ…」




 その日、木枯らしに肩をすくめて歩く帰り道。

「辻井は…」

 樹がぽつりと話し始めた。

「お前に知られたくないんだよ」

「…何を?」

「お前が知りたいと思ってる全てのこと」

 修一には出番は無いと、由希哉に構うなと、樹までそんな事を言うのか?


「心配されればされるほど、辻井は辛いのかもな」

 由希哉を苦しめているのだろうか?助けになりたいと思うのは、余計なことで驕りなのだろうか?


「まぁ、俺の想像だけど」

 そう言って微笑んだ樹は「元気出せ」と、ぽんと修一の肩を叩いた。


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