EPISODE 08:故郷に舞う

SCENE 61:咆哮

 ——自分の生きている意味が、分からなかった。


 記憶がない。


 シーラという名前だけだ。

 それだって曖昧なもので、本当かどうかはわからない。


 自分には過去がない。

 マグナヴィアで一緒に過ごしてきた彼らを見て、が如何に怖いことかを知った。


 彼らが楽しそうなのは、過去の積み重ねが、記憶の積み重ねがあるから。

 自分にはそれがない。


 あるのは、2週間前に目覚めてからの記憶だけ。


 そして記憶は——コウイチと一緒にいた記憶から始まった。


 目で見た訳でも、耳で聴いた訳でもない。

 でも、コウイチが私を助けてくれようとしたことを知っていた。


 なぜかは分からない。


 私はコウイチと一緒にいたかった。

 一緒にいれば、何もない私でも、寂しくないと思った。


 コウイチが寂しそうだった。

 だから一緒にいようと思ったけど、コウイチは私とは一緒にいたくないのだと思った。


 コウイチは怖がっていた。

 だから、私が戦おうと思った。


 コウイチの代わりに、私が戦う。

 それで、何もかも上手くいくはずだ。



 *



「——ッ!」


 シーラは、拡張人型骨格じぶんの腕が軋むのを感じた。

 マグナヴィアが船体周囲に展開している重力場フィールドに、エコーズを叩きつけるように何度も打ち付ける。


 その度に、エコーズは不気味な悲鳴を上げ、緑色の液体を口から撒き散らした。

 必死に抵抗するエコーズの鋭い足が、シーラの機体の胴体に突き刺さった。


「ぅッ」


 瞬間、シーラの腹部に猛烈な激痛が走った。

 焼けた鉄の棒で腹の中をこねくり回されているような、熱が走る。


 痛みで止まったシーラの動きを見逃さず、エコーズはシーラの拘束を逃れ、一瞬で距離を取った。


 シーラは距離を取られてはまずいと分かっていても、すぐに機体を動かすことができなかった。

 

 生まれて初めて経験する激しい痛みに、意識が明滅していた。


 エコーズが口部を青く輝かせ始めたのを拡張された視覚で捉え、シーラは痛みを堪えながら、本能的に機体の前面に重力場を展開した。


 次の瞬間、猛烈な光と衝撃が全身を襲ったかと思うと、続け様に背中から全身に伝う強烈な痛みが走った。


 痛みで震える意識を呼び起こして見ると、シーラの機体はマグナヴィアの船体外壁に叩きつけられていた。重力場の展開が不十分で、エコーズの攻撃を防ぎ切れなかったのだ。


 経験したことのない痛みの連続に、シーラの目から涙が伝った。

 そんなシーラの満身創痍には関係なしに、エコーズの口部が再び青く輝き始めていた。


 痛くて、本当は泣いていたかった。

 

(……私が、戦うんだ)


 胸の中に浮かんだ少年の姿が、シーラに力を与える。


「う……ああああああッ!」


 生まれて初めてシーラは叫んだ。

 痛みを誤魔化すために、本能がそうさせた。


 シーラは攻撃しようとしているエコーズに、全開推進フルスロットルで突撃した。拳を腰だめに構えながら、接触と同時にエコーズの顎へと振り抜いた。


 ガギン!、と鈍い音が響き、エコーズの攻撃はあらぬ方向へと飛んでいった。


 船体周囲の重力場に衝突したエネルギーは拡散、雨のようにマグナヴィアに降り注ぎ、装甲の何箇所かが融解した。


「……!」


 このまま、重力場の内側で戦ってはダメだ。

 シーラはそう思った。


 シーラはエコーズを羽交締めにしたまま、重力場へと突進した。

 しかし今度は、叩きつけるためではない。


(出来る……!)


 シーラは拡張人型骨格の能力を知識として知っていた。

 故に、エコーズとが出来ると知っていた。


 拡張された五感に最大限に意識を集中させる。

 頭ではなく、感覚で把握する。


 吹き荒れる波を構成する、粒子達——その意志を。


(…………!)


 シーラ機とエコーズが、徐々に重力場の外に向かって沈み始める。

 数秒後には、もつれあう二体はマグナヴィアの展開する重力場の外へと飛び出していた。


(……できた)


 シーラが集中の糸を切らした瞬間、インセクトは拘束を振り解き、シーラ機を蹴り飛ばした。

 必死に空中浮遊ホバリングし地面への衝突を防いだシーラに、ある通知音が聞こえた。


 『重力波給電ウェーブサプライ停止』。


 バイザーに浮かんだ文字に次いで、稼働限界時間の数字が現れる。

 ——稼働限界まで、残り5分弱。


 「…………!」


 シーラが自分の失態を悟ると同時に、上空に迫る敵の存在を感知した。


 無数のエコーズが、赤い目を輝かせながら、シーラを見下ろしていた。

 その数は見上げる空全てを覆い尽くさんばかりで、僅かに差し込む陽光も、その黒い影で閉ざされていた。


 シーラはここでも、初めての体験をした。

 恐怖の感情というのものを、初めて知ったのだ。


 数匹のエコーズがシーラめがけて急降下してくる。エコーズの目は、殺意の高さを表すように爛々と赤く輝いている。


 シーラが自分の死を予感した次の瞬間、数匹のインセクトに影が迫り、吹き飛んだ。


「……ッ」


 驚きと共にそちらを見ると、3機の拡張人型骨格がインセクトの群れに向かっていくのが見えた。


 モリス、フォード、サドランの3人が操る拡張人型骨格だった。



 *



(……ッ! シーラ、無事だったか!)


