流れる時の中で君と出逢い

雨乃すずめ

第1話 一章〜惜別〜 1

 昇降口を出て歩き始める。校門脇の8分咲きの桜が美しい。


 振り返り仰ぎ見る。春霞はるがすみの空の下、校舎の窓辺に彼はいた。訊きたい事も言いたい事も潔く飲み込んで、こちらを見つめている。大きく手を振れば、約束通り手を振り返してくれた。その眩しい姿があふれた涙で滲んでいく。



 はっきりと瞳に焼き付けておきたいのに…



 きっと、今日で最後になる。もう一度あの場所へ戻りたい。せめて後、五分でも一分でも一緒に居たい。


 心を残しながらも背を向ける。想いを胸に仕舞って校門を駆け抜けた。


 彼はきっと追って来る。真っ直ぐ駅へ迎えば、足の速い彼に追いつかれてしまう。脇道に隠れた。

 息を殺して通りを見ていると、彼が駆け抜けて行く。必死に駆けて行く。

 もう、二度と逢う事は無いのだろう。あふれる涙を拭う事もせず、その残像をいつまでも見つめていた。




ーーー*ーーー*ーーー




 男子校の私立黎明れいめい高等学校は、進学校として全国的に名高い。制服は無く自由な校風だ。その代わり、勉強は厳しい。教師達は偏差値を上げ、一人でも多く難関大学に合格させる事ばかりに励んでいた。


 入学式の日。教室には出席番号順に机が並んでいる。東堂修一とうどうしゅういちの前の席は誰も座っていなかった。翌日、遅刻寸前に教室に入って来たひとりの生徒に目が釘付けになる。彼は室内を見渡し、空席がひとつだけなのを認めると、皆の注文を集めながら修一の前の席にふわりと座った。


 髪は薄茶色、顔立ちは一目でハーフと分かるそれで、印象的な薄い灰色の瞳は何処か頼りな気だ。

 教室に入ってから席に着くまでの僅かな時間。そこだけが世界から切り取られて、まるで、幻想的なショートムービーでも見せられたような気分になる。


 辻井つじい由希哉ゆきやは、とても綺麗だった。


 休み時間になり、思い切って話し掛けてみた。

「辻井」

 由希哉がハッとしたように振り向く。髪がサラリと揺れた。

「俺、東堂。よろしく」

「…もっと、何か言ってみて」

 柔らかな光を湛えた瞳から目が離せなくなる。

「えっ?あぁ…昨日の入学式来てなかったな」

「東堂、何?」

「修一。修学旅行の修に数字の一」

 由希哉は少しの間、黙って修一を見つめ前に向き直った。


 会話が噛み合っていない。なのに、不快感も違和感も感じていない。このまま何時間でもこの後ろ姿を見ていたいような心地になっていた。




 修一はすぐに、後ろの席の中務なかつかさ拓真たくまと親しくなった。ちょっとお調子者だが、気のいい奴だ。その拓真が、下駄箱の前でナンパしたと言って、水瀬みなせいつきを連れて来て、三人でつるむ事が多くなった。


 入学から一月くらい過ぎた日の休み時間、いつものように集まって話していた。


 上級生らしい生徒が二人教室に入って来て、両側から由希哉を挟むように立つ。

「メッセージ無視するなよ」

「ぜんぜん気付かなかったなぁ」

 上級生相手に由希哉はとぼけてみせる。

「まぁいい、ちょっと来い」

 上級生は返事も聞かずに教室の出入り口へ向かった。由希哉は、小さくため息をついて後に続く。

 その姿が廊下に消えると、少し不安になり、修一は追いかけ呼び止めた。


「辻井」

 由希哉は無言で振り向く。答えたのは上級生のひとりだった。

「何?」

「辻井に話があるんです」

「俺も辻井。兄弟なの」

「え?」

「なんか心配してるみたいだけど、弟、呼び出しただけだから」

「本当か?」

「うん」

 確認すると、由希哉は頷いてきびすを返し先に立って歩き出してしまった。


 教室の出入り口に心配顔で、拓真が顔を覗かせている。

「なんだって?」

「兄貴らしい」

「へーっ、似てないな」


 確かに、由希哉と兄はまったく似ていない。家庭の事情はそれぞれだ。何か訳でもあるのだろう。


(辛い思いをしていなければ良いが…)


 なんとなくそう思ったのには訳がある。修一が知る限り、由希哉に友達らしき者はまだいない。話し掛ければ気安く応じるけれど、続かないのだ。最初の日のように脈絡の無い短い会話は、ぷつりと途切れてしまう。   

 だから、教室内ではたいていひとりでいた。

 ひとりでいる者は他にも複数いたが、本を読んでいたり、参考書や問題集を広げている。だが由希哉は違った。机の上に肘を付き、組んだ両手に顎を乗せ目を閉じている。眠っているように見えてそうではない。敢えて、周囲と慣れ合わないと言う意図が窺えた。



 それから、由希哉が兄やその友達といるところを何度も見かけた。楽しそうでもなく、嫌がるでもなく、ぼんやりと人形のようにただそこにあるだけのようで、それはかなり異様な光景だった。

 それだけに、立ち入ってはいけない気がして、心配しながらも見守る事しかできなかった。


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