 モリスはエコーズの群れへと突撃していく最中、視界の端にシーラの機体を捉えた。感覚拡張操縦システムにより、シーラの機体の正確な損害が分かる。


 腹部に損傷を負っているが、他は大したことはない。

 ただし武装を持っていない。危険だ。


 『もういい——』


 下がれ、モリスは通信でそう告げようとしたが、叶わなかった。

 すぐ目の前に迫った敵の存在に気づいたからだ。


(……ッ!!)


 モリスは手にした鎖鋸銃チェーンガンを腰だめから抜刀するように振り抜いた。勢いは申し分なく、その鉄塊はエコーズを破砕する——かに思えた。


 しかし、鎖鋸銃チェーンガンはエコーズの頭部目前で、に衝突したように弾かれた。インセクトの生み出す、重力場フィールドだった。


(重力場……!)


 モリスの躊躇いなど意にも介さず、エコーズは凶悪に鋭い前腕を振るった。モリスは衝動的に鎖鋸銃チェーンガンで身体を守った。


 直後、バギン、という鈍い音と共に、モリスの機体は姿勢を崩された。


「——ッ!」


 腕に伝わった痛みの中で、チリ、とモリスの首元に悪寒が走った。

 悪寒は感覚拡張操縦システムの伝える危険信号であり、モリスは直感的に右斜め後ろからの攻撃を察知した。


 モリスの防衛本能を拾い上げ、機体は全体を覆うように重力場フィールドを展開し——次の瞬間、視界が青白い閃光で埋め尽くされ、全身に叩きつけられるような衝撃が走った。


「——ぐッ」


 視界が戻っても、モリスに考えている時間はなかった。

 すぐ右に、別のエコーズが迫っていることを察知していたからだ。


 盾のように鎖鋸銃チェーンガンを構えた次の瞬間、予想通りエコーズの前脚が迫り、その勢いと衝撃でモリスは地面に叩きつけられた。


「ッ……は」


 仮初の痛みとはいえ、モリスは肺の中の空気が全て搾り取られるような痛みを感じた。直前に重力場で衝撃を緩和していなければ、今頃痛みで気絶していたかもしれない。


「——ッ!」


 休む暇はなかった。

 モリスは全開推進フルスロットルで地面スレスレに横っ飛びした。


 次の瞬間、モリスのいた地面は複数箇所からの青白い光線が降り注ぎ、ドロドロに溶けた。そして間髪開けず、地面スレスレに飛ぶモリスに並行するように、1匹のエコーズが追い縋る。


 ギロリと光ったエコーズの赤い瞳は、一杯一杯なモリスを嘲笑っているかのように思えた。


(——多……すぎる……!)


 モリスは鎖鋸銃チェーンガンの銃機能を解放、拡張人型骨格の腕部から供給された重力子グラビトンを圧縮し、撃ち放った。


 しかし放たれた青い光線はやはり、エコーズの前で虚しく拡散し——どころか、エコーズは急激にモリスへ接近、重力場での突撃を敢行してきた。


「——ッ!」


 モリスはかろうじて重力場を展開し、その衝撃を和らげるも、慣性重力によって強化されたエコーズの突撃の方が威力は高く、モリスの機体は無様に地面に転がされた。


 地面と機体が激しく擦れ、熱された鉄板を押しつけられたような痛みが全身を襲った。


(ぐ……)


 痛みを堪えながら立ち上がったモリスが見たのは、全く勢いを衰えさずに突撃してくる無数のエコーズの姿だった。


(そうか……)


 モリスは目の前が暗くなるのを感じた。

 スローモーションに迫るエコーズ達の姿に、モリスは心底恐怖した。


 エコーズに、痛みや恐怖、疲れはない。

 それがどれだけ恐ろしいことなのかを、モリスはようやく理解した。


 死を恐れぬ兵隊。

 痛みを恐れぬ兵隊。

 敵にするのに、それほど恐ろしい相手はいないことを、モリスは知った。


 意識を他の箇所に巡らせると、感覚拡張操縦システムが、他の拡張人型骨格の場所と状態を伝えてくる。


 サドランも、フォードも、シーラも戦っている。

 皆、満身創痍だ。


 サドランは善戦しているが、敵に囲まれつつある。

 フォードも奮闘しているものの、すでに右腕がない。


 シーラはまずい。

 完全に敵に囲まれている。

 あれじゃ——。


(助けに——)


 救援に行こうとしたモリスの機体に、スッと黒い影が降りた。宙に浮かぶ無数のインセクトが、モリスを見下ろしていることを知り——救援など、不可能だとを悟った。



 *



 自信を包囲する無数のインセクト達が、口部を青く輝かせている。

 シーラは今度こそ自分の死を確信した。


 機体は既に稼働限界を迎え、もう重力場を展開することも、機体を動かすこともできない。


 痛覚遮断ペインブロックシステムが作動し、欠損付近の部位との同調リンクが解除され、断続的な痛みこそない。だが、身体に当たる吹き荒ぶ砂塵の痛みが、今まさにシーラが戦場ここにいることを——絶体絶命であることを痛感させた。


 エコーズ達の口部の輝きが高まっていく。

 シーラは目をつぶった。


 無意識に、心の中でコウイチの姿を思い浮かべた次の瞬間、辺り一帯を染めるような輝きが満ちた。


(…………)


 シーラは痛みと衝撃を待った。

 だが、いつまで経ってもそれはこなかった。


 ゆっくりと目を開けると、右腕のない、一機の拡張人型骨格が重力場フィールドを展開し、シーラを庇うように立っていた。


「コウ……イチ……」


 シーラは、目の前に立つ少年の名前を呼んだ。

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